充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
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6360.2024年10月11日(金) 祝! 今年のノーベル平和賞、日本被団協に
今夕7時前に唐突に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が今年のノーベル平和賞を受賞したとメディアが伝えた。その後は今日のトップニュースである。石破首相も滞在先のラオスで意義深い受賞であると語った。日本被団協は、広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、原爆投下から11年後の1956年に結成され、以後68年間世界へ向けて核禁止を訴えて来た。
今日の朝日夕刊一面に、「終わらぬ戦闘、平和賞の行方は」と題して、平和賞の受章者は、中東の人道支援評価か、と書かれている。実際ノーベル平和賞の有力候補として、中東で活動する5団体と国連機関のユニセフ、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界保健機構(WHO)、その他に2つばかり挙がっているが、日本被団協の名前はない。意外な隠し玉だったのだろうか。
実は、今年はウクライナにしろ、ガザ地区にしろ、激しい戦闘が繰り返されているが、ロシアのプーチン大統領の如きは、ロシアへ侵攻したら核の使用も辞さないと脅迫して世界中に恐怖を与えている有様である。核兵器の開発や保有などを法的に禁止する核兵器禁止条約は、日本被団協が中心となっておよそ300万人分の署名を集め採択を後押しした。その後はすべての国が条約に参加することを求める「ヒバクシャ国際署名」を続けておよそ1370万人分あまりの署名を国連に提出するほど積極的に活動した。
しかし、2021年に発効した「核兵器禁止条約」が、核兵器の開発や保有、使用などを禁止する国際条約で、これまでに73の国と地域が批准しているが、アメリカやロシア、中国などの核保有国や、アメリカの核の傘のもとにある日本などは条約に参加しておらず、核保有国と非保有国の溝は埋まっていない。ノーベル平和賞受賞は、祝うべきことではあるが、これを機会に更に核禁止の動きに拍車がかかるか、核被爆国の日本が未だに「核兵器禁止条約」を批准すらしていないことが問題である。これから政府が反核へ前向きな対応が出来るかどうかが、問われることになろう。
ともかくおめでたいことである。50年前に佐藤栄作首相がノーベル平和賞を受賞した時は、どうして授賞出来たのだろうと疑問ばかりだったが、今日の日本被団協への受賞は誇らしいことである。
さて、このところ地球沸騰化現象の影響であろうか、今夏の日本各地の沸騰化には皆些か参っている状態だった。中秋の季節に入っても真夏日になったり、気温のアップダウンが激しい。昨日ニュースで伝えられた情報によると、今年の真夏日(25℃以上)は過去最多の143日もあったという。加えて2番目に多かったのが昨年の142日、3番目が一昨年の140日だった。この数年急激に真夏日が増えて正に温暖化どころではなく、国連事務総長が警告したように沸騰化の時代になってしまった。
沸騰化現象は、気温ばかりでなく、過去の地球の気候秩序も乱している。アメリカ南東部に毎年秋になると襲来する台風ハリケーンの様子が、今年は少々異常な現象を示している。今メキシコ湾に発生した熱帯防風「ミルトン」は、フロリダ州を襲い、100年に1度とも言われるほどの大規模な暴風で、すでにかなりの死者を出している。先月下旬に襲った「へリーン」が死者200人を出したが、これを超え、1,400人の犠牲者を生んだ2005年の「カトリーナ」以来の打撃を与える恐れがある。
地球の気候変動が激しく、温暖化の主要原因である温室効果ガス減量を目指したパリ協定も、主たる排出国であるアメリカの当時のトランプ大統領が、アメリカ・ファーストの利己的な思惑によりパリ協定から脱退することによって、折角の決め事をぶち壊して、益々温室ガスを増やし、地球を熱くしている。元々ルールを守らない1位中国と2位アメリカだけで、温室ガス排出量の4割を占めている。世界は2つの大国に弱い。つまるところ、政治的な力関係によって気候さえ変わるのだということを我々は認識させられている。
6359.2024年10月10日(木) 衆議院解散、15日告示、27日総選挙投開票
