ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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5807.2023年7月15日(土) 昔読んだ藤村の「夜明け前」を懐かしむ。

 昨晩NHKの「ドキュメント72時間」というシリーズ番組を初めて観た。昨日のテーマは「初夏の木曽路をゆく!深緑の木々に石畳の道」というもので、旧中山道の馬籠宿と妻籠宿間を行き交う人々の姿を72時間、つまり3日間観察したものである。

 木曽路と言えば、いわずもがなであるが、文学としては島崎藤村の名作「夜明け前」の舞台となった宿場街道である。高校生のころ同じ藤村の「破戒」を読んで藤村作品の魂と息に触れ、その後学生時代に「夜明け前」上下2巻を夢中になって読んだ。明治維新前後に社会が変革しつつある中で社会の荒波を乗り切ろうと努めたが、狂人となって獄舎で命を落とし哀れな生涯を果てた主人公である庄屋の当主・青山半蔵と、宿場町で生き残りのために苦悩した集落の住民を見事に描いた力作である。学生時代は登山クラブに所属していたこともあり、何とかして心を打たれた木曽の宿場街道、約8㎞を歩いてみたいと思いながら、志成らずサラリーマン時代に馬籠を訪れただけに終わってしまった。

 この地域もこのところのコロナ渦により観光客が大分減ったようだが、昨晩のテレビを観る限り、かなり訪れる人々は戻ったようだ。特に驚くのは、東京、京都、奈良のような人気観光地ならともかく、道路幅2mもないような田舎道を多くの外国人観光客が行き交っていることである。ある休憩所では、立ち寄った165人の内105人が外国人だという管理人の話には、驚くとともに意外感が強まった。しばしば紹介されるのは、馬籠と妻籠の2つの中心地であるが、木曽路はその間を結ぶ道幅2m程度のアップダウンのある道路である。感銘を受けたのは、案内所や休憩所などは、個人経営でなく集落の人々が、それも高齢者が輪番制で交代に仕事をしていることである。個人的に職業としているのではなく、地域を盛り立て多くの観光客を呼ぶための町づくりの計画である。あまりこういう例はないのではないかと思う。残念ながら私自身今や健康上からも訪れることが出来る可能性は消えてしまったが、こういう地域を守るやり方もあるのだなと感銘を受けた。

 ところで、首相の諮問機関である自民党税制調査会で怪しげな税制改悪案が考えられているようだ。その理由は、はっきりしなかった防衛費の大幅増額の財源として、先月防衛費増額をめぐる財源確保法なる得体の知れない法律を成立させた。法人税、所得税、たばこ税の3税を引き上げることを決めた。その他俎上に上がったのが、退職金増税である。次いで、配偶者控除、扶養控除、生命保険控除に手を付け、現在非課税の通勤手当や社宅の貸与などもリストアップされているらしい。通勤定期代なんて全額必要経費ではないか。お抱えの運転手付きの車に乗り、ガソリン代、高速道路代金まで国が支払っている?国会議員はどの面下げてここまで国民にたかり、苛めようというのだろうか。

 基本的には財務省の強い希望を聞いたようだ。鈴木俊一財務相の日ごろの自信なさそうな言動と答弁から察すると、税調と鈴木財務相は財務省の意向を抑えきれなかったようだ。増税談義も交わされたが、防衛費の予算編成上明確な財源が見つからずに、姑息にも税調は前記のような税金徴収を考え出したのである。岸田政権の国民への「増税・負担増」路線は留まるところを知らないようだ。

2023年7月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5806.2023年7月14日(金) パリ祭前に健康上厳しい宣告

 フランス革命の導火線となったバスティーユ監獄が襲撃されたのが、1789年の今日、7月14日である。これをきっかけにフランスはルイ王朝が崩壊し、共和制国家となった。フランス革命を機によく言われる「自由」「平等」「友愛」を彩った三色旗がフランスの国旗となったことはあまりにも有名である。今ではフランスではこの日を祝い、革命記念日、或いはパリ祭と称して、全土で1日中花火が打ち上げられている。

 10年ほど前のパリ祭前に森喜朗元首相と国会議員会館内の森事務所でお会いした折に、誕生日が間もなく14日に来ると仰ったので、「その日はパリ祭ですね?」とお話したところ嬉しそうに「そうです」と言われたので、誕生日が革命記念日に当たったことを密かに喜んでおられるようだった。森元首相も今日86歳になられたわけである。

