3791.2017年9月29日(金) 何でもかんでもショパン

 夕べ就寝時にサラッと2つの窓のカーテンを閉じたが、そのうち1つの窓は開けっ放しであることが今朝カーテンを開ける際に気付いた。どうも夜中寒かったわけである。上下に開閉する窓だったので、気がつかなかった。うっかりと言えばそれまでだが、ホテル側も最初から窓は閉めておくべきだとの認識はなかったのだろうか。

 いよいよショパンと自主管理労組を組織し、民主化運動の旗頭とされたワレサ議長の国・ポーランドを去る日となった。そのワルシャワ国際空港がショパン空港と呼ばれるとはいかに多くのポーランド人が「ピアノの詩人」と呼ばれたショパンを慕っていたかの証ではないだろうか。国際空港に偉大な人物の名を献上するのは、ローマ空港のレオナルド・ダ・ヴィンチ空港や、ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港でお馴染みのところだ。最近ではホノルル空港が、日系人の元上院議長ダニエル・イノウエを記念してその名を空港に冠された。

 奇しくも今日はワレサ議長の誕生日だというのも意外な巡り合わせである。彼は第2次大戦終戦の年のポーランド解放後の1945年9月29日にポーランドの小さな村ポポヴォに生まれた。今年72歳である。

 昨晩宿泊した‘RADISSON’は今旅行中で最もデラックスなホテルだったが、このホテルのみならず、すべてのホテルに揃ってウォッシュ・タオルが用意されていないのが気になる。予め用意してきた人は好いが、バスタブの中で皆さんはどうやって身体を洗うのだろうか。ホテルについては不満を言えばいくらでもあるが、こればかりは旅行会社にクレームを言っても始まるまい。

 ともかく快晴の下ショパン空港を離陸してヘルシンキ経由で帰国の途に就くことになった。空港ロビーや登場口近くにピアノが置いてあったのはショパン空港らしいと感じた。折角だから待ち時間の間にアマチュア・ピアニストに演奏してもらったら搭乗客に喜ばれること必定である。

 ヘルシンキから長い行程を途中一部列車を利用ながら、それでもバスの走行距離は2,500㎞ほどになる長い旅だった。利用ホテルに若干問題はあったが、大体予定通りスケジュールをこなすことが出来たのではないかと思う。

 あっという間にヘルシンキへ戻って来て、ここでヨーロッパ出国の手続きを済ませた。どうも落ち着かない騒がしい空港だったが、予定通り成田へ向けて定刻に同空港を発った。

 今度の旅行では33名という参加者はやや多いが、その中でグループを上手にまとめ、的確な案内を滞りなく行い、細かい点に配慮してエネルギッシュにツアーをコーディネートしていたツアー・リーダーの坂根利枝さんは、これまで見たT.L.の中でも傑出していると思った。こういう優秀な人に案内してもらった我々はハッピーだったと率直に思う。益々の活躍を願って止まない。

2017年9月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3790.2017年9月28日(木) 最後の晩餐とピアノ・コンサート

 いよいよツアーも最後の1日となった。大きな見学個所はもう済ませたので、ワルシャワへ向かう途中のチェンストホヴァでヤスナ・グラ修道院を見学した。ここには「黒いマドンナ」と言われるヤスナ・グラの聖母聖画が知られ多くの信者が崇めに訪れる。

 中でもポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロⅡ世が司牧師的使命を務めていた。パウロⅡ世が在職中ここを訪れた時には、数万の信者が修道院を取り巻いたといい、実際その写真も数多く飾られていた。ちょうどミサを行っている教会内部の見学者コースを歩き、今更ながらポーランド人の信心深い気持ちに感銘を受けた。

 この近くで昼食を取り、一路ワルシャワへ向かったが、相変わらず沿線の牧歌的風景は心を和ませてくれる。ただ、どうしてかはっきりしないが、大小の道路工事があっちでもこっちでも行われていて、それが交通渋滞を引き起こしている。表面上貧しい印象は受けないが、失業率がほぼ10%という状態は、決して経済成長を期待できるものではなく、経済発展を生まない。目に見えないところで、国民は生活に苦しんでいるのかも知れない。

