充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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6416.2024年12月6日(金) ベ平連の小中陽太郎さん、安らかに天国へ
今日は昨日に続いて朝から素晴らしい青空である。午後1時にJR目黒駅で久しぶりにペンクラブの懐かしい友人らと待ち合わせて、小中陽太郎さんの葬儀に参列するため、日本基督教団中目黒教会礼拝堂へ向かった。1時半の開式には間に合った。小中さんはクリスチャンだったので、葬儀もキリスト教会で「小中陽太郎 葬送礼拝式」と名付けて行われ、終始牧師さんが「司式」という進行役を務めながら祈祷とお説教をされた。その間参列者は2度ばかりオルガンに合わせて讃美歌を唄った。合唱した讃美歌は、♪いつくしみ深い♪と、♪神ともにいまして♪というよく知られた讃美歌で、2つとも昔から知っている曲だ。讃美歌を唄うのもしばらくぶりだったが、教会で唄ったのはまったく初めてだった。式の終わりに、参列者は皆お棺に納められた小中さんのご遺体と対面した。お亡くなりになった日に奥様がお電話で仰っていたように安らかな表情だった。長らくご指導いただいたことに心より感謝の気持ちを伝えた。出口の近くで奥様が参列者とお話をされたが、私も長い間の介護でさぞやお疲れになり、お力を落とされたであろう奥様とご家族に対して、慰めのお言葉をお伝えするのが精いっぱいだった。これが小中さんとの最後のお別れである。
牧師さんがお説教の中で聖書からいくつか引用していた言葉があった。改めて納得させられた言葉だった。ヨハネの手紙として次の言葉を述べられた。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」。
ご遺体が出棺されるのをお見送りしてから教会を離れたが、久しぶりにペン仲間と再会したので、小中さんを偲んで食事をしようということから目黒駅周辺のレストランで食事と会話を楽しんだ。それでも小中さんがこの世から冥界へ旅立ったことが、まだ信じられない。寂しく、悲しいことである。しかし、現実は現実である。せめていろいろご指導いただいたことだけは、しっかり守って小中さんのご期待に応えたいと思う。小中さんには天国で安らかにお休みいただきたいと思っている。今日ばかりは、他のことを書く気持ちにはとてもなれない。さようなら 小中陽太郎先生 合掌
今日は9月19日以来ほぼ3カ月ぶりに1万歩以上を歩いてしまった。
6415.2024年12月5日(木) 「非常戒厳」尹大統領の命運やいかに?
一昨日夜お隣韓国で国家を揺るがすような政治的大混乱があった。尹錫悦大統領が突然「非常戒厳」を宣布したのである。それにより軍の戒厳司令官が一切の政治活動を禁じる布告令を出した。尹政権は2022年に発足して以来、支持率は20%前後を推移し、今年4月の総選挙で与党「国民の力」は大敗を喫した。国会は「共に民主党」を主とする野党が過半数を占めたことにより、多数の政府官僚が弾劾訴追されて行政が麻痺し、予算も政争に利用され通過しないと尹大統領は批判していた。
しかし、非常厳戒下だったにも拘わらず、国会は昨日未明に採決に参加した190人全員が賛成して「非常戒厳」解除要求決議案を緊急可決した。これを受け、尹大統領は止むを得ず宣布から6時間後に「非常戒厳」解除を宣言した。このドタバタに対して与党「国民の力」内でも批判が出ている。韓国メディアでも、何の利点があるのか、韓国史上最も不可解な出来事だとの声が出ている。野党は、「非常戒厳」を違法、違憲であり、内乱行為として完璧な弾劾事由に当たるとして、尹大統領の辞任を要求し、辞任しなければ弾劾手続きに入るとの批判的な声が高まっている。1980年に起きた光州事件に引き続き、1987年の民主化以降44年ぶりの戒厳令発令である。
その後今朝1時前に尹大統領の弾劾を求める議案が国会に報告され、明日にも採決が行われることになりそうである。採決で可決されるには国会議員の2/3以上の賛成が必要であり、現状では与党内から8名以上の賛成者が出れば、大統領の弾劾が決まる。