 さて、先週土曜日に糖尿病医院、昨日東京医療センターの膠原病内科、そしてパリ祭の今日は診察方々整形外科へ立て続けに診察に出かけた。糖尿病は大分順調に回復していて、土曜日に測った症状のバロメーターであるHbA1cは6だった。そして昨日東京医療センターで採血したHbA1cの数値は、更に改善され5.8に下がった。今年に入ってから測った11回のHbA1c検査の結果で、1度だけ6.1だったが、残りは5度の5.8を含み、すべて6以下である。糖尿病は順調に回復線上にあるので、少し安心している。厄介なのは2か月ぶりの東京医療センターの検診で、担当医から悲観的な言葉をまたもや聞いたことである。高齢者特有の「変形性(手指)関節症」の症状である。両手指の先端が自由に曲がらなくなり、現状では治らないと厳しい指摘をされた。毎日リハビリをトライしていること自体は良いと思うが、この症状が完全に回復することは難しいとのご託宣である。高齢と言う点と、日常生活にさほど不自由さを感じない範囲内では、それほど悪化することはないと言われた。しかし、どうにも納得がいかないので、担当医に質問した。

 近代医学が進歩して新薬も次々と開発されている今日、このような症状の患者が割合多いにも拘わらず、効果的な新薬の開発がなされず、症状の回復が絶望的というのはなぜでしょうかとお尋ねしてみた。医師の回答はまとめるとこういうことだった。これは高齢者特有で、重症ではなく日常生活に特に支障があるわけではない。そういう人たちのために巨額を注ぎ込み開発するより、若い世代の重症者を救済するための新薬を開発した方が、全般的に見るなら未来志向の観点では、社会的にプラスであるというような主旨だった。

 国立病院の医師からそこまで説明されたことは理不尽で、容認しがたいことである。だが、治らないものはいつまでも拘っていては精神的に良くない。あまりくよくよせず、達観して不自由を忍びながら、これはこれとして胸に収めて前向きに余生を生きていく方が賢明と言うべきだろうか。日常生活には格別不自由を感じているわけではないので、あまり気が向かないが、不承不承そう考え直すことにしようと思う。

2023年7月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5805.2023年7月13日(木) 戦時体験がなく、臨場感で戦争を知らない政治家

 僭越であるが、事あるごとに臨場感の重要さをアピールし、著著でも訴えるし、講演でも本当の臨場感というものの大切さをアピールしている。

 実は、昨日の朝日「天声人語」に臨場感についてこんなことが書かれていた。少々長いが引用する。

 「『私は、海のかなたで、今戦争があるということを信じることが出来ない――』。明治、大正、昭和を生きた作家の小川未明は小説『戦争』にそう書いた。まさに第1次世界大戦の激しきさなかである。多数の戦死者を伝える新聞を見て、『作り話ぢゃないのかしらん』▼なぜかといえば、『みなが大騒ぎしてゐない』からだった。欧州の戦争への関心はどうしてこんなに低いのか。作家は『新聞の報道が事実であるなら、誰でもかうしてぢっとしてはゐられない筈である』とひとりごちた」
 これこそ戦争の臨場感が伝わっていないことを表している。童話作家だった小川未明によれば、第1次世界大戦を国民が、恐ろしいとか、怖い、ぞっとするというような気持ちを当時の新聞報道から感じ取ることが出来なかったと知った。臨場感とは、現場に臨んで現場に溢れている熱っぽい空気を身体全体で感じ取ることである。従って現場で取材した記者が、臨場感を感じてそれを記事にして読者がその記事を読んでも、実感として現場の空気は必ずしも伝わるものではない。

 実際、私自身の戦時体験からしても、小学生(当時は国民学校)当時に、空襲警報で近くの防空壕に慌てて避難したり、先生に引率されて校外のお花畑に行く途中で米戦闘機編隊に低空飛行で銃撃されそうになった時は、先生が「みんな!伏せなさい!」との叫び声に地面に伏した時の恐怖感は明らかに臨場感に溢れていた。ところが、6年生になった時朝鮮戦争が勃発し、連日新聞、ラジオで報道され、担任教師から地図を使いながら解説されても怖いという気はしなかった。戦場の厳しい臨場感が伴っていなかったからである。