 最後の晩餐を済ませて慌ただしくショパン・ピアノ・コンサートを鑑賞するために市内の音楽図書館を訪れた。こじんまりとロココ調に装飾された会場で、ショパンの名曲をうっとり聴き惚れた。アン・キュービックさんという女性ピアニストによる演奏で、♪ノクターン♪に始まり、ワルツ3曲他を聴いた。やはりライブで聴くのは良い。序に、キュービックさんのCDを買い、サインをしてもらい、一緒に写真を撮ってもらい、やることが80歳近くになってもまるでミーハーと変わらない。まぁ偶にはこの少女趣味をご勘弁願おう。

 9時近くなってホテルへチェックインしたが、3日前に同じくワルシャワで泊まった空港前の‘MARRIOTT’や、今日の‘RADISSON’は一流ホテルであるが、どうもサービス面が気になる。最後の夜でもあるので、今夜はゆっくり眠りたい。

2017年9月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3789.2017年9月27日(水) 念願だったアウシュビッツ収容所見学

 今日は今旅行中で最も楽しみでもあり、期待もしていたアウシュビッツ収容所の見学である。その前にいつもよりやや早めにホテルを出て世界遺産・ヴィエリチカ岩塩坑を訪れた。エレベーターと階段を利用して地下135mまで下った。かつてこれより規模こそ小さいがザルツブルグの岩塩坑、ドイツの世界遺産鉱山を訪れたことがある。それに引き換え、このヴィエリチカは桁外れにスケールの大きい岩塩遺産である。中には塩で固められた立派な教会、地底湖、コペルニクスとゲーテ像などもあり、歴史的な事実を丁寧に伝えている。地震のない土地柄だろうが、よくぞ長年に亘って維持管理されてきたものだと思う。

 その後1時間半ほどかけてアウシュビッツ収容所跡を訪れた。ここは珍しく負の世界遺産として登録されている。残念ながら案内は日本人ただ1人の公認ガイド中谷剛氏ではなかったが、とても感じの良い日本語が達者な女性ガイド・マグダさんが案内してくれた。気障な言い方をすれば、夢にまで見ていたアウシュビッツは世界中から多くの観光客が訪れ、今日も駐車場には観光バスが溢れ、入場するにも大分待たされた。

 しかし、多数のユダヤ人をガス室で虐殺した暗いイメージが強く、どうしてもその存在を肯定的に捉えられない。一般にアウシュビッツ収容所と呼ばれる施設は、第1収容所と呼ばれている。そして、近くのビルケナウ収容所を第2収容所と呼んでいる。前者には、ユダヤ人収容者が最大で16,000人、後者には最大90,000人が収容されていたという。身に詰まらされるような話を伺った。前者には、主に宿泊、拷問、処刑、死体焼却などの施設があり、後者では馬小屋、集合トイレなどを見せてもらった。

 出発前からここへの訪問を勇んで見学に来たわけだが、入場を待っている間に何か肩身の狭い思いを感じたのも事実である。日独防共協定のせいで、ドイツが犯した犯罪まで日本人としてその罪を背負わされているような気に一瞬なったからである。もちろんこれはナチ・ドイツが犯した犯罪であり、ヒトラーを主とするドイツ軍人が強く非難されるべきである。実際この収容所の所長はアドルフ・ヘスだった。だが、その点でユダヤ人はドイツ人に対して相当罪悪感と謝罪の気持ちを抱いているのではないかと同情の気持ちも湧いてきた。

 同時にガイドの説明を聞いていても、ポーランドがいかに周辺諸国からの干渉や蹂躙、侵略に苦しみ、一時は国が歴史上抹殺され、復活した国家も国土を外国の都合で翻弄され、独立国としての体裁は中々思うようにならなかった。中でもロシア、ドイツ、オーストリアの侵略には手を焼かされてきた。ポーランド人のドイツに対する隠れた憎しみは、消えることがないのではないだろうか。

