5209.2021年8月16日(月) アフガン政権崩壊、再びタリバン体制へ

 政治的にも社会的に不安定な状態が続いていたアフガニスタンで、ついに政権が崩壊した。イスラム系反政府武装組織タリバンが首都カブール郊外に進軍し、首都制圧を睨んでいたところへガニ大統領が昨日首都から国外へ脱出したことを受けて、何の抵抗もなく首都を制圧した。それにしてもタリバンの進出は素早かった。4月には数千人のアメリカ軍が残っていたが、その後アメリカ軍の完全撤退に向けた動きに合わせて5月には農村部を掌握し、6月から7月にかけて国境検問所を押さえて徐々に州都を制圧した。このままでは、アフガンはタリバンが近々国を支配するだろうと見られていた。アメリカは、同時多発テロ勃発は同じ国際テロ組織アルカイーダの仕業と睨み、その巣窟であるアフガン各地を空爆して、10年前には首謀者オサム・ビン・ラディンを殺害し、タリバンも都市部から追い払いアメリカ軍が20年間に亘ってアフガンに居座ることになった。だが、泥沼の戦いの中で兵士の犠牲や軍隊駐留費を無駄と考えたトランプ前大統領が、段階的撤退を進めることでタリバンと直接協議し、バイデン政権がこれを引き継いだ。

 幸いテロ事件も少しずつ減り、イスラム教徒としては女性に教育は不必要とか、女性の就労などに厳しい戒律は、世界的に非難され、タリバンとして多少歩み寄ったが、今後タリバンが政権を握るなら、イスラム世界文化が周辺諸国にも少なからず影響をもたらすだろう。

 それにしてもアメリカの利己的な政策によって、治安紊乱と無秩序を負の置き土産に中途半端なままアフガンを撤退するのは、あまりにも身勝手ではないか。

 2001年9月の9.11テロ発生とともにアメリカは軍隊を駐留し、10年後には11万余人もの兵士が駐留し、国内の治安確保と維持に当たって来たが、今年に入ってからは僅か650人の軍人しか駐留しなくなった。アメリカとしては注ぎ込んだ膨大な費用の割に、アフガン政府の後ろ盾としての得るべき効果が少なく、かつてソ連軍が侵入して一時的に勢力を伸ばしたが、あまりにも失うものが多く尻尾をまいて撤退したケースの二の舞となった。

 今後タリバンが支配するアフガン国内の政治的、社会的影響力が、どの程度国民に安心出来る生活を保障することが出来るだろうか。政治的に不安な国に介入しそうな中国が、今後どう出て来るだろうか。中国には新疆ウィグル地区のイスラム系ウィグル族に対する自由・民主化抑圧が国際的批判を浴びている折でもあり、迂闊な行動には出難い空気ではある。

 政権の交替や、国家の主導権の掌握のためには、選挙による民主的な方法が普通だが、近年は先のミヤンマー国軍による軍事クーデターのような手荒いケースもある。しかし、今回のアフガンのように反政府勢力が武力を示威しながらも、その一方で用意周到に軍閥に無血開城の話合いを仕掛けて時を稼ぎ、その間にガニ大統領が政権を放り出し夜逃げをするようなことが起きようとは、ついぞ知る由もなかった。テロの前年3月パキスタンとの国境・カイバル峠でパキスタン国境警備兵が監視し緊張する中をアフガニスタン・トルハム方面を遠望したが、あの荒涼とした環境と空気感を思うと感慨深いものがある。複雑な世界になったものだ。

2021年8月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5208.2021年8月15日(日) 信じられない特攻隊員9度の生還

 戦後76年の「終戦の日」を迎えた。しかし、本当に戦争は終わったのか、再び戦争が起きる心配はないのか、もしそうだとしたら「終戦の日」ではなく、「停戦の日」ではないかとの声を聞く。しばらく途絶えていた内閣閣僚の靖国神社への参拝も、昨日、今日の2日間あまり現実を真剣に考えない現、元閣僚が続々と参拝に出かけている。参拝者は決まって国のために尊い生命を捧げた戦没者に尊崇の念を捧げたと言うが、納められている戦没者の中にA級戦犯も含まれていることを知らないわけがない。その点をどう考えているのか。

