充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
6510.2025年3月10日(月) 大船渡市の山火事鎮火とカナダ首相交代
岩手県大船渡市で燃焼し続けていた山火事が13日目にして漸く鎮火を宣言され、避難していた人々は自宅へ帰れるようになった。これまで避難指示は広範囲に亘り、約2千世帯、4千6百人に出ていた。避難した人の間では、自宅を全焼した人と焼失を免れた人たちがいて、お互いに気を遣い一諸にいるのが辛かったようだ。
そして明日は東日本大震災から14年目となる。運が悪いと言ってはそれまでだが、大船渡市民にとっては14年前に引き続いて自然災害に遭遇し、そのショックはとりわけ大きかったと思う。しかし、今回は偶々大船渡市が山火事に襲われたわけであるが、日本はいつ、どこでも自然災害に襲われる可能性があり、常に災害に備えていなければならない。岩手県が東京から遠隔の地にあるので、感覚的に災害の危険性に触れることはないが、東京都内が自然災害に襲われたら大船渡市のような死者1名なんてことはとても考えられない。我が家でも人災に配慮してセキュリティ会社と契約を結び、対ドロボー対策は一応出来る範囲で手を打った。だが、自然災害には、いざとなったら自宅から離れるぐらいしか知識がなく、これからは年齢も重ねることも考え合わせて、しっかり対策を立てないといけないとは思っている。
さて、アメリカではあまり好い意味ではないが、トランプ大統領の存在感が抜きん出ている。その一方でヨーロッパの首脳などの存在感はやや影が薄い。その中でカナダの首相が昨日交代した。これまで9年間に亘って首相を務めたトルドー氏に代わって、カーニー元カナダ中央銀行総裁がトルドー首相の後任に就いた。トランプ大統領から散々カナダはアメリカの51番目の州で、トルドー氏はカナダ州知事だと皮肉たっぷりの嫌みを言われていたが、どうもそれがトランプ大統領のお別れの挨拶のようになってしまった。トランプ氏がカナダに対して輸入品に関税を課すと公言し、カナダのアメリカに対する反発・反感は激しいものがあり、カナダも対米報復関税を課すと述べている。トルドー氏としては、あまり後味の良くない首相交代劇だったのではないだろうか。
あまりにも傲慢で他へ個人的な我が儘を押し付けるトランプ大統領には、世界中で迷惑を被り、好い加減にして欲しいと思っている多くの首脳がいると思う。
大統領就任1か月余でこれほど存在感を強めた大統領は、ほとんどいないのではないだろうか。1か月の間に自分の想いのままに発令した大統領令は70回である。危険なのは、司法軽視で民主主義の根幹でもある三権分立を司法軽視で冒し、行政が司法を押さえつけることである。例えば、大統領の政策の一部については、裁判所が一時差し止めを命じている。憲法が認めているアメリカ生まれの子どもにアメリカ国籍を与える出生地主義の見直しなどに対して裁判所が待ったをかけた。ところが、大統領の意を受けたバンス副大統領が、X上で裁判官が行政の正当な権力を制御するのは許されないと見当違いの非難をしている。
国際的にも問題を引き起こしている。メキシコ湾という名を、一方的にアメリカ湾と変更したり、グリーンランドを購入すると言ったり、パナマ運河の管理権をパナマ政府から奪還するとか、ガザ地区の住民を他国へ疎開させ、ガザをアメリカが所有する、アラスカ州の先住民族の名前を冠したデナリ山から以前の名マッキンリー山に戻す、紙製ストローをプラスチック製ストローに戻す、とか数々あるが、あまり合理的でなく、自分の好みだけを主張している。第1次政権時代には、議会内の共和党内でもかなり反トランプ派が多くいたが、今ではかなり減り、トランプ氏に歯止めをかける議員がほとんど見当たらなくなったことが、トランプ氏を益々我が儘にし増長させている。
普通ならこれほど反社会的な政策や、行動をすれば一般人が反対するものだが、今のアメリカ社会にはそういう良識的な反トランプ・アクションは見られない。この辺りがアメリカの限界を示しているのではないだろうか。
