ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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5359.2022年4月23日(土) 幻と消えた第二山手線

 昨晩NHK・BS3で放映された「パラレルニッポン、幻の‘第二山手線’プロジェクト」で、大正期に現在の山手線の外側に洲崎から大井町まで第二山手線の建設計画があったことがドキュメントで紹介された。その中心人物となったのが、小田急創立者の利光鶴松翁であると知り、興味深く鑑賞した。

 その計画は着々と進められたが、残念ながらあの未曽有の関東大震災で東京の街は完膚なきまでに破壊され、計画は白紙に戻ってしまった。しかし、その後プロジェクトは国がかりで再検討され、鶴松翁はプロジェクトのリーダーとして膨大な資金集めのために株主を公募しながら計画を進めつつあった。だが、昭和に入ると日中戦争が始まり、海外ではNYウオール街で株価が暴落する世界恐慌が発生して、社会的にも経済的にも計画は挫折してしまった。

 昨日の番組の中で、仮に第二山手線が建設されていたら社会的に今日どんな影響を与えただろうかと番組出演者にアイディアを想像させていた。好い加減なプロジェクトでなく、実際自然災害や世界的社会環境の変化さえなければ、第二山手線は現実となったであろう。そのひとつに株式公募の案内状があり、もう一つの具体的な証拠として、京王電鉄井之頭線明大前駅に現在存在する上下線に並行して上下2車線のスペースが空いたまま残されている。これは第二山手線計画が実施段階へ一歩踏み込んだ建設の証しである。

 利光鶴松翁は小田急の創立者として、今も小田急社内では社史にその名を残し、多くの社員から崇められている存在である。私は鶴松翁の孫で、大学ゼミの先輩である利光國夫さんに小田急入社に際してもお世話になった。今も利光ご夫妻には我々夫婦も親しく交誼をいただいている。昨日もほんの僅かではあったが、弁護士のご子息剛さんとインタビューに応えておられた。今日いただいたメールによると、NHKのインタビューは1時間ほどだったらしいから、放映ではかなり短縮されてしまったことになる。

 それにしてもほんの噂程度だったが、第二山手線らしい計画があったことは微かに承知していた。計画倒れに終わったとは言え、その青写真があまりにも精巧に計画されていたのには驚いた次第である。全線の駅名を入れた立派なカラー地図にはこれが幻の計画かと絶句するほどである。確かに関東大震災とか、日中戦争、世界経済の凋落に災いされてしまったが、ここまできちんと計画を立てるのは、よほど国家としても相当力を入れていたのだろう。

 それでも幻に終わってしまったが、このような膨大な計画が過去にあって、その総帥として計画をリードしたのが小田急人だったことは、同じ小田急人として誇らしい気持ちである。

 さて、今日4月23日は、次男の誕生日であり、先ほどお祝いのメールを送ったところだ。実は、今日はイギリスの文豪ウイリアム・シェークスピアの誕生日でもある。それだけではなく、厄日でもある。彼は、1564年4月23日に生まれ、1616年4月23日に亡くなった。大分以前になるが、シェークスピアの故郷ストラットフォード・アポン・エイヴォンにある記念館を訪問した時、記念館の係員に誕生日と亡くなった日を得意になって喋ったところ、えらく驚き感心されてしまった。受験勉強の空暗記で覚えた生まれた年号は「ヒトゴロシ」、亡くなったのは「イロイロ」の語呂合わせで、誕生日と厄日は「4月23日」と覚えていた受験勉強の成果?を披露しただけだったが、本場で評価されることになった。受験勉強の空暗記も必ずしも時間の無駄ではないということだろうか。

2022年4月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5358.2022年4月22日(金) 年齢とともに身体が徐々に劣化