 例年通り今日も日本武道館で天皇・皇后両陛下のご臨席の下に、菅首相、遺族らが参列して政府主催の全国戦没者追悼式が行われた。今年は新型コロナウィルスの感染拡大により緊急事態宣言下での開催となり、参列者はこれまでで最も少なく185人だった。4日ぶりに開催された甲子園の高校野球でも試合を一時中断して、選手、審判員、関係者らが1分間の黙祷を捧げた。

 テレビでも終戦に纏わる興味深い番組がいくつか放映された。そのひとつにテレビ朝日「ラストメッセージ ‘不死身の特攻兵’  佐々木友次伍長」と題する心の中に思い当たるドキュメントがあった。原本は高木俊朗著「陸軍特別攻撃隊」で、度々当時のビルマ(現ミヤンマー)を訪れていた1970年代に、戦時中読売新聞ビルマ特派員だった鈴木英次さんから友人が書いた本だが、面白いから読んでみたら好いと勧められ読了したドキュメントである。同書を読み終えた時、人間性を否定するこのような残酷なことが実際に行われていたのか、と衝撃を受けたドキュメントである。

 テレビでは極力事実に則って、主人公佐々木伍長が軍の規範に逆らって生き延びた人生模様をリアルに描き出していた。特別攻撃隊万朶隊員・佐々木伍長は、フィリピンでアメリカ軍への特攻のため何度も基地から離陸するが、その都度何らかの止む無きトラブルにより帰還する。一度特攻兵に指名されたら、御国のために一身を賭して敵を倒すとの決意で飛び立った筈だが、佐々木伍長は1度ならず、9度も引き返してきた。神兵として国からも地元でも名誉の戦死をしたと神に祭り上げられ、地元の新聞には慰霊に訪れる地元民の前で遺影を抱える両親の写真まで掲載された。だが、息子が生存している話を耳にした両親は、堪らず涙を堪えて早く戦死するよう息子に伝えたという悲劇である。陸軍としては伍長のような生き残り兵がいることは不名誉でもあり、もう帰ってくるな、早く死ねと言わんばかりのプレッシャーをかけ続けていたという。

 こういう特攻隊生き残りストーリーは実際にはほとんどなく、戦後除隊した伍長は故郷の北海道に戻ってからどんな気持ちで、周囲の人びとと接しただろうか。これも戦争が個人に与えた罪悪である。その佐々木伍長は5年前87歳でこの世を去ったが、長い間自らの戦争体験については、家族にもほとんど語らなかったそうだが、晩年になってこのドキュメントのようにテレビの取材にも応じるようになった。本心を隠して秘密を抱えたまま冥界へ旅立つのに、心残りと躊躇する気持ちがあったのではないかと推測出来る。佐々木伍長も哀れな戦争の犠牲者である。

2021年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5207.2021年8月14日(土) 甲子園また順延。戦時中の「幻の甲子園」

 いつもなら今頃は甲子園の高校野球で盛り上がっているころだが、生憎今年の夏は九州から本州を全域的に襲った豪雨のため、3日連続で全試合が順延される異例の事態となった。46年ぶりのことである。今日で6日目の筈だが、試合はまだ2日間しか行われていない。来週も降雨が続くと予想されているので、このまま更に延期されるようだと、その後予定されているプロ野球の日程とダブりかねない。

 さて、戦後76年、明日は「終戦の日」である。戦時中の全国中等学校野球大会(現全国高校野球大会)について新聞の切り抜きを紹介したい。太平洋戦争直前の1941(昭和16)年の夏の甲子園大会は、地方予選こそ行われたが、移動の制約や、戦時色の強まりで甲子園の本大会は中止となった。翌42年恒例の朝日新聞社主催ではなく、文部省が「国民精神の高揚」のためと唱して主催し、全国中等学校優勝野球大会が開催された。しかし、日本高等学校野球連盟(高野連)の記録には正式には記録されておらず、「幻の甲子園」と呼ばれている。以後1946年まで再開されなかった。

 その「幻の甲子園」で優勝したのが徳島商だった。決勝戦では京都代表・平安中(現龍谷大付属平安高)と対決して、延長11回四球により押し出しサヨナラ勝となった。その10年後私は平安高付属平安中に転入した。平安中のかつての同級生たちは、平安高3年生となった昭和31(1956)年、晴れて3度目の全国優勝を飾った。その7年前に神奈川県立湘南高が、初出場・初優勝を成し遂げた。そして昭和29年、私はその湘南高へ入学することになった。何かと甲子園とは縁が切れない。

