ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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5782.2023年6月20日(火) 天皇・皇后両陛下、旧日本兵の子孫と面会 

 インドネシアご訪問中の天皇・皇后両陛下が昨日ジャカルタ郊外60㎞のボゴール宮殿と、隣接するボゴール植物園を訪れたと知り大変懐かしく想った。ボゴール宮殿は、オランダ統治時代は東インド総督官邸だった。私が訪れたのは1967年のお正月で、その当時ここにはスカルノ大統領とデヴィ夫人が官邸として、また私邸として住んでいた。警戒が厳重だったが、私の目的は東洋一の蓮の花が見られる隣の植物園だった。タクシーを雇っていたので、植物園の外で待ってもらい、ひとりで園内を見学したが、ガイドもいなかったので立派な蓮を見るだけで見学を終えてしまった。天皇・皇后は植物園をジョコ大統領が運転するゴルフカートに乗って見学されていたが、蓮の花についてのメディアの報道は一切なかった。あの蓮は今どうなっているだろうか。治安面でも荒れた様子がなかったボゴールは今も強く印象に残っている。

 ジャカルタ市内のホテルに戻られた両陛下は、昨夜オランダとの独立戦争に加わった残留日本兵の子孫らと面会され、彼らの厳しかった戦後の生活を思い労わられた。彼らの父親は、日本からは脱走兵と見放されて、インドネシアが国籍を認めるまでは無国籍者だった。現地では長い間占領者の子どもと後ろ指をさされ、肩身の狭い思いをしてきた。それだけに、天皇・皇后両陛下が父親たちのことを覚えていてくれたことに感謝の気持ちを表していた。今日両陛下はその独立戦争に加わって命を落とされた彼らの父親ら、旧日本兵が埋葬されているカリバタ英雄墓地で供花された。

 一昨日は父の日だった。偶々2日後の今日は亡父の誕生日である。父は明治41年生まれだったから、今存命なら115歳になる。父も戦時中赤紙招集により、一度は現在の北朝鮮・平壌に駐屯していたこともあったが、幸か不幸か、病に罹り終戦前に除隊となり帰宅することが出来た。21年前に93歳で亡くなるまで母が亡くなった湘南鵠沼の地でひとり静かに生活していた。

 さて、先日も本ブログで取り上げた話だが、大阪府が小中高生に加えて私立高校生にも完全無償化の方針を打ち出したことに対して、大阪府内の私立高校ばかりでなく、近畿2府4県の私学団体で作る近畿私立中学高等学校連合会が、大阪府の素案に対して賛成出来ないとの意見を表明した。この素案に対してほとんどの高校が反対しているようだ。元々これには学校側の負担が大きすぎるとの声があったが、私立校独自の教育がし難くなるという点で難色を示している。大阪府内の私立高校の標準的授業料は、年間60万円だそうだが、現状はそれをオーバーする場合は超えた分を府が負担している。それを今後全額負担しようと計画しているところである。どうして他府県の高校が賛同出来ないのかは、大阪の高校生が他府県の高校に通う例が多いことから、それら他府県の高校に負担がかかって来るということのようだ。実際名門神戸の灘中高校にも大阪府内から多くの生徒が通学しており、同校校長は在学する生徒のうち、大阪の生徒だけに授業料を補助するというのは不公平だと批判している。吉村洋文・大阪府知事は、1校1校の意見を聞き、理解を得られるようにしたいとのん気なことを言っているが、難題を解決することが出来るだろうか。

2023年6月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5781.2023年6月19日(月) 失態続きの大手建設会社

 先日世田谷区役所本庁舎建て替え工事が、当初今年7月に第1期工事が終了の予定だったが、何と最長で8か月先延ばしになると公表され、問題視されている。工期完成予定は充分検討されたうえで、施工会社から知らされ、区役所は受け入れて完成後の予定を組んでいたと思う。この不本意な工期遅れの情報を聞いて区役所では唖然としている。ゼネコンと言われる大手建設会社の大成建設が、他社との見積もりを抑えて受注を勝ち取ったものである。工事の遅れによって役所としては業務が遅れるうえに、仮庁舎の賃貸料など想定外の支出が予想される。4月の統一地方選で再選されたばかりの保坂展人区長は、「施工者の説明は信じがたい。損害倍賞についても協議する」とお怒りの様子である。