韓国国内では尹大統領の支持率は依然として低く、この事態の動きに対して与党内でも批判が出ており、軍を総括する金龍顕・国防相は「非常戒厳に関連して任務を遂行したすべての将兵は、私の指示に従ったものであり、すべての責任は私にある」として、自身辞意を表明した。すでに最大野党「共に民主党」は、尹大統領に違法な内乱罪に当たるとして強く辞任を要求した。これから一両日の間に大きな動きがあることだろう。懸念されるのは、こうした韓国内の政治的対立と混乱が、北朝鮮に利用され周辺海域などで治安が悪化することである。
同じような国会の激変が昨日フランスにも見られた。フランス議会は、内閣不信任案の採決を行い、574人の議員の内、331人が賛成票を投じ可決された。これによりバルニエ首相はマクロン大統領に辞表を提出し、内閣が総辞職することになった。第5共和制のド・ゴール大統領時代以前に遡り、実に62年ぶりの稀有な政治的現象である。近年フランス国内では極右勢力の「国民連合」が力を伸ばし、今や保守化の中心にいる。
韓国もフランスも政治が綱渡りをしている。尹大統領は、どちらかと言えば親日的で、それまでの韓国首脳がやや反日的な態度だったのに対して、日本への対応は常識的で対日強硬論をぶつことはなかった。今隠れたり、現れたりしている戦前の日韓関係の恥部を、尹大統領が辞任するようなことがあれば、再び問題となり、これからの日韓関係に多くの影響が現れることだろう。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ~」を想い出していると、「東ニ病気ノ子供アレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニ疲レタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ~」とあるが、韓国が病気の子に、フランスが病気の母に思えてくる。
6414.2024年12月4日(水) 生ぬるさが溢れている政治家の体質
昨夕になって小中陽太郎さんのご遺族と小中さんを知る仲間から、小中さんの葬儀の詳細について連絡があり、小中さんを知ってはいるが会ったことがない友人らにメールで連絡をした。葬儀は明後日目黒区の日本基督教団中目黒教会で行われる。小中さんとは生前親しかった同志や仲間らと一緒にお参りし、最後のお別れをすることになった。
さて、昨日今年2024年の「新語・流行語大賞」なるものが決まった。今年ほど馬鹿々々しい名称はないと言える駄作である。「ふてほど」というのだそうである。こんな新語・言葉はまったく知らなかった。まったく意味不明である。よくぞこんな意味不明の言葉を今年の「流行語」に選んだものである。
「ふてほど」とは、TBS連続テレビの「不適切にもほどがある!」の略語のようだが、年間の流行語大賞にこんな言葉を選んだこと自体が「ふてほど」だと思う。早速国会質問で野党が石破首相にこの言葉を使って質問していた。他にもっとまともな言葉が候補に挙がっていた。例えば、大谷翔平選手の「50-50」、政治の悪を暴露した「裏金問題」、今年40年ぶりに発行された「新紙幣」などの方が余程分かり易くスッキリする。なんか暗い世相を反映するような言葉が多いようだが、もう少し明るい話題がないものだろうか。
パッとしない話と言えば、今日国民民主党が開いた両院議員総会で代表の玉木氏について、政治倫理に反する行為として本日より向う3カ月間役職停止処分を課した。先月週刊誌で女性との不倫関係を明らかにされ、玉木代表は即座にその事実を素直に認め、謝罪した。それが潔しとでも思われたのか、その当時は停職や、解職の話は一切出なかった。得てしてこういうスキャンダルが明かになると、開き直るケースが多いが、直ぐ事実と認め謝罪したことが潔しと見られたのだろうか。その後代表は、自党の選挙公約実現のために自民党に掛け合い、「103万円の壁」の引き上げを実現させようとしている。国民民主党としては、代表の言動が功を奏したと評価したのか、スキャンダルに対する党内からの批判の声はあまり聞かれなかった。しかし、ことは唾棄すべき行為である。事実が明かされてから一呼吸置いて党内に難問がないと見込んだのか、今になって代表を形式的に処分することになった。実に政治家らの考えることらしい。