 今日の2つの収容所を訪れてみて感じたことがある。自分にとってこれまでシベリア、サハリン、旧満州、フィリピン・ビルマ・ボルネオなどの東南アジア、ミクロネシア・パラオなどの中部太平洋、南太平洋、オーストラリア、ブーゲンビル・ガダルカナル・ラバウルなどのニューギニア海域、パレスチナ、ノルマンジーなど第2次世界大戦やベトナム戦争、中東戦争に関係する数多くの戦跡地などを訪れて来たが、戦跡訪問はこのアウシュビッツ収容所を以って気持ちのうえで一応の区切りにしたいと考えている。決して満足感があるわけではないが、これ以上は訪れる戦跡はそうあるわけではないし、年齢的にも難しいと思っている。思い返せば、1972年に意識して戦跡を訪れてから半世紀近くが経過した。ふっと心の中に想い出すことはあるだろうが、一応これで実際に戦跡を訪れることは止めようと思っている。その意味でも今日快晴の下にアウシュビッツを訪れることが出来たことは、幸運だったと思っている。

 NPO知的生産の技術研究会・八木哲郎会長からも依頼されているので、帰国次第早速アウシュビッツ訪問記を「知研フォーラム」に寄稿しようと考えている。

2017年9月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3788.2017年9月26日(火) 世界遺産都市クラクフの観光

 ワルシャワからクラクフへの移動はバスではなく鉄道である。市内中心部の近代的なワルシャワ中央駅から座席指定の特急列車により2時間半ほどかけてこれも明るい斬新なビル、クラクフ駅に到着した。鉄道から見る景色も道路沿線と同じような並木が整った風景の連続である。ヨーロッパらしい絶景である。列車の走行に連れポーランドの農村地帯を飽かずに窓の外をぼんやり眺めていた。世界遺産都市・クラクフは幸いにも第2次世界大戦で、歴史的な遺跡が数多くあるとの理由で連合軍の攻撃対象から外された。中央市場広場周辺の狭い路地には、どことなく情緒が感じられる。

 今日は市内観光では時間的な制約もあり、まず現在国立博物館で公開されているレオナルド・ダ・ヴィンチの「白テンを抱く貴婦人」一点だけを鑑賞した。これが果たしてダ・ヴィンチ作品であるかとの真偽論が飛び交った中で、最終的にはキャンバス上に彼の指紋が検出されたことが決定的になったという。ダ・ヴィンチには、他にも真偽が取り沙汰された作品がいくつかある。私自身これまで鑑賞したダ・ヴィンチ作品の中でもパリ・ルーヴル美術館の「モナリザ」、ミラノのサンタマリア・デッレ・グラツィエ教会の「最後の晩餐」がとりわけ印象に残っている。その後中央市場広場、聖マリア教会を見て、少し歩いてヴァヴェル城を見学した。

 確かに古都らしい雰囲気の漂う市街である。だが、表面上それほど感じられないが、ポーランドは今政治的に大きな問題に直面している。かつてグダンスクで自主管理労組を結成して国内をまとめ、ノーベル平和賞まで受賞して、今は引退したワレサ元大統領への反感が浮上しているようだ。一方で、政界の最高実力者とされるカチンスキ「法と正義」党首が最高裁人事に介入しようとして、EUから制裁を課されようとしている。そのEU制裁を実行しようとしているのが、ポーランド元首相のトウスクEU大統領というのだから、何をか言わんやである。

 ポーランド人ガイドにこの問題について聞いてみても、渋面で首を傾げるばかりだった。市街からはそんなきな臭い空気は感じられない。でもそこに住む人々にとっては、避けられない難しい問題なのだろう。

 今回の旅行で最大の目的であるアウシュビッツ強制収容所、並びにビルケナウ収容所は明日見学する予定で、楽しみにしている。

2017年9月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3787.2017年9月25日(月) ショパンの心臓が埋められた聖十字架教会

 2日間宿泊したのは、あまり気が利かないホテルだった。他にも不満を述べていた同行者がいた。いつもより早く8時にそのカウナスのホテルを出発した。今日は首都ワルシャワまで長丁場だった。ひたすらポーランドへ向けてバスを走らせたが、どういうわけだが随分あちこちで道路工事をしていたので、度々渋滞に遭遇した。リトアニアとポーランドの国境は意識していたが、まったくそれらしさはなく、過去の遺物である検問所が空き家になっている傍を通過しただけである。その点では、ヨーロッパはひとつという、欧州連合(EU)の精神が良い意味で表れている。残念なのは、ポーランドでは未だにユーロが通貨とはなっておらず、従来のズウオッチのままであることだ。時計は1時間遅らせたが、それでも1時近くなって漸く予定のレストランに着いた。その後ワルシャワへ向かい、旧市内を歩いて観光したが、今回ワルシャワで最も期待していたのは、聖十字架教会だった。ここには教会内部の柱の下に音楽家フレデリック・ショパンの心臓が収められているからだ。ショパンは30歳の時パリへ行って、以降母国へ帰っていない。親しかった友人が帝政ロシアに身柄検束され、ショパンは捕まることを警戒して終生母国へ帰ることはなかった。そのショパンの郷愁の心情を察した姉が、遺体はパリに埋葬されたが、一部の心臓をこの教会に埋葬するよう差配したものだった。

