ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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5767.2023年6月5日(月) 懐かしの故郷もトリプル無投票の町に

 中国や北朝鮮のような覇権国家では、前時代的で非人道的な指導者が独裁的権力を揮い、国民に民主主義の基本である立法、行政、司法の3権を認めず、選挙で国民の声を聞く気持ちもない。民主化抑圧を行っているのが実態である。
 言うまでもなく民主国家では、大なり小なり選挙によって住民の気持ちを汲み取るのが、自治体のリーダーとして基本的に欠かせないことである。ところが、それについて今春の統一地方選では、驚くべきことに選挙が行われない無投票の自治体が大分あったのである。法律的に、また自治体の選挙管理委員会としても実施する計画であったが、それが出来なかった自治体が相当数に上った。しかも、それは過去に比べても大分増えている。

 特にショックだったのは、道県議選、市町村長選、市町村議選の3つの選挙が行われなかったトリプル無投票の町村が16もあったという現実である。実施されなかった理由は、単純に立候補者数が定数に満たなかったからである。それは全国的に拡散しているが、16町村の内7町村が北海道内の自治体である。

 私にとって驚きだったのは、北海道以外の9町村の中に千葉県鋸南町が入っていたことである。鋸南町は、文字通り鋸山南部の東京湾沿いの勝山町と保田町が昭和34年に合併して誕生した、人口7千人弱の小さな町である。私たち一家は、昭和20年4月終戦直前に父が千葉市へ転勤という事情により藤沢市から旧勝山町へ転入し、私は戦時下に勝山国民学校初等科へ入学した。米軍の空襲が激しい中を近所の人たちと近くの岩山の防空壕へ逃げ込んだものだ。旧勝山町には4年半に亘って生活し自然に溢れた海山と友だちに恵まれ自由奔放に楽しい時を過ごしたが、町には勤め人はほとんどおらず、ほとんどが漁師と農家だった。そんなせいもありこの町を去ってから親しく付き合っていたのは、たったひとりである。学校でも優秀だったその友人は国立大学から大手商社に勤務し、彼のロンドン在任中に私の出張と偶然重なり現地で一度夕食を共にしたことがある。最近は体調があまり優れないようで、交流も途絶えがちだが、鋸南町との唯一の絆である。

 終戦直後は町も豊かでなかった中で、威勢の良かったのは漁業だった。その網元が町長を務めていたが、今年は4月の町長選挙に誰も立候補者がいなかったという。千葉県議選の地区議員と町議会議員も定員に達しなかったというから、随分冷めた町に変貌してしまったようだ。毎年7月に行われていた町内の夏祭りや、相撲大会はどうなったのだろうか。3年ほど前の9月に大型台風が襲来してかなり家屋が損壊したシーンをテレビでしばしば放映していた。1度末弟と鋸南町をしばらくぶりに訪れてみようと約束したが、それもコロナ渦で実現出来なかった。久しぶりに知った現在の鋸南町は、選挙でトリプル無投票の町にリストアップされてしまった。でも今以て子どものころの思い出がいっぱい詰まっている鋸南町には、ノスタルジアを感じている。今年辺り行ってみようかと言う気持ちもある。

2023年6月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5766.2023年6月4日(日) 天安門事件から34年、中国益々非民主化国家へ

 あれから34年である。世界を震撼させた天安門事件発生からである。1989年4月に改革派の胡耀邦元総書記が死去し、その死を追悼するために学生らを中心に北京市民が天安門広場に「自由」と「民主化」を求めて集まった。そこへ中国人民解放軍が無差別発砲を繰り返し、多くの犠牲者を生み、彼ら市民を武力で抑え込んだ。犠牲者の数は、当てにならない中国政府公表の「319人」を遥かに上回る、1万人以上(イギリス政府外交文書)と推定されている。習近平政権は、天安門事件の武力鎮圧を正当化している。遺族は、政府が事件の犠牲者遺族に謝罪し、人民に懺悔することを求め、その一方で政府が残酷な事実の記憶を消そうとしていると批判している。