 一昨日東京医療センターで受けた検査の結果を基に、昨日かかりつけの整形外科医院に相談に伺った。変形性関節症の両手指は毎日欠かさずリハビリを欠かさないよういずれでもアドバイスされた。幸い一昨年以来の糖尿病は比較的数値が安定して一安心している。今日は特に膝の痛みについてご相談した。これまで時折両膝の痛みに悩まされ、その都度パテックスを貼って凌いできた。最近になってその膝の痛みが中々消えなくなったことと、膝の痛みのために座っていても立ち上がる時に辛いこと、かつ膝に水が溜まっているのではないかと松本医師に率直にお尋ねした。ベッドに寝て両膝を診てもらったところ、幸い水は溜まってはいないとのお話しだった。それでも妻の何人かの友人が水が溜まり手術で水分を取り除いてもらった話をしたところ、女性は男性に比べて水が溜まる人が多いとの話で、結論的には、膝の痛みは腿からくるので、両足の腿を鍛えるリハビリを続けるようアドバイスをいただき、昨日から腿を鍛えるリハビリを1日に2度トライすることにした。実際膝の痛みを改めて感じるようになってから、最近は身体を動かすことが少々億劫になった。特に、腰を屈める姿勢や、一度座った椅子から立ち上がるのが、これほど辛く感じられるようになったのは、意外だった。これもやはり年齢のせいであるが、これを何とか乗り切って行かなければいけないとは自覚しているつもりである。

 これまで83年余の生涯を振り返って幸運にも健康面で苦しむことはなかった。戦時中の小学生から高校生活を終えるまでの12年間で学校を1日とて休んだことはなかった。ある面で健康には私自身絶対の自信を持っていた。学生時代から社会人となって会社から身を退くまでもほとんど医師のお世話になることもなかった。高校時代にラグビー、大学では登山で存分に身体を鍛えたせいもあり、小さなケガは別として病気で休むようなことはなかった。それが、昨年後半辺りから少しずつ身体全体が弱り始めているように感じている。

 今少々寂しい気持ちにさせられるのは、まだ感染拡大中の新型コロナウィルスが終息したら、外国の田舎町でしばらく過ごしてみたいと考えていたが、自分自身の体調がそれに付いて行けるか心配になってきたことである。やはり何といっても健康第一であり、健康な時にはあまり気づかなかったことだが、仮に旅行先で健康を害したらと考えると胸にグサッと突き刺さって来るような気がする。

 「病は気から」と言われるように、気持ちで負けないことと、出来るだけ無理をせずリハビリで健康体を維持出来るような日課を欠かさないことだと心に言い聞かせている。それでもやはり年は取りたくないものだとつくづく思っている。

2022年4月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5357.2022年4月21日(木) 昨年度貿易収支は真っ赤っか

 このところ円安が急激に進み、去る3月11日に117円台だったのが、一時は130円台にまで落ち込み、20年ぶりの円安相場と言われている。それにはいろいろ原因があるが、アメリカのドルが高くなった反動がある。その他には、ロシアのウクライナ侵攻に対するロシアへの経済制裁により西欧諸国がロシアから石油、LPガスの輸入を停止したことが影響している。

 こんな時期に昨日財務省が3月の貿易統計を発表したが、過去2番目に大きい赤字額で、年間でも過去4番目の5兆3千億円の赤字を計上した。エネルギー資源の高騰と円安による輸入額の増加が、主たる赤字の原因である。現状ではエネルギー資源の高騰が収まる見通しはなく、このまま貿易赤字が続くと見られている。

 最近自民党内部でウクライナ情勢を考え、防衛費の増額が検討されている。5年後をメドに国内総生産(GDP)の2%以上を目指したい意向のようだ。2%なんて数字をそう簡単に言われても困る。歴史を遡って1976年三木内閣では、防衛費はGDPの1%を超えないことを決めた。87年中曽根内閣当時の予算では、その1%を超えた。幸いその後GDPが拡大したこともあり、ほとんど1%以下に収まって来た。それが防衛予算の使い道として高額な防衛機材の購入もあり、とても1%では収まり切れなくなり、今では2%をひとつのターゲットにしている節がある。奇しくも今年度の防衛予算額は、5兆4千億円でほぼ今年度貿易赤字額と同じである。自民党内では、防衛費をウクライナ侵攻というドサクサにまぎれてやみくもに予算を分捕ろうとの腹が見える。