 かつてスペインのマジョルカ島で♪雨だれ♪作曲のため使用した教会のピアノの鍵盤をこっそり叩いたことを想い出した。

 ショパンと言えば思い出すことがある。今から30年も昔のことだが、売れっ子だった作曲家の高木東六氏を車でご自宅へ迎えに行き、藤沢市内のコンサート会場へお送りし、その後江の島の料亭からご自宅へ再びお送りしたことがあった。その道中で高木先生からショパンの所縁の地を何とか一度訪れてみたいので、その節はよろしく案内をと頼まれた。その当時私自身生憎業務が多忙で、失礼ながら即答出来ず、いずれぜひともご案内したいと大先生に対して空手形を発行してしまった。それから数年後に高木先生は亡くなられた。その思い出が蘇り、高木先生に対して約束を果たせなかったことを申し訳なく思う、と同時に心が悔やまれる。高木先生には、妹の結婚式で♪水色のワルツ♪を弾いていただき、出席者に喜んでいただいたことを想い出す。今日遅きに失したが、先生の身代わりとして、確かにショパンの心臓に近づくことが出来た。

 昨日気になっていた大相撲秋場所の結果は、同行者の間で2番目に若いと推察される母子連れの娘さんに調べてもらったところ、何とトップを走っていた大関豪栄道を破った横綱日馬富士が11勝4敗の成績で逆転優勝を飾ったという。辛うじて横綱の面目を保ったとは言え、11勝で優勝なぞ私の知る限り空前絶後である。全般的に随分低レベルの場所だったのではないだろうか。帰ってからじっくり総評を見てみたい。

2017年9月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3786.2017年9月24日(日) 念願の杉原千畝記念館を見学

 昨晩から今晩まで宿泊している‘BEST WESTERN’のファシリティにどうも問題があり、私のみならず、同行者からも不満が出ている。部屋にかなり格差があり、それがサービス面に表れている。例えば、部屋に依ってはモーニング・コールが作用しなかったり、ドアが開かなかったり、その都度気配りの効く添乗員が走り回っているが、気の毒なように思っている。今回の旅では利用ホテルに問題があるようだ。

 今朝一番に訪れたのは、杉原千畝氏が第2次大戦中に主にオランダ在住のユダヤ人が迫害から逃れるために、日本経由で目的地へ行くための日本通過ビザを外務省の方針に逆らって自らの決断で発行した当時の領事館、現在の杉原記念館である。杉原さんのご長男弘樹氏は湘南高校で兄と同級生で私にとって1年先輩に当たる。また重枝豊英・特命全権大使も、ラトヴィアの藤井真理子大使も偶然にも同じ高校の後輩である。

 今月9日付朝日新聞には、建物が老朽化してペンキが剥げ放置されかねないことを見かねて熱心な塗装工仲間がボランティアで修理をしたと美談記事が報道された。だが、まだ足場が組まれて完全に外装工事が終わったわけではない。

 カウナスはかつてリトアニアの首都であったが、記念館の周辺は住宅地内にあり、住環境は申し分ない。記念館内で冒頭30分ばかりビデオを観ることになった。そして、杉原さんのそれほど広くない執務室で杉原さんが70年以上も昔に執務した席に座って記念写真を撮った。今旅行の目的のひとつでもあった場所だったので、感慨深く思ったところである。引き続き杉原さんが、カウナスからベルリンへ転勤を命ぜられ、カウナス駅を去るまでビザを発行し続けたドキュメント通り、その事実を刻した記念のプレートが飾られているカウナス駅を訪れた。更に首都ヴィリニュスの河畔に幸子夫人が植樹した桜の木々脇にも、所縁の記念碑があり、ここも訪れた。ビリニュスには、かつて天皇、皇后両陛下が訪れており、そのせいで国民の天皇に対する親愛の情が強いものがあるそうで、天皇誕生日には何らかの行事を行うらしい。