 そんな困惑の真っ只中に、またもや大成建設の欠陥工事が明らかになった。それは、札幌市内に建設中のプロジェクト・ビルの工事が23%ほど進んで、鉄骨の構造が人目につくようになった。NTT都市開発が手掛ける地下1階、地上26階建て、高さ約116mの超高層ビルで、北海道放送(HBC)が入居し、17階から26階まではハイアット系ホテルが入る予定という。欠陥箇所を見つけたのも自社社員ではなく、NTT都市開発の社員だというから好い加減なチェック体制だったのだろう。このまま工事が進めば、次第にビルは傾斜することになり、皮肉にも札幌市内にピサの斜塔にあやかったビルが建つとの噂があったそうだ。

 どうしてゼネコンとして技術力を高く評価された大手企業の大成建設が、こういう初歩的で悪質なミスを犯すのだろうか。社内では若い課長代理が測定数値を改ざんして虚偽の報告を行っていたことが原因と判明したようだが、会社は他に問題はないと言って1若手社員にすべての責任と罪をかぶせて逃げ切ろうとしている。担当役員は辞任し、社長は減給処分を自らに課して、今期の決算は減益計上しているが、来年度の決算では好決算を想定している。しかし、対外的に会社として責任を取った形にはなっていない。とにかくこれでは建設関係業者としての信用を失うばかりである。外部からは、組織ぐるみの匂いがするだの、怖くて大成建設には発注出来ないとの声が聞こえる。さあ、大成!どうする?

 さて、ミヤンマーで昨年2月の軍部によるクーデターで、身柄を拘束されたまま民主化指導者アウンサンスーチー氏が78歳の誕生日を迎えるが、イギリスに住む息子キム・エアリス氏が、母親をはじめ、すべての政治犯を釈放し、民主的に選ばれた政府に権力を返すよう国軍に求めた。更に、日本で生活した経験のある息子は、民主主義国の日本が国軍を支援しているのは残念だと名指しで日本を非難した。日本はいま国軍政府とは手を切って支援を中止しており、子息の理解には若干誤解があるが、国軍兵士を自衛隊が受け入れ教育を行っていたことや、麻生太郎元首相がミンアウンフライン国軍総司令官から名誉称号と勲章を贈られたことがあり、それらの行為が誤解を生んだ要因かも知れない。

 いまでは世界の目がウクライナに向けられ、暴力的、かつ非民主的に民主派政権を追放したミヤンマーに対する世界の世論は冷めている。現状のままだと国際社会の不信感と不満は募るばかりで、ミヤンマーにはもう安心して生活出来る基盤がなくなってしまう。もう少し世界のメディアもミヤンマー情勢を伝えて欲しいものだ。

2023年6月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5780.2023年6月18日(日) 天皇・皇后両陛下、インドネシアを親善訪問

 去る9日にご成婚30周年を迎えられた天皇・皇后両陛下が、昨日親善訪問先としてインドネシアを7日間の予定で訪問された。皇太子時代には、ご夫妻で13回も外国親善訪問をされておられるが、コロナ渦の影響もあり令和に入って即位されてからお揃いで外国親善訪問をされるのは初めてである。

 天皇として最初に親善訪問されるのがインドネシアとは何か象徴的である。戦時中日本軍が3年間も占領、統治し、この間過酷な労働作業によって多くのインドネシア人が亡くなったと言われている。しかし、300年に亘ってインドネシアを植民地化していたオランダに対して、終戦直前から独立運動を支援したのも旧日本兵である。戦後も現地人を支援して旧日本兵は現地に残り、独立戦争で現地人とともに戦い、その過程でその半数が戦死したと伝えられ、インドネシアの独立に貢献した。現地ではそのことは忘れられておらず、首都ジャカルタ郊外のカリバタ英雄墓地には、独立戦争の過程で亡くなったインドネシア人政治家や軍人と並んで、彼ら日本人も埋葬されている。