6509.2025年3月9日(日) 東京大空襲記念日を前に米軍機襲来を想う。
米軍機による東京大空襲から明日で80年になる。80年も経過すると最早体験者を除いては、臨場感としてその恐怖を肌に感じている人は大分少ないと思う。長引いた戦争にアメリカ軍も、早くケリをつけたいとおもったのであろう無差別攻撃を行うようになった。視界の良い昼間に軍事基地や軍需工場などを狙う爆撃から一歩進め、夜間にも民間人が住む市街地を無差別に標的とするようになった。人口密集の木造住宅地域の下町へアメリカ軍は1,700㌧の焼夷弾を投下した。被災者は100万人、焼失家屋は約27万戸、死者は約10万人と推定されている。
今日の朝日朝刊「天声人語」記者は当時の情景を想像しつついくつかの実話を取り上げている。「今でも覚えているのは『逃げている時に機上の米兵と目が合った』という話だ。~浅草の男性は東京大空襲の日、屋根すれすれに跳ぶB29の『アメリカ兵の顔が見えた』という。『現代民話考 銃後』には、似たような体験が記録されているという。『焼夷弾で全身に大やけどを負い、家族7人を失った』、また機銃掃射から必死に逃げ回ったという女性が見た光景も記されている。電柱の陰で足を止めた時、低空飛行する戦闘機に『若い米兵の笑い顔と投げキッスが見えました』」そうである。
実は、同じように戦闘機編隊に狙われたような体験は終戦直前に私にもあった。東京大空襲の後に、房州の勝山町(現鋸南町)に引っ越して翌4月に勝山国民学校初等科1年生として通学したが、入学早々にお母さん先生に連れられて同級生たちと校外を散歩していた時、突然米空軍戦闘機編隊が低空飛行しながら我々の方へ向かって接近してきた。先生は大きな声で「皆さん!伏せなさい!」と、興奮しながら大きなジェスチャーで両手を上下に振って、地面に伏せるように叫んだ。生徒たちはそのまま腹ばいになって戦闘機編隊の通過をやり過ごした。その時、先頭機の隊長の横顔が見えたような気がした。突然隊長機が機首をもたげて上空へ向け角度を上げ、他の戦闘機もそれに続いて高く遠くへ飛び去って行った。恐らく隊長にも子どもがいて、我々の逃げ惑う姿を見て自分の子どもを想い出したに違いない。幸い我々は銃撃されることはなかった。生徒たちは皆怖いと思ったに違いないが、それ以上に引率していた先生は、それこそ腰を抜かさんばかりに驚き、そしてホッとしたことだろう。
あの戦争中は、薄気味悪い思い出が他にもある。勝山町の自宅の2階窓から東京方面や鋸山方面を眺めていると、夜空が真っ赤に染まったり、鋸山の探照灯が米軍機を探してぐるぐる回っているのが毎夜見られ、時折その後に警戒警報のサイレンが鳴るということがよくあった。
後年になって戦前派の私は、厚生省主管の太平洋戦争戦没者遺骨収集事業に関わるようになった。また、航空隊の戦友会慰霊団に度々お共するようになってから、戦後の戦争の地へ飛び込んでご遺族や戦友の方々から話を聞いて、怖い体験をした自分自身の生々しい記憶としてあの恐ろしかった臨場感を想い出すことがしばしばある。本当に戦争の現場は恐ろしいものだ。戦後派ばかりの国会議員たちには、戦争の怖さは分からないだろう。
6508.2025年3月8日(土) 雨模様の中を久し振りのお墓参り
しばらくお墓参りをしていなかったが、今日長男と次男家族とともに我が近藤家の中野の宝仙寺と、妻の実家のお墓がある多摩墓地で予定通りご先祖へのお参りを済ませた。長男が今月いっぱいでまた大阪勤務になるということなので、2人の息子に揃ってお墓参りが出来る機会はあまりないと思い、今日都合がつくならお墓参りをしようと誘って揃って出かけたものである。コロナ渦のせいで、コロナが終わった直後にお参りして以来である。いつも2つの墓地を要領よく訪れることが出来るのは、2つの墓地がそれほど離れておらず、車だとそれほど無駄がないせいである。今日は雨が降るとの天気予報だったので、気がかりではあったが、多摩墓地を訪れ、その後宝仙寺を訪れたころに雪交じりの雨が降って来た。早々に引き上げ4時過ぎには帰宅することが出来た。夕方から雪が降るとの予報があったが、8時過ぎには雪が降って来た。明日は晴れて暖かくなるようだ。