 ヴィリニュスには、歴史的観光箇所が数多くあるが、市内のストリートに軒を並べたカフェや土産物店などをぶらぶら歩きながら見てみるのも楽しいものだ。

 今日はヴィリニュスから再びカウナスへ戻って同じホテルへ連泊することになったが、いよいよ明日はポーランドへ入国する。最大の目的であるアウシュビッツを訪れることが楽しみである。

 さてホテルのテレビでイギリスBBCのWORLD NEWSを観ていたら、今日行われたドイツの総選挙で、メルケル首相が党首のキリスト教民主同盟(CDU)が32%、党員217名を獲得し、シュルツ氏が党首のSPDを20%、134名を破り、4期連続で政権を担うことになったことを華々しく伝えていた。詳しくは帰国後新聞で情報収集に努めたい。

 日本では大相撲秋場所千秋楽が行わている最中であるが、優勝が誰に決まったのかちょっと興味がある。優勝力士が誰なのか、残念ながらこちらのテレビでは結果が分からない。一昨日ラトヴィアのテレビでは、NHK・World Newsを観られたので、10勝3敗の大関豪栄道を9勝4敗の横綱白馬富士と平幕朝の山が追っているところまで分かっていたが、強豪力士が軒並み休場し、星取表も13日目にしてトップが3敗もするという、ややレベルダウンした秋場所は果たして誰が優勝しただろうか。

2017年9月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3785.2017年9月23日(土) リガ旧市内を見て改めて旧ソ連、ロシアの影響力を知る。

 リガ旧市内の細い路地をグループで歩きながら、聖ペトロ教会、リガ城、3人兄弟ビルなどを見て回った。自由時間に市場をぶらつき、リガ大聖堂を入場して厳かな雰囲気を味わってみた。外国からの観光客もかなり多いようだ。

 昨日から移動しながらガイドをする時は、提供されたガイディング・レシ―バーを耳につけている。多少添乗員との距離が離れても彼女が話していることははっきり分かる。我々が添乗していた当時は、話に聞く程度だったが、今や博物館見学の多いヨーロッパでは当たり前のようだ。ただ、これを耳に当てた時は補聴器を使えないが、これは補聴器の用も足しているのでレシーバー優先で使用している。

 市内で昼食を済ませてから郊外のルンダーレ宮殿へ出かける。市内の住宅地の環境がとても良い。一戸建てで庭スペースをたっぷり取った住宅が何軒も連なっているのを見ると日本より経済事情が良いのではないかと錯覚してしまうほどである。

 また、ガイドから宮殿について故事来歴を話してもらった中で感じたのは、ロシアの影響力とベルサイユ宮殿についてだった。ベルサイユ宮殿を模したと説明されたが、豪華さにおいては正直に言って、とてもベルサイユの足元にも及ばないと思う。

 その後ラトヴィア・リトアニア国境を通過してバルト3国の最後のリストニアへ入った。ここではシャウレイの田園の中にある十字架の丘へ立ち寄った。小高い丘とその周辺に大小取り混ぜた数多くの十字架が立てられている。ちょっと異様な感じではあるが、書で見たことがあるような気がする。観光バスやタクシー、自家用車でクリスチャンらしい人々が押し掛ける。そのままカウナスのホテルへチェックイン。時間的にもホテルには8時近くなっていたし、歩いた歩数もかなりあった。1万2千歩に近かった。明日はいよいよカウナスで日本のシンドラーとされる杉原千畝がユダヤ人に日本の通過ビザを発給し続けたとされる仕事場、元日本領事館を訪れ歴史を遡り、考える時間を持つことになると思う。

2017年9月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3784.2017年9月22日(金) バルト2国へ入って2日間の印象

 いよいよバルト3国の旅が始まった。最初の観光は、昨日入国したエストニアに始まる。バルト3国は、それぞれ旧ソ連、ロシアの支配によりかなりロシアの影響が強い。ロシアの民族人形マトリョーシカの人形が土産物店に陳列されているほどである。