国民民主党では、両院議員総会の決定に対して党内から異論は出ず、全会一致でスムーズに受け入れたようだ。女性議員辺りから疑問が出なかったのだろうか。玉木代表の発言は論理的で、筋が通っているが、少数野党の代表だった総選挙前は存在感が薄かった。それが総選挙で議席数を大幅に伸ばし、主張にあまりブレがなく自党の主張を貫き通したことにより、急速に存在感が高まった。しかし、好事魔多しの諺通り、足元をよく見なかったせいであろう、つまらない下卑た罠にハマってしまった。それを許す体質が、国民民主党内にはあるようだ。
ここは国民民主党としては、役職停止を3カ月などと甘い処分ではなく、無期停止とでもすべきではなかっただろうか。
6413.2024年12月3日(火) ショック! べ平連で活動された小中陽太郎氏永眠
急に悪くなった前歯の状態を診てもらおうと今朝歯科に伺ったところ、入れ歯との間で大分ぐらついているので、様子を見るが、抜歯することも考慮に入れておいてもらいたいとちょっとがっかりする話だった。
ところが、午後帰宅してメールを見てみるとその中に小中陽太郎さんが今朝方お亡くなりになったという愕然とするメールを見て、大きなショックを受けた。取り急ぎ小中さんの奥様にお電話したところ今朝安らかな表情で旅立たれたと伺った。実にショックである。現在葬儀次第について打ち合わせ中であるので、決まったら娘さんからご連絡をいただくということになっている。
実は昨晩お歳暮品をお贈りしたことに対して奥様からお礼のお電話をいただいたが、生憎入浴中だったので、今日その後のお加減をお聞きしようと思っていた矢先に、メールでご他界を知り、慌てた次第である。
小中さんから親しくご厚誼を賜るようになったのは、四半世紀ほど以前である。ベトナム反戦運動で関わってべ平連との関係もあったが、「知的生産の技術研究会」の講演に来られて、その後の懇親会で親しくお話するようになり、幸いご自宅も近くだったことから度々お宅へお邪魔するようになった。小中さんの卓越した行動力の中でも、特に敬服しているのは、時間が経ちやや不正確かも知れないが、横須賀港に入港中のベトナム戦線へ向かう米艦艇乗組員の米海軍兵4人が基地から無断脱走した事件で、小中さんはその内のひとりをご自宅に約1年間匿い、普通の生活を送らせ、その後スウエーデンへ逃亡させたことである。ベトナム戦争中は、ニューヨーク市立大学教授として勤めておられたが、アメリカ国内で積極的にベトナム反戦運動に注力されておられた。とても私などが真似のできることではない。
ご自宅が近かったせいもあり、度々ご自宅を訪ねてはご家族とも親しくお話させていただいたことが、今も懐かしく思い出の一端として頭の中にある。ジャーナリストとしての心得や日常生活上の決まりなどでもよくアドバイスをいただいた。また、このホームページのタイトル「知の狩人 知の旅人」も小中さんからいただいたものである。これまで拙著を上梓した際に、出版記念会を新宿のハイアット・ホテルで3度開いたが、いつもご出席下さり、冒頭にご挨拶をいただいたり、処女出版書「現代海外武者修行のすすめ」には、表紙帯に推薦文を書いていただいた。
日本ペンクラブ入会に際しては、阿刀田高氏とともに推薦人になっていただき、7年前には私も理事の一員として、媚びない小中さんらとともに体制派と戦った。ペンクラブ会合の後には一緒に仲間たちとともによく飲み歩いたものである。妙に気持ちが通じたのは、接点として60年安保闘争で全学連書記長として反対勢力を仕切っていた東大生清水丈夫さんが、高校ラグビー部で私の1年先輩でお互いによく知っていたこともあった。
2年前の11月にご自宅の階段で転倒され、頭部を強打して以来人事不省の状態で、奥様や娘さんの看護の元で、ついに回復に戻ることはなかった。まだまだお話したいこともいっぱいあったし、教えを乞うことも山ほどあった。ただ、年齢的にも満90歳になられてあまり悔いを残されるようなことはなかったのではないかと思う。それがせめてもの救いである。それにしても敬愛する小中様が冥界へ旅立たれたのは、悲しいことである。小中様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