 上皇ご夫妻は、過去に皇太子時代と天皇即位後の2度インドネシアを訪問され、15年前には秋篠宮ご夫妻も訪問されておられるが、天皇・皇后には初めてのインドネシアご訪問である。

 現在ドキュメント作品を執筆中であるが、その中にもいかにインドネシアの人々が親日的であり、現地では日本の旧軍歌が愛され、唄われているかということを書いている。実際インドネシア独立の父として往時には国民から敬愛されていたスカルノ元大統領が、来日されてテレビに出演され、偶々その番組を観ていた時、元大統領が唐突に♪愛国の花♪を唄った時には、驚いたものである。1967年インドネシアへ初めて出かけ、地元の警察署長さんからボゴール近郊の自宅へ案内された時には、近くの集落の人たちが集まり日本の♪愛国行進曲♪などの戦時歌謡を唄ってくれたのには、びっくりした。駐屯していた旧日本兵と現地の人々の「支配者と被支配者」とは異なる親しい交流関係があったことを想い、一言では片づけられない両国の絆のようなものを感じたものである。

 天皇、皇后両陛下の親善訪問は、日本とインドネシア両国の親善にとって必ずや効果を上げることだろう。

2023年6月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5779.2023年6月17日(土) 「週刊朝日」最終号発行、無期限休刊

 「サンデー毎日」と並んで、101年もの長い間発行され日本で一番古い週刊誌である「週刊朝日」が、「6月9日休刊特別増大号」を最後に休刊となった。1世紀以上に亘って発行されていた同誌の休刊を惜しむ声はあちこちから聞こえる。その最終号を手に取って、まずその表紙に驚く。折り畳み3頁の編集部内部の写真である。編集長以下33名の正規・非正規編集部員の思い思いの自由な編集部内の写真に「101年間ご愛読ありがとうございました」と書かれている。編集部内の雰囲気は自由奔放な感じが表れているようだが、これも写真家の演出によるものだ。室内にはとても雑誌を編集するような空気がなく、仕事をしながら遊んでいるイメージが強い。服装もマチマチで、居眠りをしたり、タバコを吸っている人もいる。ボクシングの真似事をしたり、ラーメンを食べたり、お茶くみをしたり、そこへ出前のオッサンが入ったり、実に様々で、朝日らしからぬ面白い企画ではあると思う。

 同誌は、最盛期の1958年新年号には154万部を発行したが、以降年々販売数が下落して最近号では、最盛期の20分の1以下の7万4千部しか販売されなくなった。広告収入も減り、朝日は他に週刊誌「AERA」も発行していたが、時代性や印刷方法などを考え、「週刊朝日」を泣いて馬謖を斬ったようだ。これについては、最終号誌上に林真理子氏が疑問を投げている。

 内容的には、国公立大学高校別合格者リストは少々薄っぺらな感じがするが、グラビアで宮崎美子をはじめ過去に女子大生のポートレートを表紙に載せたことや、ありきたりだが、「週刊朝日とわたし」と題して著名人のインタビューをそつなくまとめている。田原総一朗氏の「首相への進言 今こそ対米従属脱却する好機だ」が同誌らしい最後っ屁だ。

 かつてはあれほど売れた同誌がこれほどまでに販売実績を下げたのは、時代性もあると思う。その最たるものは、現代人が本、新聞など紙上の文字を読まなくなり、紙文化の購買者が減ったことだが、同時に「週刊文春」「週刊新潮」など他の週刊誌が、興味本位のプライバシー暴露や、スキャンダル報道などで一般の関心を呼び、購読者が流失したことが大きいと思う。ともあれ我々の就職期には、憧れを持っていたほどの新聞社が、その大きな売り物のひとつが姿を消していくのは何とも言えず寂しいものである。