さて、1月末にフジテレビで起きた1タレントによる破廉恥な女性スキャンダルが、大々的に各メディアで取り上げられ、フジTVは多くの記者を前に共同記者会見を行った。責任を取った同社は、会長、社長らが辞任し交代することになった。スポンサーの番組提供により収入を得ているテレビ会社としては、非常に厳しいところだったが、実際にスポンサーがフジの番組を辞退するようになり、経営者が公表したところでは、予定していた収入の9割方を失ったという。同社は本業以外にも不動産業でも利益を上げているが、このままの状態が続けばいずれ経営は厳しくなり、会社の存亡が問われることになるだろう。
毎週新聞のテレビ欄に前週の好視聴率を得た番組ベスト20が紹介されているが、偶にフジの番組が20位に顔を出す程度で、このところほとんど視聴率は他局に奪われている有様である。このままの状態が続けば、フジTVはスポンサー離れとともに、番組の視聴率も低下して会社は瀬戸際に追い込まれる。
会社のトップは交代したが、影の経営者と言われている日枝久フジ・サンケイ・グループ・リーダーが、取締役相談役へ退いたとは言え、依然として要職に居座り、社内に隠然たる力を誇示している。今朝の朝日新聞に女性記者が、この件についてフジの現状とその原因を分析している。最たる要因は、テレビ業界で年間視聴率3冠を獲得してからおかしくなったようである。社内に物言う社員は切られ、辞めて行き社内に物言わぬムードが蔓延り、上司の顔色を窺いながら忖度が普通となったようである。入社は政治家からの紹介をはじめ、新入社員も多い時は、政財官界などの縁故紹介が半数を占めるという。こういう社内に実力主義、前向き、積極性などが影を潜め、社内の空気も沈滞していたという。
残念ながら恐らくフジの今季の決算は赤字であろう。それがいつまで続くのか。そして日枝氏がいつまで経営者として要職に居座っているのか。日枝氏がフジを去らないうちは、フジの社内に活気が戻らず、社業の回復は難しいのではないだろうか。
6507.2025年3月7日(金) 新しいシニア向雑誌「イコール」発刊に想う。
このほどNPO「知的生産の技術研究会(略称:知研)」の会員仲間たちが、新しい雑誌を発行したということだったので、取り敢えず30冊ほど注文して送ってもらった。元々この研究会の名称は、民俗学者でベストセラー「知的生産の技術」を書かれた故梅棹忠夫・京都大学名誉教授から、会の立ち上げを承認してもらい、4年前に亡くなられた八木哲郎元会長が終始献身的に会を主導、運営に携わって来られた。私も八木会長にお声をかけてもらい会員となって60年近くになる。その間機関誌には毎号と言っても好いくらい拙稿を書いてきた。東洋経済新報社から発行された「知の現場」には、私も共著者として名を連ねたこともある。今度創刊された雑誌名は「イコール」と言い、副題として「アクティブ・シニア革命」と名付けられた。一応季刊誌として発行されたようだ。現在は広告ひとつ掲載していないので、経営的に苦しいと思い、どうやって発行し続けるのかが大きな課題だと思う。かつてのように会員として活動していたころなら、積極的に起ち上げから参加するところだが、健康上や、会合の場所などの問題から創刊号には関われず、拙稿「海外の旅で臨場感を悟れ!」を寄稿するだけで済ませてもらった。
手に取ってみると雑誌のイメージや中身のデザインなどが新鮮な感じである。編集責任者は知研理事長の久恒啓一・多摩大学名誉教授で昔からよく存じ上げている。久恒理事長は「図解」の開発者で、図解に関する多くの著書を出しておられる。この創刊号にもかなり「図解」が見られる。急に発行した雑誌の注文分を久恒氏がわざわざ4日に自由が丘まで届けてくれるということで、今後の方針などについてじっくり話を伺うつもりだった。ところが、体調が大分悪くなり、急遽予定をキャンセルしてもらったので、残念ながらその機会を失してしまった。