6412.2024年12月2日(月) やれやれ! 修正が終わりホッとした。
取るに足らないことかも知れないが、大分悩んだうえに無駄な時間を費やしてしまった。本ブログの日付の積算番号№(本日:6412)であるが、ある時から間違えて追番で間違えたまま昨日まで引きずってきてしまった。ブログは2007年5月から6千回以上も書き続けているので、いつ間違えたのかを調べるのが一苦労だった。日時を遡って番号を訂正しようにもあまりにも時間が経過したので、過去に戻りすべて正しいの番号に修正するのは、相当な手間と時間がかかる。他人様に迷惑をかけるわけでもなく、このまま書き続けても分からないかも知れない。だが、やはり間違いをそのままにしておくことでは許されないし、性分が許さない。
そもそも間違えたと分かったのは、今年元旦に連続で6千回近い5976回(実際には6076だった)に達したので、間もなく6千回になり7千回への意欲も添えて今年の年賀状に記した。そのまま気づかなかったが、10月ごろになって年末には番号が6千4百番台に達しそうな様子に、はて?と首を傾げた。これでは1年が4百日を超えてしまうではないか。そこで番号が間違っていることに初めて気づいた。このまま放っておくわけにもいかず、若い番号から順番に慎重に調べてみると2019年1月に桁違いの過ちを冒したことが分かった。それからその日を起点に1日1日丹念に調べて追番で修正したが、他にも2,3か所間違えていたこともあり、延々たる単純な作業に大分うんざりした。1か月近く掛かって漸く今日の正しい番号に修正し終えたところである。17年半に亘り毎日コツコツと書き続けた苦労も、こんな些細なミステークによって無駄な時間を使うことになった。それでも何とか時間をかけて正しく修正することが出来た。やれやれという感じである。
ケアレスミスは、誰でもつい冒しがちだが、年齢を重ねる度ごとにその可能性と危険性が高まってくる。私も老境に入り、その可能性が高まって来たということであるのかも知れないし、人生の回り道であるのかも知れない。6412回と修正された今日を新たなスタートとして今後も出来る限り書き続けて行きたいと思っている。
さて、先月17日に行われた兵庫県知事選挙は、史上最多の7人が立候補したが、県議会において全会一致で不信任案決議を受け、失職した斎藤元彦前知事が驚いたことに再選されたのである。選挙では兵庫県西宮市のPR会社代表が、「斎藤氏の陣営から広報戦略を任された」とするインターネット記事を公開し、これが公職選挙法違反の疑いがあると指摘されている。知事サイドは、公選法に違反するような認識はないと述べていたが、今日元検事の弁護士・郷原信郎氏と神戸学院大の上脇博之教授が、PR会社の代表が、戦略の立案を行ったなどとウェブサイトに投稿した記事の内容について、斎藤知事が会社に支払った報酬はインターネットによる選挙運動の対価であり、公職選挙法違反の買収にあたる疑いがあるとして斎藤知事とPR会社代表を神戸地検と兵庫県警に刑事告発した。告発者によると斎藤知事は知事選でPR会社の代表に「戦略的広報業務」を委託し、代表はSNSによる広報全般を企画・立案する「選挙運動者」だったとし、その報酬として斎藤氏の陣営が対価を支払ったと主張している。上脇教授と言えば、国会議員の裏金問題を最初に暴いて告発した人物である。今回は地元の不明瞭な知事選について、我慢ならず法に訴えたのであろう。
ただ、この告発がどういう結果になるのか、あまり期待するわけにもいかない。というのは、去る7月に行われた東京都知事選で、小池百合子知事の学歴詐称について元側近が東京地検に告発した例がある。これは「文藝春秋」誌にも大きく報道され、学歴詐称に至った経緯も詳しく報道されたもので、小池知事の学歴詐称がついに法的に明らかにされるのではないかと幾分期待して見守っていたが、本件に関してはその後一切の報道がない。単なるジェスチャーに終わるのではないか。兵庫県知事の告発もひとつの流れとして伝えられたというだけとは思いたくない。