 この事件をきっかけに中国政府の中国人民に対する反民主化対策に拍車がかかった。1997年イギリスから中国へ香港が返還された後、中国は50年間1国2制度体制を保持すると約束したが、間もなくしてそれは中国の一方的な行動により破られた。2020年6月中国政府は、香港への統制を強める国家安全維持法を成立させ、中国政府が司法、行政、立法を直接支配することによって1国2制度は実質的に崩壊した。

 コロナ渦対策でも中国帝国主義政府の人民弾圧は止まらず、昨年11月厳しいコロナ政策に対する市民の怒りが沸騰し、その怒りは珍しくも抗議デモとなって、それは中国全土に拡大した。意外だったのは、デモには市民の本音である習近平総書記に対する日ごろのうっ憤が示され、習近平支配を辞めさせることをアピールしたことだった。反抗のシンボルとして、デモ集団は白紙を掲げた。白紙が意味することは、「白い紙は、我々が何かを言いたくても言えないことを表している」とデモ参加者は述べている。これほど大っぴらな反習政権を行動で示したのは珍しい。ところが、それもつかの間で抗議行動は平和的に行われたが、それでも警察当局はこれを放っておかなかった。警察は通りを封鎖し、デモ参加者を逮捕した。結果的にデモ行動は、治安当局によって鎮圧されてしまった。毎度のことながら中国帝国主義政府の常道である。

 今や中国には、習近平独裁政権に抵抗出来るものはなくなってしまったのである。民主主義的行為はすべて否定され、行動を起こせば直ちに逮捕され、その圧制はお隣の独裁国北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党総書記に似て、国民に平和で安心できる生活を保障するより、自らの権力志向を優先させ、それを邪魔するものがあれば、断固として個人と言わず組織であろうとすべてを弾圧する構えである。国際的にも国際法を犯し、自国領土の拡大を目論んで、他国との間に紛争の種をばらまいている。まったく共産主義者の対極にいながら、共産主義者を名乗り、恥ずかしげもなく共産主義思想を傷つけている。いつになったら中国は今の悪逆非道の政治を止めるのだろうか。

2023年6月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5765.2023年6月3日(土) 熊本城復興支援チャリティコンサートを鑑賞

 大学ゼミの友人長谷川くんと吉祥寺駅近くの武蔵野公会堂で開かれた「熊本城復興支援チャリティコンサート」に主催者「クラシック音楽同好会」山本富士雄会長のご案内により鑑賞に出かけた。この数年コロナ渦のせいで中止となっていたが、今日は久しぶりに復活し、終始楽しく鑑賞することが出来た。山本さんはすでに米寿を迎えられたにも関わらず、今も矍鑠としてプロ・アマの出演者の中で企画、演出、歌唱面で中心メンバーとして活躍されておられる。歩き方もやや膝と腰が曲がり、やはり年齢的なものを感じるが、ステージで歌い始めると声量のある声で見事なテノールを聴かせてくれる。最初の1曲は♪ゴンドラの唄♪をやや元気がないように唄って気になっていたが、後のオペラ2曲はジェスチャーも交えて自信たっぷり見事に唄いあげ、最後に全員でヴェルディの「椿姫」の♪乾杯の歌♪を唄った時は、まさにわれこそは主役なりと言えるように腹の底から声を張り上げ気持ちを籠めて唄われたのは圧巻だった。

 プロのソプラノ歌手をはじめ、山本さんの大学同窓生のお仲間、ずっと伴奏を務めたピアニスト、小学生を交えたフルート・グループなどそれぞれの見事な歌唱と演奏ぶりには敬服している。

 それにしても山本さんは、日ごろより一級建築士として建築事務所を経営しながら、Facebookに専門的で多岐に亙る話題に富んだ意見や感想に写真を添えて発信するなどまったくエネルギッシュで、若者も顔負けしそうなほど年齢を感じさせない人である。来年のコンサート計画についても話されていたから、まだまだやる気充分のようだ。閉演して帰り際にご挨拶したが、疲れも見せず笑顔を欠かさなかった。中々出来ることではない。友人も満足したと言って、吉祥寺駅で別れた。楽しい1日だった。