 42年あの戦時下で支障なく開催され、日本本土のみならず、朝鮮、満州、台湾など旧植民地の代表校ら16校が出場した中等学校野球大会は、当時の開会式の写真を見る限り平時と変わらずスタンドは超満員だった。主催者が朝日新聞社から文部省に代わったからとは言え、ルールに則って盛大に行われた大会を正式な記録から取り除いて幻の大会にしたままでは、力を発揮して栄誉ある出場を勝ち取った学校や選手らにとっては諦めきれない悔しさと理不尽さが溜まるばかりだろう。

 当時台湾の台北工から出場した現在95歳の選手は往時を想い、「甲子園ちゅうのは夢の夢。行きたくて行きたくて。とにかく喜びました」と回顧している。兄も同校の投手で主将だったが、翌年卒業と同時に陸軍に入り沖縄に派遣され乗艦が爆撃されて命を落とした。今も存命の16校の部員らは、お互いに連絡を取り合い「幻の甲子園 球友の会」として集いを開いているという。実際に地方予選を行い甲子園で優勝決定戦まで行い、これほど麗しい話がある甲子園大会を最早「幻の甲子園」とは呼ばずに、正式な大会と認めてあげても良いのではないかと思う。

 野球好きが高じて甲子園と関係深い中学、高校に通った私には、いつまで経っても甲子園への思いは人一倍で、懐かしいところである。

2021年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5206.2021年8月13日(金) コロナ新規感染者が1日2万人を超えた。

 今日新型コロナウイルスの新規感染者が20,355人となり、ついに2万人の大台に乗った。東京都内の感染者は5,773人となり、過去最多記録をまたもや更新した。専門家からは非常事態と言われている。昨日感染症対策文科会の尾身会長が、東京都は今後2週間、人出を緊急事態宣言が始まる直前の50%まで減らす必要があると緊急提言をした。しかし、昨日午後3時の対前日同時刻の人出は、渋谷▲24.1%、新宿▲23.7%、銀座▲17.7%、池袋▲5.2%に留まり、とても▲50%には届かない。夜間の8時ごろ盛り場の新宿歌舞伎町で▲15.9%、渋谷センター街が▲26.2%で、これでは切望する▲50%はまだまだ遠い目標である。しかし、菅首相は今夕のぶら下がり会見で、ロックダウンについては改めて強く否定していた。

 神奈川県のコロナ感染者も増える一方で、2日県が緊急事態宣言の対象に加えられたことを受けて、ほとんどの海水浴場が閉鎖された。県内の25の海水浴場の内、藤沢市内の3つの海水浴場だけが営業されたままだった。だが、これら3つの海水浴場も16日に閉鎖されることに決まった。若いころによく鵠沼海岸で泳いだものだが、それも閉鎖され、「湘南の海」が代名詞の藤沢市としては寂しいところである。

 さて、ネットを観ていて「戦没」したオリンピック・メダリストに、慶應OBが2人もいたことを初めて知った。1936年ベルリン大会棒高跳びで西田修平選手と銀、銅メダルを分かち合った大江季雄選手については、西田選手とのエピソードが学校教科書にも紹介されるほどあまりにも有名である。大江選手は、41年フィリピン・ルソン島でアメリカ軍との戦闘中に27歳の若さで戦死した。

 今日知ったのは、32年ロスアンゼルス大会の競泳100m自由形で、金メダルを獲得した宮崎康二選手に次いで2位に入り、銀メダリストとなった慶大生河石達吾選手である。宮崎選手は19歳のゴールド・メダリストとして何かと取り上げられて知名度が高いが、河石選手はあまり知られていない。彼は終戦前に硫黄島で戦死された。享年33歳だったが、気の毒なことに出征後誕生した長男の顔を見ていない。

