夕べ就寝時にサラッと2つの窓のカーテンを閉じたが、そのうち1つの窓は開けっ放しであることが今朝カーテンを開ける際に気付いた。どうも夜中寒かったわけである。上下に開閉する窓だったので、気がつかなかった。うっかりと言えばそれまでだが、ホテル側も最初から窓は閉めておくべきだとの認識はなかったのだろうか。
いよいよショパンと自主管理労組を組織し、民主化運動の旗頭とされたワレサ議長の国・ポーランドを去る日となった。そのワルシャワ国際空港がショパン空港と呼ばれるとはいかに多くのポーランド人が「ピアノの詩人」と呼ばれたショパンを慕っていたかの証ではないだろうか。国際空港に偉大な人物の名を献上するのは、ローマ空港のレオナルド・ダ・ヴィンチ空港や、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港でお馴染みのところだ。最近ではホノルル空港が、日系人の元上院議長ダニエル・イノウエを記念してその名を空港に冠された。
奇しくも今日はワレサ議長の誕生日だというのも意外な巡り合わせである。彼は第2次大戦終戦の年のポーランド解放後の1945年9月29日にポーランドの小さな村ポポヴォに生まれた。今年72歳である。
昨晩宿泊した‘RADISSON’は今旅行中で最もデラックスなホテルだったが、このホテルのみならず、すべてのホテルに揃ってウォッシュ・タオルが用意されていないのが気になる。予め用意してきた人は好いが、バスタブの中で皆さんはどうやって身体を洗うのだろうか。ホテルについては不満を言えばいくらでもあるが、こればかりは旅行会社にクレームを言っても始まるまい。
ともかく快晴の下ショパン空港を離陸してヘルシンキ経由で帰国の途に就くことになった。空港ロビーや登場口近くにピアノが置いてあったのはショパン空港らしいと感じた。折角だから待ち時間の間にアマチュア・ピアニストに演奏してもらったら搭乗客に喜ばれること必定である。
ヘルシンキから長い行程を途中一部列車を利用ながら、それでもバスの走行距離は2,500㎞ほどになる長い旅だった。利用ホテルに若干問題はあったが、大体予定通りスケジュールをこなすことが出来たのではないかと思う。
あっという間にヘルシンキへ戻って来て、ここでヨーロッパ出国の手続きを済ませた。どうも落ち着かない騒がしい空港だったが、予定通り成田へ向けて定刻に同空港を発った。
今度の旅行では33名という参加者はやや多いが、その中でグループを上手にまとめ、的確な案内を滞りなく行い、細かい点に配慮してエネルギッシュにツアーをコーディネートしていたツアー・リーダーの坂根利枝さんは、これまで見たT.L.の中でも傑出していると思った。こういう優秀な人に案内してもらった我々はハッピーだったと率直に思う。益々の活躍を願って止まない。