 世界遺産に登録されている首都タリンは、長い歴史を誇るだけに全体的に落ち着いた街との印象である。市内には喧噪がなく、街も整然として街路樹がきれいに整備され、木々は少し紅葉が優っている。ホテルに近い高台にあるトームペア城は、狭い坂道を歩いて辿り着くのだが、展望が素晴らしい。その近くにアレクサンドル・ネフスキー聖堂があるが、帝政ロシア時代にロシア正教の教会として建てられただけにネギ坊主の屋根は周囲とはやや違和感を覚えた。教会内に入って入口近くに日露戦争で沈められた戦艦に乗船していたエストニア出身ロシア兵の慰霊の案内プレートが貼りつけられていて、日本人としては些か気になった。

 昼食後は6時間かけて次の目的地であるラトヴィアの首都リガへやって来た。途中エストニア・ラトヴィア国境を超えてバルト2番目の国へ入った。出入国の手続きはない。道中目に入る風景はほとんど変わりない。道路は整備され、途中の景色は田園風景が連なりこれというほど目立つものは見られなかったが、道路沿いの森林がよく保存されているのに感心した。白樺が目につくが、最も多い樹木は松である。背の高い松が立ち並ぶ沿道は中々壮観である。日本人にとっては松はとかく日本的な植物と思いがちだが、いろいろな松の種類が欧米や、アジアにはある。

 ところで、昨日、今日とほんの2日間の感想であるが、ホテルのサービス面はまだ欧米流の洗練さに欠けていると思う。今日宿泊のホテルは、入口からホテルのエントランスまでのアプローチが坂道で凹凸になっており、バゲージを引っ張っていくのに苦労した。2間もあるアプローチなので、ゲストと荷物の関係を考慮してせめて1mほどは凹凸のないスロープにすべきであり、経営者の感覚を疑りたくなった。2日間の感じでは、電話機の場所がベッドから離れたテーブルの上だったり、コンセントの位置が湯沸しに不便な位置だったり、風呂場の床シート・ウオッシュタオル・石鹸や、予備の毛布がなくて夜間寒かったり、少々気になった。

 一方で湯沸かし器が置いてあり、インスタント・コーヒーや紅茶がサービスされていて直ぐ温かいうちに味わえるのは有難い。

 市内の交通を見ていると、車のスピードが速く、交差点やカーブでは危ないと感じたが、いかがなものだろうか。

 明日は、リガの市内を見た後で3番目のバルト国、リストニアへ向かうことになるが、果たしてどんな姿を見せてくれるのだろうか。

2017年9月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3783.2017年9月21日(木) 世界遺産・エストニアの首都タリンへ

 ホテルから送迎バスで成田空港第2ターミナルへ来てみると第1ターミナルと変わらない立派なロビーだった。ツアーは33人の参加者で、これでは添乗員も大変だと思う。旅行会社で働き多くの海外団体旅行を企画、添乗した経験があるくせに、自分自身旅へ出るとなると団体旅行よりとかくひとりで旅する傾向がある。今度のツアーはバルト3国とポーランドを訪れ、しかもポーランドではアウシュビッツとクラクフを効率的に訪れるので、個人では中々このようにうまく旅行出来ないのでこれに決めて参加したものだ。

 フィンランド航空機はほぼ満席状態でヘルシンキまで直行した。ヘルシンキもほぼ20年振りである。流石に予想通りやや寒くセーターとジャンパーを機内で着込んだ。エストニアのタリンへ渡るシリアライン「ヨーロッパ号」出発まで時間があったので、ヘルシンキ市内観光を楽しんだが、かの有名な元老院広場の高台にある聖教会とアレクサンドル2世像、市電が懐かしい。

 シリアラインについては、20年前にストックホルムから1泊2日の船旅を楽しんだことを懐かしく思い出す。船では特別の席はなく、船内で簡単な買い物をしたり、カフェで軽食を取ったり、公的なスペースで同行の仲間と四方山話を楽しんでいた。その中でも84歳と80歳のご兄弟がご夫婦で参加され、しかも奥さんがそれぞれ足の不自由なのにも拘わらず元気なのには驚いた。自分もあまり老け込んだ発言をしないよう注意しなければいけない。