 ロス大会後河石の誘いもあり、宮崎と200m平泳ぎ銀メダリストの小池禮三は、慶大に進学した。因みにロス大会では、日本が競泳で獲得した5個の金メダルはアメリカと同数で、銀、銅メダルは日本より少なかった。これがアメリカ水泳界に大きなショックを与えたと言われている。それほど日本チームの敵地での活躍は目覚ましかった。或いは、この空気感が、「アメリカ、何するものぞ!」とクソ度胸に火を点け、その5年後無謀な太平洋戦争に突っ込んで行った遠因にもなったのではないだろうか。

 今日は朝から広島県に大雨特別警報が出され、九州北部から中国地方の広島県で記録的な大雨になった。午後には三次市の江の川上流が氾濫した。九州では長崎県雲仙市、熊本県天草市の降雨量が最多記録を更新し、土砂崩れなどが起きた。その他に北陸地方でも土砂災害警戒情報が発表され、各地で避難指示が発令された。当分日本列島は雨模様のようだ。東京も朝から雨が間断なく降り続いている。そういえば、今日が好い日であるわけがない。呪われる「13日・金曜日」である。

2021年8月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5205.2021年8月12日(木) コロナ感染者、連日の過去最多

 2日に慶應病院で受診した人間ドック検査の結果、若干便潜血反応が表れた。総合的に検査項目について説明してくれた医師から、便潜血の基準値としては(-)が望ましいところだが、(3+)だったので、専門の消化器内科の医師に相談するよう勧められ、今日同病院消化器内科へ相談に出かけた。消化器内科医師から一昨年にも同じ数値、症状があり、その時大腸の内視鏡検査を受けポリープを乗り除いたので、今回もそのようにした方が良いとアドバイスされ、来週改めて内視鏡検査を受けることになった。当分の間医院通いが続きそうだ。

 さて、オリンピックは終わったが、相関関係があると話題になった新型コロナウィルス感染は、その後収束へ向かうどころか、益々その勢いを増している。昨日は、新規感染者が大阪をはじめ、9府県で過去最多を記録し、全国でも過去最多の15,812人が発症した。国内の感染者数は107万1,410人となり、亡くなった人は15,348人である。そこへ今日も昨日に続き、全国の感染者は過去最多の18,890人だった。過去最多の府県は、大阪、沖縄をはじめ、20府県に上った。

 新規感染者数は、前週に比べて全国で1.33倍に増加している。今や東京を中心に全国で重症者が増え、病床数の不足から容易に入院出来ず、自宅療養者が増えたことが懸念されている。最近はインド方面で流行ったデルタ株が日本国内でも流行っているようだ。 今日開かれた東京都のモニタリング会議で、専門家から「制御不能な状態」「非常事態」「医療提供体制が機能不全」と危機感を示された。人流は減っていると菅首相は述べたが、統計を見れば、間違いなく増えている。特に、新宿、渋谷など繁華街では増えている。

 かつて菅首相は国民の4割がワクチン接種を1回終えると感染者が減少すると述べたが、すでに先月30日に国民の40.2%が1回目のワクチン接種を済ませた。ところが、現実には感染者は減少どころか、増加する一方である。デルタ株などの流行で「出口戦略」が見えなくなったが、首相は荒療治のロックダウンは日本では馴染まないと否定的に語ったが、思い切って即効性のある短期間だけでもロックダウンを実施しないとこの勢いは止まらないのではないか。街頭でのインタビューを聞いていると、それぞれに言い分があるようで、若い女性のグループは、緊急事態宣言慣れしてしまったので、気をつければ心配ないなどと無責任、無頓着なことを喋っていたが、ある中年男性は、ロックダウンどころか、戒厳令でも布かなければコロナの勢いは止まらないなどと述べていた。

 ところで猛暑にうんざりしていた数日前に台湾周辺に台風が3つも発生したと思ったら、今日は豪雨が九州、中国地方を襲い、九州は昨年に次いで何年に1度という規模の豪雨に晒されている。線状降水帯も発生し、避難する人も増えている。明日の天候は、九州地方から北海道を除く北日本まで全域に亘って降雨の予報が出ている。コロナ禍に加えて猛暑、そして豪雨にまで襲われ、今年の夏は、まさに踏んだり蹴ったりである。

2021年8月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5204.2021年8月11日(水) 「ローマの休日」を懐かしく鑑賞

