充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
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6421.2024年12月11日(水) ノーベル平和賞授与式の好ましい印象
日本時間昨晩首都オスロ市庁舎内でノルウエィ国王夫妻らが出席の下にノーベル平和賞授与式が行われた。そもそも12月10日に授与式が行われるのは、賞の創設者アルフレッド・ノーベルの命日にあたるためである。日本被団協・田中熙巳代表委員ら3人が登壇し、ノーベル委員会委員長のフリードネス氏から3人にメダルと賞状が贈られた。賞金は約1億6千万円だという。2010年にノーベル化学賞を授与された高校の先輩、根岸英一博士がいただいたメダルは手に持たせていただいたことがあるが、いかにもずっしりと重く威厳を感じたものである。昨日の平和賞のメダルは直径6.6cm、厚さ5㎎、重さ196㎎だという。
田中代表のスピーチはかなり説得力のあるものだった。スピーチを聞いた人の間でも、かなり高い評価を受けていた。何といっても田中代表自身原爆被害者であり、長崎市内で原爆に被爆した際目にした生々しい実体験は、聞いた人にはかなり胸に迫るものがあったようだ。それは、授賞式会場外のパブリックビューイングを観ていた人々にも大分アピールしたようだった。ロシアが核を使用しそうだと非難したことについては、ロシア国内では、大学生が核兵器は国際舞台におけるロシアの権威を示すものだとして、世界の声を受け入れず、ロシア人としての言い分を述べるだけだった。これでは日本被団協の長年の努力とノーベル賞自体を軽視し、核戦争へ進ませるだけである。こういった一部の声をどうやって反省させ、核の恐ろしさを知らしめることが出来るかが、これから国際的に考えなければいけないことである。
ノルウェイの国会議員は、田中代表の語った原爆被災の生の報告に対して素晴らしく感動したとべた褒めだったが、被爆者が心身ともに苦しんだことや、国の補償を受けていないことを初めて知ったと驚いていた。終戦直前の当時ならいざ知らず、今以て知らなかったとの言葉には、少々ショックを受けたが、案外世界の核認識はこの程度でまだ初歩ではないかと思っている。
それでも良識ある人々からはスッキリと受け入れられたとスピーチの内容を評価していた。フリードネス委員長は、平和賞を日本被団協に授与するという決定は、核兵器は受け入れられず、2度と使用すべきでないという「核のタブー」と呼ぶ国際規範を形づくるうえで、彼ら被爆者の証言が重要だと見ているからだと語ったが、事実田中代表のスピーチは、充分その期待に応えていたと思う。核絶滅は難しいテーマだが、少しは世界の考えは変わってくれれば幸いである。このノーベル賞受賞をきっかけに遅々としていようとも核廃絶へ一歩一歩進むことを願って止まない。
また、国内外に戦争や嫌な事件が頻発しているが、その中でこのノーベル平和賞は明るくすっきりした印象を与えてくれた。流石に平和賞だけのことはある。
6420.2024年12月10日(火) 日本被団協、ノーベル平和賞を授与される。
今日はノーベル平和賞授賞式が、ノルウェイの首都オスロ市内で行われた。かつて佐藤栄作首相が平和賞を受賞した時は、そのニュースを聞いてとても信じられなかった。国民の間にも意外感とまさかとの驚きがあった。何故だろうか? どうして積極的に平和活動に貢献しているようには思えなかった、佐藤首相に権威あるノーベル平和賞が授与されるのだろうかと多くの疑問があった。それに引き換え、今回日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授賞が決定した時は、日本中が感動し、その受賞に喜びを感じたものである。今回の授賞式には、今日代表として登壇する3人以外に、高校生を含め多くの人びとが同行している。それは受賞の対象になった核廃絶運動を長い間に亘って続けて来たその努力してきたその背後に大勢の人たちの支えがあったからである。そして賞を代表として受け取る3人が、投下後すでに79年も経過して、後期高齢者になり、健康上の心配もあったからでもある。そのため渡航費と現地滞在費などを含めて約1千万円というかなりの費用が掛かり、とても不足だということから、早速有志らの発想でクラウドファンディング(寄付金公募)を行い、あっという間に約4千万円の支援金を集めたというから、クラウドファンディングの中でも極めて異質なくらい多額の資金が集まった。それほど今年の平和賞受賞には、多くの人びとの支援の下に誠実な核兵器廃絶、平和への祈りと願いが込められていたからだと思う。