 今日はバルト3国の最初の国エストニアのタリンで最初の夜を迎えることになった。明日から楽しみが始まる。

 ところで、ヘルシンキへの飛行中機内で今朝の日経紙を読んでいるとビルマのイスラム系民族ロヒンギャ弾圧について、日経記者のアウンサンスーチー国家顧問へのインタビュー記事が掲載されている。スーチーさんは国連を始めとして国際社会から大分非難されているが、軍部とビルマ国民との間で難しい立場にいることが何となく分かる。軍部は、外からの批判には一切お構いなしで自分たちの思うようにしているようだし、彼女自身がイスラム系ロヒンギャに救いの手を差し伸べれば、90%が仏教徒の国民から非難されることは目に見えている。元はと言えば、ロヒンギャがビルマ・ラカイン州に定着するようになったのは、イギリス支配時代の19世紀後半に現バングラディッシュから旧インド人を移住させたことに端を発している。ビルマとしては彼らを宗教的にもビルマ人として受け入れられず、イギリスから独立を勝ち得ても彼らにビルマ人として国籍を与えなかった。それが今日「ビルマ国籍も与えず」との、ロヒンギャ寄りの考え方が国際社会に振り撒かれていることから、殊更ビルマ政府の対応が非民主主義的と強く非難される原因となっている。本当のところは中々分からない。だが、難民となったロヒンギャの言い分だけが通っていることも間違いないようだ。非難する前に、何が正しいのかを精査し、そのうえでロヒンギャの待遇をどう守るのか、ビルマ軍もこの関わり合いから逃げるわけには行かないのではないだろうか。

2017年9月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

3782.2017年9月20日(水) メキシコで32年前と同日に大地震発生

 JR成田エキスプレスで成田へやって来た。明日の早い出発に備えてホテル日航成田で前泊するためである。明日のフィンランド航空は第2ターミナルから出発するので、ターミナルからホテルへ迎えのバスで向かったが、その途中で第1ターミナルへ寄った。昨年キューバへ行った時は、羽田から出発した。成田はこれまで第1ターミナルしか利用したことがない。2014年も、15年も第1から出発したが、第2ターミナルの雰囲気から考えると周辺の空気がまるで別の空港のようだ。成田空港の印象も随分変わった。

 さて、メキシコでまたM7.1の大地震があった。メキシコ・シチーに近いプエブラ州で昼過ぎに起きた。1985年にも同じ日に大地震が起きた。日本時間午後9時時点ですでに死者217人を出している。8日に南部で起きた地震はM8.1 だったが、これほど大勢の犠牲者は出なかった。放映される画像が生々しい。日本も自然災害に襲われることが多いが、どこの災害を見ても自然には勝てない。

 今年も国連総会が開催され、アメリカのトランプ大統領が早速北朝鮮を非難した。アメリカの制裁を物ともしない傲慢な金正恩委員長にしびれを切らしたか、金正恩をロケットマンと呼び、ロケットマンは自爆行為に走っていると言い、北朝鮮を完全に破滅させる以外に選択肢はないとまで言い出した。トランプ氏は、ヨーロッパ諸国と結んだイラン核合意についてもやり玉に上げ、イランを攻撃した。日本にとって意外だったのは、トランプ氏が北朝鮮の非人道的行為のひとつとして、北朝鮮によって日本の13歳の少女が海岸からさらわれたと、拉致被害者の横田めぐみさんに言及したことである。

 トランプ演説に対して安倍首相が、今は対話でなく圧力をかけ続ける時だとして、トランプ氏が喜びそうなことを良い続けていることに対するお返しをしてくれたと言えないこともない。トランプ氏は上機嫌だった。善し悪しは別にしても、トランプ氏の言うことも一部的を射ていることは確かである。ただ、北朝鮮問題の先行きは誰にも分からない。米中ロの思惑や、駆け引きもあって北朝鮮には北朝鮮だけの我儘だけではない生き残りの悪知恵のようなものが憑りついているように思える。

 自国第一主義を主張するトランプ大統領に対する強い反発もあった。ブラジルのテメル大統領は保護主義を批判したり、フランスのマクロン大統領も地球環境を主眼にしてトランプ氏とは異なる見解を表明していた。

 国連が協調よりむしろ統制、自己主張に走り出したような印象を持った。

2017年9月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com