 新型コロナウィルスによりステイホームを求められてから、夕方のウォーキング以外は極力外出を避けている。ずっと兄弟妹や友人らと会えなくなったのも寂しいが、映画を鑑賞出来なくなったのも少々厳しい。映画を観るのが特別好きというほどではないが、ドキュメンタリー作品や社会派映画を映画館で1年に1~2本は観ている。つい最近「アウシュビッツ・レポート」という2人のユダヤ人のレポートにより、12万人の生命が救われた実話を映画化した作品が公開されたことを知った。4年前にアウシュビッツ収容所を見学し、ビザを発給してユダヤ人6千人の命を救った杉原千畝が勤務したリトアニア・カウナスの領事館を訪問見学した。また杉原の長男が偶然にも兄と高校の同級生だったこともあり、何かと縁を感じていることもありアウシュビッツに強い関心を持っている。コロナ禍ではあるが、その映画を何とかして観てみたいと考えている。

 そこへ今日偶々懐かしい映画をNHK・BSで放映していた。途中からだったが、つい懐かしさのあまり最後まで見終えた。名作「ローマの休日」だった。これは、ウイリアム・ホールデンがアカデミー主演男優賞を獲った「第17捕虜収容所」と並んで、新人女優のオードリー・ヘップバーンがアカデミー主演女優賞を受賞した名作である。ローマ市内を観光する度に訪れるコロッセオ、トレビの泉、スペイン広場、真実の口などの観光名所をいくつもヘップバーンと、共演者の新聞記者グレゴリー・ペッグがスクーターで案内してくれる。懐かしく思った。

 この名画を改めて鑑賞してショックを受けたのは、あまりにも記憶がおぼろげになっていて、大分記憶違いがあったことである。覚えていないシーンが随分あった。2つの映画はいずれも1953年制作作品であるが、藤沢市内の映画館でこの映画を観たのは高校生になってからだから、もう70年近くも昔のことである。

 最も衝撃を受けたのは、映画の最後にヘップバーン演じる「王女」と記者団との挨拶の交換シーンがあり、記者の友人の写真家ラドビッチが、こっそり「王女」に封筒に入れた写真を手渡した場面は、今の今まで新聞記者が「王女」に手渡したと思っていたことだった。大きな勘違いだった。思い違いのような誤解が生まれるのは、ある面で止むを得ないかも知れない。しかし、映画の最後の決定的に重要なシーンを勘違いしていたとはちょっとショックだった。ただ、これは初めて映画を観て以来ずっとそう思い続けていたことでもあり、認知症のプレ症状とはあまり思いたくない。

 久しぶりに懐かしい名画を観て、良き思い出に浸りつつも記憶の曖昧さに、少なからずショックを受けたことも事実である。

2021年8月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5203.2021年8月10日(火) 夏の甲子園・高校野球始まる。

 夏の風物詩でもある高校野球が今日から阪神甲子園で始まった。夏の甲子園と言えば、懐かしい思い出がいくらもある。昨年は新型コロナウィルスで中止となり、2年ぶりに49校が参加した開会式が例年とは異なるスタイルで行われた。

 母校・神奈川県立湘南高校は、1949年全国高校野球大会に初めて出場して、初出場初優勝の栄冠に輝いた。当時の出場校の中には今日とは異なり、私立校に比べて公立校の方が遥かに多かった。因みに母校は決勝戦まで4校と戦ったが、すべて相手校は公立校だった。それが、今年は甲子園出場校の内8割が私立校となった。商・工・農業高校を覗くと普通校は僅か4校しかない。しかも、優勝回数が多く、連続出場の多い高校が増えた。甲子園に出られる高校は、一部の高校に限られるようになったようだ。甲子園常連校、いわゆる「野球学校」が目立つようになった。強豪野球部を創り上げることが、生徒を広く集める学校経営の柱のひとつにもなったようだ。時代の流れでもあろうが、プロ野球化の影響も見えるようになった。その反動だろうか、文武両道の高校は今ではむしろ珍しくなった。

 そんな傾向にやんわりと警鐘を鳴らすかのように、今日開会式の後の始球式で珍しいプランがあった。甲子園近くの甲陽学院高校で昨年3年生として甲子園を目指しながらも予選が行われず卒業し、初志貫徹で文武両道の「武」ではなく「文」を見事に成し遂げ、現役で大学医学部に合格した2人の元高校野球部員が始球式でバッテリーを組んだ。今や甲子園に出て野球で名を上げたいばかりに、地元の高校より他府県の強豪校で活躍したいと遠隔地へ転校する高校生も見られるような時代である。