ノーベル賞委員会のフリートネス委員長は、日本被団協の平和賞受賞について「我々にとって重要だったのは、日本被団協の素晴らしい活動を強調し、同時に核兵器が依然として問題で、人類への高まる脅威であることを世界に警告することだった」と語った。
一方で92歳の田中煕巳代表は、出発前から「核兵器は人類と共存させてはならない」としきりに強調していたが、現地入りしてからも現地記者団に「日本被団協は、核兵器廃絶、核のタブー確立のために貢献してきたと自負していた。運動の成果が世界の人びとに広く認められたのである。ロシアがウクライナ侵攻などで核兵器が威嚇に使われているが、核が軽く語られるようになったのは遺憾だ」と指摘し、核戦争誘発への警告を行った。この日本被団協の受賞を機に、核廃絶を巡る国際的な議論が進展することに期待した。
問題は、この平和賞受賞をきっかけに核廃絶運動が期待通り世界で進展するかどうかである。それは日本政府の姿勢にもかかっている。受賞式を前に、林芳正官房長官が今日の記者会見で、「長年核兵器の廃絶や被爆の実相に対する理解促進に取り組んでこられた」と日本被団協を評価したうえで、政府としても「核兵器のない世界に向けた現実的で実践的な取り組みを維持、強化していく」と訴え、被爆者とも連携していく考えを示した。
しかし、日本政府はこれまで核兵器禁止条約には参加していない。非核3原則だって怪しいものである。核保有国・アメリカの「核の傘」の下に同盟国である日本が守られているとの淡い希望の中で、アメリカに遠慮して強い核廃絶運動を行おうとしない日本政府の姿勢に疑念がある。核廃絶は、まだスタートしたばかりだと考えている。
6419.2024年12月9日(月) シリアと韓国の政治的混乱
昨日電撃的に伝えられたシリアの反体制派による首都ダマスカス制圧により、アサド・シリア大統領の行方が分からず、いずこかの国へ亡命したのではないかとの噂が交錯していた。
そして今朝ロシアの国営メディアが、アサド大統領は人道的な理由で亡命を認められ、家族とともにモスクワに到着したと伝えた。常にシリアの背後には、ロシアが控えていたが、実際に自身が失脚するとなると寂しい晩年を過ごす国が、そのロシアになったというのも運命であろう。ただ、今までのように国家権力を縦横無尽に独裁的に振るっていたアサド大統領にとっては、今ではその力もない。ロシアがこんな元大統領をどれほど支援してくれるだろうか。あんまり安楽な生活を送れることはないだろう。
アサド大統領が国を治めるようになったのは、元大統領だった父親の世襲である。一時的にブランクはあったが、アサド家が国家を牛耳っていたのは、その父親以来、実に半世紀以上に上るというから驚くばかりである。
今まで訪れてみたいと思いながらシリアは訪れる機会がなかったが、古代文明都市であり今思っても何とか訪れてみたかった魅力的な都市である。だが、国内で内戦や反政府派らの活動によって古代都市、特にアレッポなどはかなり荒れているようだ。
20年以上に亘り独裁的に国家を支配していたアサド大統領が残した負の遺産は大きく、支配者が代わっても早急に爪痕を消すことは出来まい。特に、反体制派と言っても一様ではない多くの反政府集団があり、独裁政権が倒れた後の新政権がどういう布陣で臨むのか、それによってはまた新たな国内の対立と抗争を招きかねない。
また、一方で政治混乱を引き起こしている韓国の政情も酷く混沌としている。現状は騒ぎの主である尹錫悦大統領の責任を追及して、検察は大統領を内乱罪と職権乱用の容疑で捜査している。与党「国民の力」の韓東勲代表は、尹大統領の権限行使を制約することを主張し、早期退陣を迫ると公約した。一方の野党「共に民主党」李在明代表は、憲政秩序を破壊する違憲行為として、あくまで大統領の弾劾訴追案を再び国会に上程するという。与野党間は調整がつかず、対立する一方で、当分の間政治の混乱は収まる見通しが立たない。この間国の政治が停止するわけであり、世界の流れに置いていかれることになり、いつまでもこのままにするわけには行くまい。来る14日に再び弾劾訴追案が上程されるが、これがまた不成立になるとしたら、このスピード化の時代に韓国は世界の動きから大きく後れを取ることになる。話し合いの空気が、どうして持ち上がってこないのだろうか。
韓国よ! しっかりしないと世界から完全に取り残されるぞ!