 大型の台風2号や活発になった梅雨前線の影響で、昨晩も東日本を中心に記録的な大雨が降り続いた。昨日から西日本から東海方面へかけて線状降水帯となり、東海道新幹線が運休になって今日も始発から東京・名古屋間では運転見合わせが続いた。都内では午前中はまだ雨が降り続き外出するにもちょっと気持ちが進まなかったが、コンサートから帰るころには空は真っ青だった。帰宅したら庭でウグイスが「ホー! ホケキョ!」と出迎えてくれた。

2023年6月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5764.2023年6月2日(金) 藤井聡太新名人、最年少で7冠獲得

 昨夕のニュースで将棋の藤井聡太竜王が、名人戦で渡辺明名人を4勝1敗で破り名人位に就いた。と同時に、史上2人目の7冠を制覇したと伝えられ、藤井竜王のあまりの強さに日本国民が皆驚いている。何といっても藤井新名人は、まだ20歳10か月で名人史上最年少である。名人になって早速書いた揮毫が「温故知新」だった。その揮毫が納められた額が小学校校長室内に掲げてあり、担任教師がその意味を丁寧に教えてくれたことが強く印象に残っている。我が家から徒歩5分程度のところに住んでいる羽生善治九段が、かつての7冠から現在無冠の帝王となったが、勝負の世界とはそれほど厳しいものなのだろう。残る冠は、羽生7冠時代にはなかった「王座」で永瀬拓矢王座から今秋にもタイトルを奪取することが出来れば、まさに史上初の8冠となる。

 それにしても将棋界には、どうして8つもタイトルがあるのだろうか。これでは7冠になった藤井名人は、8つ目のタイトルを狙うより、7冠をひとつずつ防衛するだけでほとんど時間を取られてしまいそうだ。

 藤井人気で将棋界もホクホクだが、かつては棋士が対局中にソフトを使ったと非難が集中し低迷した時期がある。そこへ藤井聡太名人が中学生棋士としてデビュー29連勝をして3年前に棋聖の初タイトルを獲得するや、挑戦したタイトル戦ですべて勝ちタイトル獲得数は15期になり、人気は一気に火が点いた。

 しかし、それでもこれだけ国民の目を引き付けるほど活躍しても、獲得賞金になると他のビッグ・スポーツ選手や芸能人に比べて大分後塵を拝している。昨年の稼ぎ高ベスト3は、藤井聡太1億1,800万円、2位渡辺明7,450万円、3位豊島將之5,450万円で、羽生九段に至っては11位の1,600万円でサラリーマン役員ならこの程度は皆稼いでいる。それに比べると年棒約40億円の他に、スポンサー料を合わせた総収入が約85億円と言われている人気絶頂の大谷翔平選手は別格にしても、あまりにも格差が大きく少し気の毒な気がする。ともあれ将棋界が益々発展することを祈念するとともに、藤井新名人が、今後も研鑽を積まれ益々活躍されることを期待している。

 ついては、今ウクライナ戦争が国際的な注目を集めているが、2年前の2月に軍事クーデターで国軍により民主派政権がその座から追われたミヤンマーは、国際的に厳しい非難を浴び、経済制裁を課せられ社会的、経済的に苦境に陥っている。とりわけ友好的な関係を保ってきた日本としても欧米諸国同様に、苦渋の選択をせざるを得なくなった。その選択とは日本が途上国援助(ODA)で10年ほど前から支援してきたミヤンマー国内の基幹鉄道の改修事業を大幅に縮小せざるを得なくなったことである。それは最大都市ヤンゴンと中部都市マンダレーを結ぶ620㎞の鉄道改修工事の支援である。ヤンゴンと戦時中日本陸軍の航空基地があったトングー間約270㎞は、すでにその60%の工事を終えていた。ミヤンマーの交通機関、特に鉄道は全ての面で遅れており、航空隊戦友会の人たちが憧れていたトングーに行くことは、宿と足の手配が出来ず難しかった。トングーには軍に話を持ち掛けチャーター機で空軍基地へ臨時に離着陸させてもらって訪れたことや、バスで訪れ近くの女子師範学校の寄宿舎に泊めさせてもらったことがある。ミヤンマーでも最大の幹線と言える鉄道が整備されず、今また工事を停止するというのは、いかに国軍政権に責任があろうともミヤンマー国民にとっては厳しく辛いことである。

