来年4月13日から来年の今日10月13日まで6カ月間に亘って開幕される大阪・関西万博まで残すところあと半年となった。人工島・夢洲島という埋立地の上に建設された会場のパビリオンがやや地盤沈下したり、建築資材の高騰などで工事が大幅に遅れていたが、世界最大級の木造建築「大屋根リンク」などは、何とか開会までには間に合うメドがついたようである。ところが、肝心な前売券の販売が、全国的な関心の低さなどから低調で、大きな課題となっている。販売目標1,400万枚に対して、売れたのは現時点で半分の700万枚に留まっている。
三菱総合研究所が4月に行ったアンケート調査によると、来年万博が開催されることを知っている人は、93.4%で昨年10月時点より3.8%上昇した。ほとんどの国民が知っているようだ。その一方で、万博に関心があると応えた人は、25.6%で前回の調査より1.9%低下したという。地元である京阪神圏の関心度が40.5%であるのに対して、東京など首都圏の関心度は21%というお寒い数字だった。
大手企業による出展計画ばかりでなく、地元の中小企業やベンチャー企業約400社が、未来志向の独自のアイディアや技術などをアピールする計画である。地元の大阪市生野区では中小メーカーが「未来のファッション」をテーマに、「宙に浮く靴」という俄かには信じられないような展示を目指す計画があるようだ。
1970年の万博(EXPO‘70)は大盛況で期間の延長が望まれたほどだが、今回はそれほどの熱気は感じられない。その原因のひとつは、前回建設された大きな目玉となる展示として岡本太郎が監修した「太陽の塔」のような圧倒的な芸術作品がないことではないかと思う。
更に懸念されているのは、防災面である。大阪湾に浮かぶ人工島へのアクセスが、トンネルと橋の2つに限られている。博覧会協会は、トンネルと橋の耐震化工事が行われ、南海トラフ巨大地震による激しい揺れにも耐えられ、会場はかさ上げしたので、津波による浸水は想定されていないようだが、トンネルや橋の安全確認に時間がかかれば、入場者が一時的に孤立する恐れがある。最大で約15万人が孤立した場合、会場内の屋内避難スペースは10万人分しかなく、加えて食料補給問題などもまだ課題として残されている。近年の猛暑に対する対策も備えを確保することが求められる。しかし、開催する以上は、後世にも伝わる思い出に残る立派な実績を残してもらいたいものである。
一応実施計画については、先月「防災実施計画」を公表したが、まだ多くの課題が残されているようだ。偶々隣家のご主人が日本貿易振興機構(JETRO)に勤務され、万博準備に関わっているために大阪へ単身赴任されておられるが、連休で帰宅され昨日妻が門前でお会いしたら、ぜひ万博を見に来てくださいと勧められたという。私は前回1970年には、3度ばかり見学したが、あの混雑ぶり、特に「月の石」展示場は、押し合いへし合いで思うように見られなかったが。その後ワシントンのスミソニアン博物館でゆっくり見学出来たことを想い出す。その後、1985年開催の「つくば科学万博」と2005年の「愛知万博」を見学したが、来年大阪・関西万博は、年齢的な健康面と猛暑などを考慮すると見てみたい気持ちはあるが、ちょっと難しいのではないかと考えている。