今日10月10日は仏滅であるが、60年前は晴天の下に東京オリンピックの開会式が開かれた日だった。あれからこの日を国は「体育の日」として国民が健康に励むことを願って祝日と決めた。今では「体育の日」は、「スポーツの日」と名称を変えて祝日のまま「スポーツの日」も10月第2月曜日となった。
想い返すと60年前の今日、会社経理部に勤務していて上半期を終え決算業務に忙しい毎日だった。生憎当時はコンピューターも一部の部署でしか使われておらず、全員ソロバンを使って書類作成をしていたために、時間もかかり、土曜日だったにも拘らず、午前中勤務から残業し、時には泊まり込むようなこともあった。それでも開会式だけは、会社応接室の白黒テレビで観ていた。近くの甲州街道を走ったマラソンでは、会社を抜け出し断トツのトップだったエチオピアのアベベ選手や、銅メダリストの円谷幸吉選手が目の前を走っていくのを声援していた。アベベ選手については、偶々その4年後に甥のケベデくんとアジスアベバ市内で会ってヒーローだった伯父さんや、円谷選手について話し合ったことを懐かしく想い出す。
さて、昨日国会で石破茂・首相が初めての所信表明演説の後、衆議院の解散を行った。15日告示、27日の投開票が決まった。党首討論こそ行ったが、総裁に選出されてから慌ただしくことを進める首相に対して、各党代表は激しく批判した。今一番問題とされているのは、自民党の裏金問題が完全に解決されていない中で、自民党裏金議員の公認問題である。昨日森山幹事長が非公認を決めた自民党員12名の名前を公表した。党員資格停止処分を受けた下村元文科相、西村元経産相、高木元国会対策委員長、それに党の役職停止処分継続しながら政治倫理審査会で説明していない萩生田元政調会長、平沢元復興相、三ツ林元内閣府副大臣、以上6名が最初に非公認となった。更に、半年間の党役職停止の菅家元復興副大臣、中根元外務副大臣、小田原元外務副大臣、戒告処分だった細田元経産副大臣、不記載の越智元内閣府副大臣、今村元議員の6名である。立憲民主党の小川幹事長からは、「本来は議員辞職、立候補辞退、後任辞退することが筋である」と手厳しく非難されている。
当人らには処分は素直に受け取られていないようだが、これだけ厳しい世間の声に対しては、党としても非公認の処分は当然である。問題は、裏金を受け取ったが、公認とされた議員が党としてこのままで良いのかという声が党の内外から上がっている。
過去の総選挙でも例がない、これほどイメージを落とす裏金のような問題が注目を浴びるようでは、新内閣がいくら力んでも自民党議員の当選者は大分減ると見られている。実際石破首相は、解散前から大分当選者の減少を見込んで、当選者の目標は、自公併せて過半数と考えている。現在衆議院の定数は465名で、過半数は233名である。現時点で自民党1党だけで過半数を遥かに超える284名、公明党29名を合わせて与党だけでも313名もいる。石破政権は、現有勢力から25%減の過半数を目指していることになる。
外野席からも総選挙の結果が興味深いものとなったのは、事実であり、皮肉でもある。
6358.2024年10月9日(水) 死刑囚・袴田巌さんの無罪確定
昨日死刑囚だった元プロボクサー袴田巌さんの無罪が確定した。今日の朝刊でもトップ記事扱いである。それはそうだろう。58年前の一家4人殺害事件で、47年余に亘り不当に身柄を拘束された。1968年9月に静岡地裁で死刑判決を受け、無罪を主張して控訴したが、76年5月東京高裁で控訴棄却、80年11月最高裁で上告棄却となり、翌12月死刑が確定した。だが、どうしても潔白を証明したくて81年に再審を請求したが、94年8月静岡地裁で再審棄却された。それでも改めて再審請求を行った。しかし、2004年東京高裁は再び即時抗告を棄却し、08年最高裁も特別抗告を棄却した。2度目の再審請求も司法の判断に翻弄されるかの如くだった。幸いにして20年12月に、2年前の18年6月の東京高裁による高裁決定を取り消し、審理を差し戻した。23年3月東京高裁が再審開始を決定し、検察側が特別抗告を断念していた。ここへ来て最終的に検察側が控訴を断念することによって漸く袴田さんは自由の身となることが出来た。しかし、長い裁判の間に袴田さんは88歳になり、拘束期間中の精神的な圧迫状態から心身ともに打撃を受け、物事の判断が出来ない身体となってしまった。
昨日の最高検察庁の畝本直美検事総長の談話を聞いていると、これ以上袴田さんを心身ともに苦痛を与える控訴は、忍び難いので諦めるようなニュアンスの言葉を言いつつ、「判決は多くの問題を含む到底承服できないものだ」と静岡地裁が無罪判決を下した証拠に疑問を投げるような控訴したい気持ちも表していた。こんなことは検事総長ともあろう者が言うべきではない。これでは、折角解放された袴田さんがあまりにも気の毒である。