 その後ベトナム戦争の現場に出かけ、いくつか怖い体験をした。それこそ生命を失いかねない危機一髪の場面では、戦争の臨場感があった。第3次中東戦争直後の戒厳令下でもヨルダン軍兵士にライフル銃を突き付けられ身柄を拘束された時は、一瞬この世の終わりかなとも思ったほど怖かった。いずれもそこには、臨場感がたっぷりあった。

 人伝えの話とか、新聞などを通して知る「事件」は、冷静に受け止めることが出来る。ところが、生の現場で実際に目にした「事件」は、興奮と狼狽で落ち着いて実態を受け止めることは中々難しいが、臨場感を感じ取ることは出来る。臨場感が伴わなければ、筋道を通した話に中々説得力が伴わないものだ。それは今の岸田首相をはじめとする保守政治家も同じで、戦時体験がなく、アメリカの言いなりに従っているだけで戦争の臨場感を知らない。それが彼らを戦争へ向かわせるのだ。

 来る22日(土)に吉祥寺市内で、自分自身が体験した臨場感のエキスと、それにより9.11テロを予知したことを話す心積もりで、今パワーポイント画像を作成中である。「臨場感」について、気持ちを籠めて少しでも臨場感という言葉の意味を知って貰いたいと願っている。

2023年7月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5804.2023年7月12日(水) 戦争の足音が聞こえてくる岸田首相の言動

 九州地方の記録的大雨により大きな被害が発生し、岸田首相は今日から予定の外国訪問を被害の状況次第と見ていたが、災害の発生が懸念される段階から必要な態勢を構築し、被害状況を把握して地方自治体と緊密に連携するよう指示して、予定通り今朝リトアニアとベルギーへ向け羽田空港を発った。水害対策よりリトアニアの会議出席を優先したのである。バルト3国のひとつ、リトアニアでは、北大西洋条約機構(NATO)首脳会議が開かれ、早速岸田首相は出席した。日本はNATO加盟国でもないのに、なぜ国内の水害を気にしながらも敢えてNATO首脳会議出席に拘ったのか。

 今NATOは、ウクライナへの支援を支障なく続けたい。更に喫緊の課題としてスウェーデンの加盟を容認するのか否かが取り沙汰されている。これまでスウェーデンの加盟に反対の立場を取っていた唯一の国がトルコだった。そのトルコのエルドアン大統領が、昨日加盟を支持すると述べた。ロシアとウィンウィンの関係だったトルコの豹変ぶりに驚いているが、その後にウクライナが加盟を正式に申請すれば、これもトルコは支持するだろう。こうなるとヨーロッパ中に張り巡らされた軍事の安全保障条約は、一層大きな力を持つことになる。その軍事組織の首脳会議に岸田首相が出席しようというのである。しかもNATOはその名の通り北大西洋諸国に限られている。どうもすっきりしないと思っていたところ、NATOは日本に事務所を設置することを計画しているようだ。NATOは軍事同盟である。これについてNATOが地域的にアジアの日本に事務所を設置するのはおかしいと、NATO内部でもマクロン・フランス大統領がクレームを付けているくらいである。

 とにかく最近の岸田首相の戦争のめり込みパフォーマンスは、危なっかしく心配でならない。戦争、或いは戦争関連事象に少しずつ近づいている。昨年末国家安全保障戦略と称する3文書を成立させた。その中には反撃能力と称して敵基地攻撃能力を有することを公約して、また一歩戦争へ踏み出した。先ず、身勝手に防衛予算を大幅に増額した。そして、去る5日には、自民・公明両党の間で防衛装備移転3原則の要件緩和について合意した。殺傷能力のある武器輸出に関し、それを認めようとの考えである。そして今前向きに検討しているのは、前記のNATO東京事務所設置計画である。この様子では、いずれ1967年に公表された「核は保有しない、核は製造もしない、核は持ち込まない」との非核3原則も危ういものである。戦争の怖さを知らない岸田首相以下現自民党首脳陣らは机上で戦争ごっこを楽しんでいるようだが、何せ実戦を臨場感で知らないので、このまま行ったら今にひどい目に遭うことが分かっていない。