6418.2024年12月8日(日) 戦争の足音が聞こえる太平洋戦争開戦記念日
今日12月8日は、言わずと知れた太平洋戦争開戦記念日である。今から83年前に帝国海軍による真珠湾攻撃と陸軍によるマレー半島上陸作戦により、あの屈辱的な戦争の火蓋は切られた。当時はまだ3歳になって間もない幼児だったので、戦争とか、その怖さなどは知らなかった。しかし、その4年後の終戦時には、小学校(当時国民学校)1年生として戦争の怖さを身に染みて知るようになっていた。それは親から教えられたものではなく、実際に空襲警報により防空壕に逃げ込んだり、小学校から郊外授業で先生に連れられて同級生が揃ってお花畑へ出かける途中で、突然米空軍戦闘機編隊に襲われかかった時である。一瞬の間に上空から急接近してきた編隊に、引率の母親先生が「皆さん!伏せなさい!」と両手で大きなジェスチャーをして地面に伏せるよう大声で怒鳴った。今もはっきり覚えているが、編隊の先頭の戦闘機長の姿が目に入ったくらい近づいてきて、我々1年生集団を攻撃しかけていたが突然機首を上げ上空へ舞い上がって行った。後に続く戦闘機編隊も揃って隊長機に続いて上空へ付いて行った。そのまま編隊は空へ消えてしまった。あの時、戦隊長の目に入ったのは逃げ惑う我々幼い子どもたちの姿に、或いは自分の子どもを想い出したのかもしれない。機長の射撃する気持ちは不意に失せ急上昇したのだろう。それからしばらくして先生が、「皆さん、起きなさい」と言った時、戦闘機の攻撃から免れることが出来たのだと分かった。その後成人してからもベトナム戦争や、中東戦争の現場でひやりとする体験を何度か重ねたが、いずれも戦争の恐怖というものを身体全体で感じたものである。
ともかく戦争の恐ろしさを教えてくれた太平洋戦争であるが、私にとってはその後政府の太平洋戦争戦没者の遺骨収集事業を20年以上に亘りお手伝いすることになって、ご遺族の方々や戦友会の方々にも随分話を聞かされたことも、ひとつの縁であろう。日本はあの戦争で今日まで世界で唯一原爆を投下され、戦争の残虐さを知らされることによって新憲法で戦争を放棄することを誓った。しかし、戦争を知らない、というより戦争の怖さを知らない政治家を含めた世代が増えるに従って、戦争への恐怖心がなくなったようだ。政府も何とかして憲法を改正して条文上に戦争へ関与することを明記しようとし、軍事費も年々増大して、国民には黙って軍事国家へ脱皮しつつある。実に恐ろしいことである。これからZ世代が増えてくるにつれ、戦争の垣根が低くなり、いずれ性懲りもなく戦争へ踏み出すようになるのではないかと空恐ろしい気持ちに捉われることになる。
12月8日と言えば、お釈迦様が悟りを開いた日、成道とも呼ばれている。戦争とは極めて縁遠い人物である。お釈迦様が太平洋戦争開戦記念日を受け入れ戦争を抑え込んでくれることを願っている。
しかし、今年の12月8日は、穏やかな日ではなかった。韓国では昨日尹大統領弾劾訴追案が不成立となったが、検察は大統領を内乱罪などで捜査するという。
そこへ夜になってシリアの13年間続いたアサド独裁政権が崩壊し、大統領は国外へ脱出したとの外電が入って来た。シリアは中東の中でも多くのクルド人を抱えて、国内も不満分子が多かったが反政府運動などは、軍隊の力によって弾圧して、これまで不満の声は海外へ伝わってはきたが、アサド専制君主は揺るぎがなかったように思われた。それが反政府勢力によって首都ダマスカスを制圧されたことにより、情勢は一変し政権は崩壊した。これからシリアはどういう方向へ向かっていくのだろうか。