 他にアレっと思ったのは、第1試合の後半を観ていて面白いことに気づいた。米子東高を破った日大山形高校の校歌演奏で、歌い出しの箇所に♪Boys, be ambitious.♪を2度も繰り返したのである。北大からイチャモンがつくことはないと思うが、言わずと知れた北大で語ったクラーク博士の言葉ではないか。

 中学校3年生だった1953年夏には、兵庫県芦屋市内の父の知り合いのお宅でお世話になりながら、開会式から3日間ひとりで甲子園へ通い詰めてその間の全試合を観戦したことがある。今でも覚えているのは、前年優勝した優勝旗を返還した芦屋高・本屋敷錦吾主将(元立教大、阪急、阪神)、東筑高の仰木彬投手(元西鉄、近鉄、オリックス)、中下投手(浪商)・中山投手(中京商)・空谷投手(松山商)の投手3羽カラスらをじっくり間近に見たことである。その後息子たちが小・中学生になってから泊りがけで甲子園に出かけたことが何度もある。

 近年プロ野球にあまり興味が湧かなくなったのは、高校野球にそれほど魅力と関心を抱かなくなった影響もあるのではないかと思っている。表面的にはともかく、高校生らしい純朴さが年々失われていくような気がしている。それは高校生球児の所作より、周囲の大人たちが自分たちの大舞台を作り上げようとすることに原因があるような気がしている。たかが高校生の全国大会に国を挙げて大騒ぎしてまでビッグ・イベント化する必要性はないと思う。あまりちやほやさせずに、地味な高校野球大会であって欲しいものだと思う。

 今日も暑かった。東京都心部は36.8℃で初めての猛暑日となり、八王子市にいたっては38℃だったというから、つい昔を想い勤めに出かけるサラリーマンに大変だなぁと思わず同情してしまう。

2021年8月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5202.2021年8月9日(月) 「長崎原爆の日」平和祈念式典

 今日は広島原爆投下に次ぎ、長崎でも原爆投下して以来76年が経った。平成天皇(上皇)はかねがね「終戦の日」「広島原爆投下の日」「長崎原爆投下の日」「沖縄慰霊の日」を忘れてはならない4日として、毎年欠かさず黙祷を捧げておられるそうだが、今日も上皇后とともに仙洞仮御所で黙祷され、今上天皇、皇后両陛下も愛子さまとともに赤坂御所で黙祷されたという。

 田上長崎市長が読み上げた平和宣言の中には、核禁止条約への批准を求める言葉とともに、政府に対して来年1月開催予定の第1回締約国会議へのオブザーバー参加を求めた。また、先日広島の「黒い雨」と同様、長崎の同じような被爆体験者にも同等の対応を求める要請をした。菅首相も平和式典に1分遅刻して出席したが、この点については明確には応えなかった。

 そんなこともあってか、コロナ禍でのオリンピック開催、コロナの感染拡大に対する一貫性を欠く対応でとかくの批判がある菅首相に対する支持率は、今日公表された朝日新聞の世論調査に依れば、昨年9月菅政権発足後初めて30%を切り、28%となった。支持しない人は、過半数を超えて53%だった。最近首相からは自信や、落ち着き、存在感などがあまり感じられない。今年秋には、総選挙が行われるが、昨今の自民党議員の金銭がらみのスキャンダルなどを考えるとよほど体制を立て直し、しっかり地盤固めを行わないと厳しい事態に追い込まれかねない。

 さて、オリンピック閉幕から1夜明けて各国選手団が母国へ帰り始めた。彼らは東京大会にどんな印象を抱いたことだろうか。楽しかった良き想い出があったとすれば幸いである。新型コロナウィルス感染拡大の下に無観客のまま開かれた前代未聞の大会について、各国メディアの評価もまちまちだが、概ね好意的だった。