 財務省は、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国では、国防予算の拡大とセットで財政の健全化を進めていることを例に上げている。例えば、スウェーデンでは、国防費増額の財源にたばこ税や酒税の引き上げをセットにして決めている。ドイツでも国防費の増額を決めたが、同時に財源をはっきり示している。その点日本では、安易に国債の発行など国家の借金に頼る脆弱な発想しか生まれない。国家財政を預かる財務省としては、健全な財政を維持するために経済、金融、財政の総合力が大切だと考えているが、自民党内にはそこまで考えている賢者はいない。

 大体今年度の国家予算だけで防衛費が吹っ飛ぶような国家の赤字額が出ている。来年度以降も予断は許せない。そうなれば、防衛費に注ぎ込む余裕は益々厳しいものとなる。政治家の発想には、財源には頓着なく「守備を固めて攻撃に出る」の考えがないことが無性に気になる。

2022年4月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5356.2022年4月20日(水) ロシアが制裁に報復、借りた飛行機は返さない。

 4週間ごとに東京医療センター膠原病内科で採血してもらい、検査結果について岡野医師から説明を受けている。今朝の検査では、特に気になっている両手指の変形性関節症は症状としては良くなっていないことを報告したところ、これはリューマチ系というより整形外科系なので、リハビリを続けるようアドバイスされた。そしてずっと服用していたプレドニン錠は糖尿病に良くないので、これを止めて、他の2種類の薬だけにしましょうということになった。明日かかりつけの松本整形外科に報告がてらリハビリについてご相談しようと考えている。

 さて、狂った熊のようにロシアは、ウクライナへ攻撃の歯を剝き出しにしている。東部マリウポリを壊滅させるべく、1度は同地で戦っているウクライナ軍へ降伏を求めたが、ウクライナが拒絶し徹底抗戦を主張して、5月9日のロシア第2次大戦戦勝記念日の勝利宣言が難しくなったことから、再びウクライナ軍へ降伏を要求した。同時に東部ドンパス地方への本格的攻撃が始まった。このロシアの侵攻について、過日アメリカのバイデン大統領がロシアはジェノサイド(集団殺害)を冒していると厳しく非難したが、カナダのトルドー首相もジェノサイドと厳しく指摘した。

 先日国連でウクライナ危機を巡ってロシアの行動に非難決議を採択したが、当然のように安保理事会の常任理事国であるロシアは、自国への糾弾であるだけに即座に反対を表明した。しかし、これでは常任理事国であれば、いかに平和、民主化に反対する行為であっても他国が手を出せない仕組みになっており、かねてよりこの常任理事国の拒否権制度が理不尽な結論になるとの点から、制度自体に多くの加盟国から疑問が呈されていた。

 昨日国連本部でこの問題に関して協議が行われ、安保理事国が拒否権を行使した場合、その理由を国連総会で説明することを義務付ける決議案が、来週にも採決にかけられる見通しとなった。ただ、これが採決されたとしても、自国に有利な説明をするだけだったら責任を取らせる手段が講じられるのだろうか、疑問は残る。したたかなロシアが「ハイ 承知しました」と素直に従うとは到底思えないが、多少は前進したと言って良いのだろうか。

 戦争に絡んでロシアのあくどいやり方がいろいろ明らかになっている。そのひとつに、欧米の航空機リース会社がロシアの航空会社へ貸し出した航空機が返って来ない事態になっている。ウクライナ侵攻に対する欧米の経済制裁への報復措置としてロシア政府が、外国から借りたリース旅客機約400機を国外に持ち出すことを停止したためである。これはプーチン大統領自身が、先月外国の航空機を国内に留めて自国内で使用するという不条理な法案に署名しているという。これには欧米以外にも日本のリース企業も戸惑っている。同時に先月末には、ロシアの運輸相もリースした機体を返却すれば、航空機がなくなってしまうので、機体は返さないと語っていたというから国絡みで世話になったリース会社へ、恩を仇で返したということになる。

 また、今日こんな残念なニュースも入って来た。国際音楽コンクール世界連盟は、「エリザベート王妃国際音楽コンクール」、及び「ショパン国際ピアノコンクール」とともに世界の3大音楽コンクールのひとつである「チャイコフスキー国際コンクール」を連盟から除名したと発表した。これはロシア人ピアニスト個人を締め出すことではなく、ロシア政府の組織を排除するということである。数々の名曲を遺したチャイコフスキーも泉下でさぞや悔し涙を流していることだろう。

 とにかくここへ来て、ロシアは、約束も、義理も人情も捨てた本性丸出しで、化けの皮も剥がれ、3等国に成り下がったということだ。

2022年4月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5355.2022年4月19日(火) 旧ソ連絶対体制の残り火が発火?