 綺麗ごとは言うが、結局戦争や軍事的圧力によって国民を苦しめているのは、為政者である大統領や、軍の総指揮官である。ミヤンマーも例外ではない。

2023年6月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5763.2023年6月1日(木) 議員世襲制度の総点検を

 早いもので梅雨の季節到来である。沖縄近海に強烈な台風2号が襲来して沖縄、宮古島は暴風域に襲われ、この後沖縄本島に接近するようだ。この影響で全国的に天候は思わしくない。東京も今日は晴れたが、明日、明後日はかなり雨が降るらしい。

 さて、一昨日岸田首相が政務秘書官だった長男を本日付で更迭すると述べてから、世襲議員に対する批判的なコメントが急増している。印象的なコメントもいくつかネットに公開されていた。そのひとつを見てみると、中世の政治思想家マキャベリが「君主論」の中で「君主にとって、秘書官を選定することは決して軽々しいことではない。君主の思慮ひとつで良い人材を得られることがあり、また、そうでない人物が用いられることもある。そのため、ある君主の頭脳の良し悪しを推測するには、まず最初に君主の側近を見ればいい」と明快なコメントを述べていることが紹介されている。昨今の世襲ブームにマキャベリまで登場してきたのである。岸田首相の長男を皮肉っていることは明らかである。

 黙っていても、つまり仕事をしなくても一度世襲議員として日の目を見れば、その後は黙っていても父親の代からシンパである後援会が親身になって当選のためのお膳立てをしてくれる。日本の国会議員は海外に比べて世襲議員が圧倒的に多い。現在の自民党議員の内3割以上、閣僚の半分以上が世襲議員である。イギリスでは貴族院議員ですら世襲議員は1割しかいないと言われている。1970年代から80年代に首相になった三角大福(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫)は皆世襲ではなかった。それが、平成以降の首相は、ほとんどが世襲議員である。その世襲が有利になったのは、1996年衆院選で小選挙区制が導入されて以降で、世襲候補の勝率は比例復活も含めて8割に上る。選挙で当選に有利な「地盤」「看板」「カバン」を世襲候補は継承出来るからだと言われている。

 台湾の総統だった李登輝氏は、日本の世襲制について著書の中で次のような批判的な趣旨のことを書いている。「日本が自分を見失ってしまった最大の原因は、アメリカや台湾と異なり、あまりにも世襲制がひどくなったことにある。無名の若者が国会議員になろうと思っても、ほとんど不可能であり、戦後日本の上昇は、無名の新人によって達成されたが、現在は国会議員のかなりの部分が、二世と三世で占められている」。

 これは幕末に遣欧米使節団の一員として欧米を訪れた福沢諭吉が、民主主義とは何かを考えた時、ワシントン初代大統領の子孫が大統領なわけではないし、国民は今その子孫が何をしているかさえ知らないことに驚いたという。家柄で役職が決まる門閥制度ではなく、それこそが民主主義の肝だと言い、それがあの「学問のすすめ」初編の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」という思想につながっているという。

 世襲制は違法ではなく慣習の中から定着したものだ。それだけにセルフコントロールで誰もが納得出来るものにしなければならない。さもないといつか法的な手段を講ずることになりかねない。首相長男の政務秘書官更迭について、メディアではここぞとばかり世襲制度について批判的なコメントを発していたが、これとて「のど元過ぎれば熱さを忘れる」になって世襲制度見直し論などの世論喚起には至らないだろう。これが日本の政界とメディアの「相見互い」ということだろうか。

2023年6月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com