副題に銘打たれたように、人生百年時代を迎えて高齢者にもやる気と学ぶ機会を作り、充実した余生を送ってもらいたいとの願いから「アクティブ・シニア」層に活動の場を見つけてもらい、活躍して欲しいと願ってこのような立派な雑誌を創刊したのだ。私も期待に応えてこれから問題を提案しながら、自分自身でも執筆し寄稿していきたいと考えている。
全般的に久恒流の図解が散りばめられていて、懐かしい気もする。創刊号に寄稿している人たちは、自分の活動について堂々と披歴しているが、高齢者を対象にしているだけに、年齢が書かれている全寄稿者23名を見てみると最年少者が53歳で、最年長者が何と私の86歳で、平均年齢がちょうど70歳である。アクティブなシニアということでもあり、全体として人生100年までまだ30年もあり、有能な人たちばかりなのでその成果が期待される。私も70歳の若手に負けずに成果を上げて行きたい。
余生にまた新たな目標が出来たというべきであろう。自分自身腹に納めている上梓は、まだ2作品ばかりある。何とかこれを世に出すことであり、毎日書き続けているこのブログを100歳近くまで継続して書き続けて連続1万回を達成することが新たな夢となった。
私の好きな言葉、上杉鷹山の「成せばなる。成らぬは人の成さぬなりけり」にあやかり、何とか「成せばなる」としたいものである。
6506.2025年3月6日(木) 来年度一般会計予算衆議院を通過
今も延焼し続けている岩手県大船渡市の山火事は、昨日でちょうど発生以来1週間となった。昨日幸いにも久しぶりの降雨により大分延焼を食い止めることが出来たようだが、まだ鎮火には至っていない。今日も雨が降るようで、地元民は天の恵みと降雨を期待しているようだ。全国各地から応援の消防隊が駆けつけているようだが、すでに市内面積の内9%、約2,900㌶を焼失した。1日も早く鎮火されるよう祈っている。
一昨日以来関東でも山間部では降雪地域が多いが、テレビ画面を観ていて箱根を越える国道1号線上で連続的に車が追突事故や、道路脱落事故を映し出していた。今から60年前の冬を思い出す。会社の同期入社社員らと箱根へ1泊旅行にオペルに乗って出かけたが、生憎氷結した道路上で滑りブレーキを掛けたが及ばず、そのまま岩壁にぶつかってしまった。もうひとりの友人の車も少し離れた場所で滑って道路からはみ出してしまった。幸いひとりもけが人が出なかったが、目に見えない道路上の氷結には、怖さを感じたものである。
さて、一昨日来年度の国の一般会計予算案が衆議院を通過した。これから参議院で採決を採るが、賛成多数で成立するだろう。
少数与党となった自民党と公明党は、日本維新の会の高校授業料無償化の要求を呑み、国民民主党の「年収103万円の壁」は、一部123万円までは容認しつつも要望した178万円まで引き上げることは認めなかったので、国民は予算案に賛成しなかった。予算案は橋本龍太郎内閣以来29年ぶりに当初案を修正し衆議院で可決した。当初案より3千4百億円減の115兆2千億円となったが、それでも過去最大である。
少し前に東京都の来年度予算額が決定したが、一般会計は9兆1千億円、特別会計などを合わせて合計で17兆8千億円となり、対前年7.8%増である。東京都は東京都内にある企業の登記が多く、その点からも法人税収入が他府県に比較して、圧倒的に多く、その点では多少ゆとりがあるが、それでも都税収入は全歳入額の3/4であり、残りは東京都債を発行して補充している。しかし、世界的大都市だけに総額としては国家予算の7.8%の規模で、スイスの国家予算14兆7千億円を大きく上回るほどの高額予算規模である。
いずれにせよ、毎度気になるのは、予算案を決める国会議員らに財政健全化の認識が欠けることである。このまま年度を重ねれば、赤字予算の積み重ねにより国の借金は返済しようがないところまで行き着くだろう。こうした声が出ては消え、一時的に話題にはなるが、真剣に国家の問題と捉えていない近視眼の国会議員たちは、あまり真剣に国の財政の在り方を考えていない。借金が増えることより、これら国会議員らの認識の甘さの方がよほど気がかりである。