6417.2024年12月7日(土) 韓国大統領弾劾訴追案、採決成らず
去る3日韓国国内に非常戒厳宣布を行い、すぐ撤回して国民に大きなショックを与えた尹錫悦大統領が強い非難を浴びていたが、大統領自身は姿を現さなかった。漸く今朝テレビ演説で混乱を起こしたことを謝罪した。
そして、今日午後野党が提出した大統領弾劾訴追案が夕刻国会で採決されたが、その直前になって与党議員108人の内107人が議場から退場して可決に必要な数を確保できず、結局野党は改めて弾劾訴追案を提案することになった。今日1日韓国ではこの問題で国中が熱狂的な興奮と抗議に包まれ、国会周辺を中心に各地で「反尹大統領」、「尹大統領、辞めろ!」の声が充満していたようだ。最近の尹大統領の支持率は、選挙で当選した時もそれほど高くはなかったが、今では支持率僅かに16%にまで下落した。直接選挙制で国民から選ばれた大統領がここまで支持率が落ちるとは、話にならない。それには、個人的に金建希夫人に関するいくつかのスキャンダルが災いしている。いずれにせよ、尹大統領が自ら招いた試練である。近々行われる大統領弾劾訴追案に正面から向き合わざるを得ないだろう。
さて、11月分のブログ・アクセス実績が、去る3日Googleより送られて来た。11月分で上位3位に入ったのには、①24年8月31日「天下り官僚・斎藤兵庫県知事の悪評と愚行」、②23年9月19日「意外な付き合いから知った『世間は狭い』」、③24年3月28日「日本人の識字率は意外に低い」だった。直近のニュースで①の斎藤知事の悪評にはかなり世間の関心が高かったので、やはりと納得させられた。②の意外な付き合いとは回りくどいが、京都市内の中学校同クラスの女子のご子息がN響主任チェリストとして活躍されていて、偶々大学ゼミの親しい友人がアマチュア・オーケストラでチェロを演奏していて、そのチェリスト仲間のひとりが個人的にそのN響チェリストにチェロの指導を受けていたことが判明したことに、「世間は狭い」と感じたものである。その「上野浅草フィルハーモニー管弦楽団」の年に2度の定期演奏会が明日浅草公会堂で開催される。毎回鑑賞していたが、今年は不運にも7月はコロナに感染して鑑賞ならず、明日も体調が必ずしも優れないので、欠席ということになっている。しかし、こういう縁にご関心を抱いていただいた読者には感謝している。次いで、③は24年3月28日の「日本人の識字率の実態は意外に低い」だった。
積算トータルでは、①には先月同様22年8月16日「つまらない新聞連載小説」だった。これまでこの項目は度々上位3位以内に入っていたので、小説については、新聞小説のつまらなさと轡を並べて、10月には②に11月には③に入った13年9月30日「評価の分かれる盗作作家・山崎豊子さん」が注目されているのも分かる。
斎藤兵庫県知事が、知事失職後再び選挙で知事に選ばれた原因もよく分からないが、どうも公職選挙法違反があったのではないかと刑事告発されたままの現状である。いずれにせよこのブログも読者の関心と注目度に背中を押されている。今後も正確に論点を突いた事実を書いて、おこがましいが読者の期待に応えたいと思っている。