 さて、今日は昨日に続き暑かった。このところ九州地方の死傷者を伴った大雨情報が伝えられ、関東でも北部では豪風雨に家屋の屋根が吹き飛ばされたようだ。東京では昨日から蒸し暑い陽気であるが、今日八王子市内では、39.1℃の猛暑日となり、これは全国でも今年最高気温となった。当分の間熱中症が心配である。気を付けよう。

2023年7月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5803.2023年7月11日(火) ケネディ大統領家を扱ったドキュメンタリー

 昨晩NHKで放映された「世紀の映像~バタフライエフェクト」で「JFKをつくった3人のケネディ」と題するドキュメンタリー番組を観て、いろいろな思いと興味を交錯させて楽しむことが出来た。ケネディ大統領を生み、育てた大統領に最も影響を与えた身近な3人を取り上げた番組だった。毀誉褒貶の激しかった富豪の元駐英大使・父ジョセフ、弟で公民権法案成立に貢献した元司法長官ロバート・ケネディ、そして良き伴侶のジャクリーヌ・ケネディを取り上げた実話である。

 ケネディ大統領については、絶頂期にちょうど大学生だったので、その行動力に強い関心を抱き、その言動に随分興味を惹かれたものである。42歳でアメリカ大統領選へ初めて名乗りを上げた行動力とその存在感は、同じく若かった対立候補のニクソン氏との、丁々発止とした激しいテレビ討論でのやりとりは、迫力があり大統領選への関心はいやが上にも盛り上がったものである。それに引き比べて来年の大統領選では、民主党、共和党ともに4年前と同じ顔触れのバイデン大統領とトランプ前大統領の高齢者同士による一騎打ちになる公算が強いが、所詮二番煎じで新鮮さに欠け、年齢的にはともにJFKのほぼ2倍で、若さと新鮮さ、活気、行動力がまるで違う。

 JFKについては、とりわけ黒人への差別、虐待が激しかった時代に人種差別を認めない公民権法案を成立させたこと、キューバ危機を回避したこと、そして悲劇的な暗殺事件が思い出される。特に、ダラスで狙撃された暗殺事件については、1975年6月ルイジアナ州シュリーブポート市で開かれた「アメリカ自然食品協会全米大会」に日本人として唯ひとり参加した折に、帰途ダラス市に立ち寄り大統領を狙撃した犯人オズワルドが潜んでいた教科書会社倉庫を訪れてみた。事件後そこはケネディ暗殺現場記念館のようになり、暗殺の流れを時系列的にマネキンを使ってショー化していたのを見て許しがたいような印象を抱き、強い違和感を覚えたことが後々まで気になっていた。

 キューバ危機もまさに危機一髪だった。下手をしたら第3次世界大戦開戦となったかも知れない。JFKが暗殺されてから今年でもう60年になる。私が大学を終え、社会人になって半年後のことである。

 父親のジョセフを始めとして、ケネディ家には政治家的資質の血縁が流れていた。ジョセフは資金的に面倒を見て、子どもたちを一流大学で学ばせ、弁舌を訓練した。JFKもロバートも名門ハーバード大で学び、ジャクリーヌ夫人はパリ大学で学び夫のためにスペイン語で応援演説を行うなど、日本の世襲政治家とは大分違う。

 日本の政治家には、このようなストーリー性に富み、実績を上げた経歴を持つ人はほとんどいないと言っても好い。アメリカ社会は、日本社会に比べて広く人材を拾い上げ、それを生かす伝統と環境があると思う。ジャクリーヌ夫人にしても学歴もさることながら、家庭も稀にみるほどの資産家だったというから、知と富を国のために効果的に活用したと言えよう。その点では、残念ながら日本では知と富を兼ね備えた人物や家庭が、国のために貢献した例はほとんどないのではないかと思う。

 さて、九州地方の水害被害は少しずつ犠牲者が出ているし、関東地方は今日も暑かった。そんな中で今日も午後6時過ぎにウォーキングに出かけた。いつも通るバス道路に沿って竹藪があるが、その奥から何とホーホケキョと鶯の鳴き声が2度聞こえてきた。猛暑の中で梅の花から聞こえる筈の鶯の声を聴くことになると一瞬暑さを忘れる。真夏にホーホケキョなんて84年の生涯で初めてである。

2023年7月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com