 国際オリンピック委員会(IOC)バッハ会長は、日本の開催を高く評価し菅首相、橋本組織委員会会長、及び小池都知事らが開催に尽くした功績に対して金賞を授与し、次回パリ大会のエスタンゲ組織委員会会長、及びイタルゴ・パリ市長は「大会開催のためにこれほど多くのことをやってきたホスト都市はない。順応性をもって取り組んだ東京に対して金メダルを差し上げたい」とべた褒めだった。

 ただ、今大会はアメリカでは視聴者の関心が大分低く、独占放送をしたNBCテレビの視聴者数は平均1,680万人で、前回リオ大会の2,900万人に比べて大きく落ち込んだ。これは、リオ大会で4つの金メダルを獲得し、最初から新聞紙上に女子体操女王のシモーン・バイルス選手が連日出場すると大きくPR報道し、高い視聴率が期待されていた。だが、彼女はメンタルヘルスで唐突に棄権し、最後の種目別の平均台で何とか銅メダルを獲得した。バイルス選手の突然の欠場が視聴率に大きく響いたと言われている。視聴率低下が予想される場合、NBCは次回大会以降放送権料についてどういう対応をするだろうか。

 閉会式について昨日の本ブログで気まぐれに取り上げた閉会式の最中に、パリ・エッフェル塔前広場からの生中継で押し合いへし合いの群衆について、今日の6ch「Nスタ」で井上キャスターもこの情景について、随分人が混みあっていたとコメントしていた。世界へ発信されるのだから、この点についてもう少しパリ市もソーシャル・ディスタンスを守っている他の都市への配慮が出来なかったものだろうか。これではフランスで日本の6倍以上もの感染者が出てしまうのも無理ないのではないかと思ってしまう。

2021年8月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5201.2021年8月8日(日) オリンピック東京大会無難に閉幕

 7月23日に開幕したオリンピック東京大会も今日閉会式を迎えた。数日前から南方洋上に発生した3つの台風が日本を取り巻き、今日も時々激しい雨が降った。幸い今日の競技が台風の影響を受けることはなかった。閉会式は午後8時から行われたが、日本的に変わった趣向も盛られて中々印象深いものだった。小池知事からバッハ会長の手を経てファッションの本場からやって来られたパリジェンヌのイタルゴ市長へオリンピック旗が手渡されたが、水色の留袖の小池知事の明るい色合いに比べて、ディオールの黒っぽいロングドレスを召された市長は、ややくすんで見えた。最後に次回会場のパリから送られてきた映像では、歓迎の気持ちを表そうとしたのだろうが、ソーシャル・ディスタンスにまったくお構いなく人びとが密集していたのが、若干気になった。

 今も燻っているオリンピック返上論や、中止の声がある中をとにもかくにも幕を閉じることが出来た。幸い開催が1年延期され、新型コロナウィルスの感染が拡がる中で、無観客という異例なケースだったが、大会の運営は大きなトラブルもなく終わった。ただ、懸念されていたコロナ感染者は、予想以上に増え続け、開会式当日には4,199人だった全国の感染者が、今日は14,472人だった。昨日に次ぐ過去2番目の多さである。オリンピックを警備する全国から派遣された警察官が49人も感染し、参加した選手のうち29人も感染した。菅首相は人流が減ったとコロナとオリンピックの関連を気にしていないようだが、感染者は確実に増えた。

 年間で一番厳しい猛暑の時期に行われた競技は、事前に十分な暑さ対策が指摘されていたが、初めて知る日本の夏の蒸し暑さに外国人アスリートも閉口していたようだ。その結果大会中に試合開始時間が変更されたことが、しばしばあった。屋外競技にとって最悪の暑い盛りに大会を開催し、競技自体もアメリカ国内で観やすい時間帯に行われていたことは、国際オリンピック委員会(IOC)の都合というより、テレビ放映権料を餌にしたアメリカのメディア・NBCの都合によるものであるが、選手の健康を配慮しないスケジュールが大会関係者やテレビ視聴者にとって妥当かどうか、今後慎重に検討されるべき課題である。

 開会前に心配されていた不祥事や、事故などが見られず、選手村が隔離されるような管理が難しい状況で何とか実施出来たのは、まずまずだったと言っても好い。参加したアスリートの協力、ボランティアらの奉仕などにより無事開催出来たものと思う。それに加えて日本人の細かい点に配慮する几帳面な性格や親切さが、このような結果をもたらしたものだと思う。