 昨晩NHKの新シリーズ「映像の世紀―バタフライエフェクト」の「ベルリンの壁崩壊と宰相メルケルの誕生」と題したドキュメントを、あの時代を想いながら納得して観ていた。昨年12月に退任したドイツのアンゲラ・メルケル前首相と、旧東ドイツの歌手ニナ・バーゲン、そしてデモで自由を訴えていたカトリン・ハッテンバウアーの3人の女性の壁崩壊前後の感情と動きを描いていた。特に壁が崩壊した1989年11月9日当日、3人が偶々東から西へ入国したとは意外な偶然だった。

 冷戦下で秘密警察シュタージの監視下におかれ東ドイツの市民生活は、同じドイツ人の西ドイツに比べて自由はなく、暗い生活を強いられていた。その分断された中心都市ベルリンを舞台に3人の女性のそれぞれの姿を描いていた。元々芯の強い女性だと考えていたメルケル氏は、シュレーダー元首相の後16年間の長期間激職を務めて来た。その活動は、G7首脳の中でも目立っていた。抱擁力があり、ヨーロッパ諸国がアフリカからの難民の受け入れを拒絶する中で、唯一ドイツは彼らを受け入れた。あのわからずやのアメリカのトランプ前大統領とは、G7で口をきかないこともあったくらい個性的で意思の堅い人だった。

 元来東ドイツの大学で物理学を学んでいた彼女が、政界へデビューしたのが、ベルリンの壁崩壊前後だった。1989年の壁崩壊に続く、翌年の東西ドイツの統一は衝撃的だった。ポップス・シンガー、ニナ・バーゲンが唄い、壁崩壊前に東独で流行った♪カラーフィルムを忘れたわ♪は、暗い時代を象徴した半ばやけくそ気分の歌詞である。これにメルケル氏は気持ちを動かされた。昨年メルケル氏の引退セレモニーが行われた際、通常式典ではそれに相応しい楽曲を演奏するが、この時はブラスバンドが演奏したのがこの曲だった。それほどメルケル氏にとっては印象に残る曲だったのだろう。

 それにしても東西ドイツの統一は、旧ソ連の崩壊へ連鎖して行ったが、統一ドイツの社会は旧西ドイツに倣った資本主義国家となった。その中で東ドイツ出身の女性が長年に亘って政界をリードして来られたのは、類稀なる才能もさることながら、目新しいものでも状況に応じて採り入れる積極性と包容力が国民から支持されたからであろう。

 若いころは、東独の監視社会の中で自由に動くことが出来なかったことが、♪カラーフィルムを忘れたわ♪に心を動かされたのだろう。歌詞には、カラーフィルムを忘れたので、暗い白黒フィルムで暗い写真しか撮れなかったとの当時の暗い東独の社会状況を映し出しているのだという。

 振り返って東西対立の時代に、ブルガリア、ルーマニア、チェコスロバキア、ハンガリー、東ドイツなど東欧諸国を訪れたことがあるが、全般的に暗く、どこへ出かけても雰囲気は憂鬱で窮屈な感じがしたものだった。中でも東ドイツでは、どこへ行くにしても鋭い目のシュタージが附いてきて、公的な話はすべてシュタージの了解を得ないと出来なかった。よくぞ国民は長い間我慢したものだ。

 改めて現今のロシア軍によるウクライナ侵攻を考えて見るに、ロシアのやり方は旧ソ連時代と変わっていないのではないかと思う。第2次大戦でナチ・ドイツに勝ったからロシアは得意気に、ウクライナをナチ扱いしているが、そう言っているロシアこそがナチ的行為をやっているではないか。

 ロシアの大きな身体に潜む「旧ソ連体質」が、スターリン首相に取って代わった第2のスターリン、プーチン大統領の見境のない傍若無人な攻撃の中に読み取れる。それが今も世界を脅し続けている。

2022年4月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com