 さて、昨夕のニュースでプロ野球界で活躍した2人の元有名選手の訃報を知った。ひとりは、私がまだ小中学生のころフォークボールを武器に活躍されていた杉下茂投手である。彼の最も印象的だったことは、1951年のシーズン開幕前にサンフランシスコ・シールズのオドゥール監督に招かれて、当時強打者として力を存分に発揮していた藤村富美男(阪神)、川上哲治(巨人)、小鶴誠(松竹)とともに渡米して、実力を磨き、そのシーズンに最多勝、沢村賞を獲得したことである。通算215勝の実績を上げた。享年97歳だった。

 もうひとりは、広島カープのエースとして活躍した北別府学である。長年広島の大黒柱として活躍し、86年にはリーグ優勝に貢献し、最多勝、最優秀防御率、最高勝率、沢村賞の他にリーグのMVPに輝く5冠を獲得した。生涯に杉下投手に2勝足りない213勝を挙げた。白血病症状があったとはいえ、まだ65歳は早過ぎる永眠である。

2023年6月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5778.2023年6月16日(金) 中西準子さんの連載もの最終回

 昨日の山崎洋さんの出版記念イベントは格調が高かった。岩田昌征氏とトークで交わされた内容は、セルビア国民の世論と欧米の考えが対立していることを窺わせるものだった。彼の大著の読み切っていない部分をこれからじっくり楽しもうと思う。

  昨日こんなこともあった。品川駅改札口周辺で友人を待っている間に唐突にラジオの街頭インタビュー班に掴まり、「一番最初に買ったレコードは何でしたか?」と問われ、急には思い出せなかったが、唐突に小学生のころ毎夕NHKのラジオ・ドラマで放送していた「菊田一夫作詞、古関裕而作曲『さくらんぼ大将』のテーマ・ソングです」と応えた。ところが若い女子アナには70年以上も昔のテーマ・ソングなんてピンと来なくて説明することになってしまい、挙句に完全に覚えてはいなかったが、唄ったところ随分喜んでもらえた。どこの放送局か聞き漏らしてしまったが、少しはお役に立てたのかなと思っている。

 昨日6月15日は、60年安保闘争が激しかった1960年に東大生の樺美智子さんがデモの中で亡くなった日である。その7年前の昨日には今絶頂期の習近平・中国国家主席が生まれた。習主席は70歳、古希を迎えたのだ。今年全人代で前人未踏の国家総主席、及び共産党総書記3期目に入り、権力を欲しいままにして権力基盤を一層固めつつある。今月中国では大学生の入学シーズンに当たり、一斉テストである「高考」が終わったばかりであるが、提起された問題に習主席の言葉が出されたという。それについて受験生が彼らなりにコメントを書くわけであるが、習語録に対して褒めたり、高評価を与える文章を書くに決まり切っている。そうやって思想操作、コントロールを行っているのではないかとの声が聞かれる。今の権力欲から考えると現在の第3期習政権が終わっても、後継者が見当たらない現状から75歳になる習主席は、更に第4期政権へ踏み出していくのではないだろうか。

 さて、朝日新聞朝刊「文化」欄に「語る~人生の贈りもの」と題して連載中だった高校同級生の中西準子さんのインタビュー記事が今日14回目で最終回となってしまった。予告の段階では大分期待して、同窓生や関係者にメールで知らせた。ところがその内容は、初代リケジョと自称するだけに工場排水に関する専門的、技術的なことが多く、大分難かった。母校に入学したことはほんの1~2行にしか書かれなかった。旧満州に生まれ苦しい生活の中で育ったようだが、戦後引き上げるまで上海生活を送ったことや、高校時代の記述がほとんどなかったのが、それこそ興味深く期待していたので、やや残念に思っている。文化功労者として、相変わらず在野で活躍されておられるが、今後も益々活躍されるよう期待している。今では高級福祉施設に入居され自由に生活されているようだが、まだまだ元気な様子なので今年辺りはコロナ後初めて開催されるであろう同期生会には出席されるだろうから、その折話が出来ることを楽しみにしたいと思っている。

2023年6月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com