 日本チームとしても獲得したメダルの数は、過去最多で金27、銀14、銅17個の計58個で、金メダル獲得数は、アメリカ39、中国38に次ぐ第3位だった。

 前記の高額な放映権料のため、テレビ会社では出費が広告収入を上回り、各社とも赤字に頭を抱えているという。その放映権料は、来年開催される北京オリンピック分も包括しているため、再び北京でも赤字が予想され、各テレビ会社では2021年度下半期の経営は厳しい決算になると予想されている。

 ともかくオリンピックは、開会直前にいくつもの難問が噴き出し、それでも幸運にして有終の美とは言えないまでも大きな問題もなく終えることが出来た。まだまだコロナ禍が拡がっている。その最中に今月24日から開催されるパラリンピックが、無事に開催出来るだろうか、一抹の不安は拭えないが、大きなトラブルもなく9月5日に閉会式を迎えられるよう願っている。

2021年8月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5200.2021年8月7日(土) アメリカ駐留軍がアフガンから撤退

 ニューヨーク同時多発テロが勃発してから来月には、早や20年になる。テロ直後に「目には目を」とばかり、激高した当時のジョージ・ブッシュ大統領がアフガニスタンのタリバンの巣窟へ攻撃を仕掛けてアフガン戦争が始まった。アフガニスタンは現在多少落ち着いて来たとは言え、未だ政情は不安定である。国内各地にタリバンが網の目のように拠点を築いている。テロの前年にパキスタンとの国境カイバル峠に立ち眺めたトルハム方面にも出没しているのかもしれない。だが、アメリカがアフガニスタンへ軍隊を派遣して20年が経過し、アメリカ国民の間にも疲労気味で軍隊撤退の声が出ていた折に、バイデン大統領は今月中にすべての駐留米軍を撤収すると公表した。そして7月2日未明駐留米軍の最大の拠点だった首都カブール近郊の空軍基地から、米軍が完全に撤退した。アフガニスタン政府に撤退の時間を知らせていなかったため、アフガン軍高官の間では、まるで夜逃げではないかと皮肉られている始末である。

 翻ってアメリカのアフガニスタンにおける駐留、統治は、万事うまく行われたのかどうかは極めて疑問が残る。それはすべてアメリカのやり方で実施されていたことでも分る。確かにアルカイダ一派のテロによってニューヨーク、及びワシントンD.C.が襲撃されたことは事実であるが、その後のアメリカのアフガニスタンへの対応は自国のためのリベンジだけの報復と支配であり、アフガニスタンの国民のためには何のプラスももたらさなかった。

 アメリカの撤退理由として、アフガニスタンが安定した国情を取り戻したということが言われているが、反ってタリバンらテロ組織が力を取り戻し、軍事力においてもアフガン正規軍を凌ぐほどである。また、彼らの復権が周辺の中国のみならず、一時侵攻したロシアにも危機意識を呼び起こしている。市民レベルの視点から最も気になるのは、米軍撤退により長年に亘り米軍のために協力していながら、タリバンから国家の裏切り者、或いはアメリカのスパイと見做されているアフガン人通訳をはじめとする、米軍基地労働者らの身の安全である。この点を危惧したアメリカ政府は、希望者には特別移民ビザの許可を与えると伝えた。ところが、短期間、或いは一時的に米軍への協力者だったアフガン人には、その処遇はない。彼らは一時的とは言え、アメリカのために働いた。それにも拘らず、その恩恵を受けることが出来ず、その不満の声にアメリカも苦悩し対応を考えていた。このほどアメリカ政府はこれらのアフガン人に対して新たに難民として受け入れる方針を発表した。

 しかし、これで問題が解決したわけではない。アフガン国内には新たな問題が起きつつある。タリバンに比べて、すべての面で心許なさを感じるアフガニスタン政府が、これからアメリカの支援なしに国内の治安を維持し統治出来るだろうか。それにしても利己的にアフガン国内へ入り込み、国内の安全のためと称して政治、社会的に影響を及ぼし、自国の判断で後事を頼り甲斐のないアフガン政府に委ねて軍隊を撤収させて引き上げるという、身勝手さには微力なアフガンが哀れに思われる。これを現代流の他国への干渉・支配の見本と言ったら好いだろうか。

2021年8月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com