朝日新聞には、朝日としてこの事件の報道には、「当時の報道、おわびします」と長年に亘って袴田さんを犯人扱いしたような印象を与える記事が掲載されたことを反省し、今後の戒めにしたいとの編集局長の言葉が記載されていた。
あまりにも長期間に亘る裁判と証拠品について、各界から疑問が寄せられている。傍で終始支え続けていた91歳の姉秀子さんが無実の弟を助けようと自らの人生を投げうって献身的に救援活動に当たっていた前向きで誠実なお人柄には、頭が下がるばかりである。
今後は、長年の身柄拘束期間に受けた待遇について、国に対して補償請求が行われるようだが、何といっても如何に保障されようとも袴田さんが失った半世紀以上の自由な時間が戻ってくることはない。もう2度と繰り返してもらいたくない裁判沙汰である。
今日午後お隣の奥様が暗い表情で不意に訊ねて来られた。ご主人が1日にお亡くなりになり、葬儀一切は家族だけで済まされたということで、お志を置いていかれた。私より若く83歳だった。普段からそれほど親しく近所づきあいをしているわけではないが、それでもご近所では一番気安くお話できる方だった。長い間通院したり、入院したりしていたが、病状ははっきりせず、最後はほとんど食事を取らなかったが、苦しむことなく逝かれたのでホッとしているようなお話だった。1男1女がおられるが、娘さんはアメリカ人弁護士と結婚され、今は日本にいない。息子さんも都内で仕事をしながら離れて暮らしているので、奥様もおひとりになられてしまった。ご近所の間では、2軒隣のご主人が90歳ぐらいで奥様は施設に入られている。その方と私ぐらいしか男性は残っていなくなってしまった。今では昔のような親しい近所付き合いはなくなってしまったが、その中で数少ない向こう三軒両隣組の方が、いなくなるとは寂しくなったものである。これも「昭和は遠くなりにけり」現象であろうか。
6357.2024年10月8日(火) 新聞連載小説はつまらなくても読まれる?
Google社が恒例のブログ・アクセス9月分の結果をいつも通り送信してくれた。相変わらずというか、これほど2つのブログ、2013年9月30日付「評価の分かれる盗作作家・山崎豊子さん」と、22年8月16日付「つまらない新聞連載小説」が読まれて、トップ3に入るとは驚きである。山崎さんの人気もさることながら、彼女を盗作作家と書いたことにファンとしては気になったのだろう。また、新聞連載小説がつまらないと書いたことにも大分関心を寄せていただいたが、これは新聞小説を読み続け、期待されている読者が多いせいだろうか。現在朝日朝刊に連載中の湊かなえ著「G線上のアリア」も読んでいて一向に興味が湧かない。ストーリーとバッハの名曲との関連も何だか、よく分からない。4月から読み続けていたが、まったく興味が湧いてこないので、先月で読むのを止めてしまったくらいである。朝日の読者はこういう小説を好むのだろうか。どうにも理解出来ない。
9月分のアクセスについては、トピック的にはパワハラで注目された兵庫県前知事の失職がメディアを賑わせたが、私がブログに書いた中でも、24年8月31日付「天下り官僚・斎藤兵庫県知事の悪評と愚行」にかなりアクセスが集まったようだ。この他にも斎藤前知事については何度となくコメントを書いている。前知事が失職したために、今月31日に告示、来月17日に県知事選が行われるが、立候補者が9人も登場した自民党総裁選の影響でもないだろうが、現在7人もの候補者が名乗りを上げている。斎藤氏が再選されるのは難しいと思うが、強気にも再び立候補の意向を示している。他には、現職の日本維新の会参議院議員、元経産省官僚、前尼崎市長、前加西市長、共産党推薦の医師、7月の都知事選へ立候補して落選した会社経営者などがいる。とにかく兵庫県前知事の派手な言動は大きな話題になった。
この他にブログに書いたわけではないが、HP上の「論稿・エッセイ」欄に載せたNPO紙2009年9月号に寄稿した拙稿「杉野兵曹長は生きていた!」へのアクセス数が増え、唐突に目立ったのは意外だった。日露戦争中に乗船していた福井丸が旅順港で沈没して行方不明となり、あまりにも有名になった名曲♪~杉野はいずこ 杉野は居ずや♪で唄われたように、杉野を探し続けた上司・軍神廣瀬武夫中佐の名とともに、当時日本人で知らない人はいないくらい有名人となった。生前祖父がよくこの歌を唄っていた。その杉野は生きてはいたが、行方不明となった歌詞があまりにも有名だったために、日本に帰りづらくなった。日本人の間では杉野は戦死したと信じられたが、実際には中国で生きていたという話について書いてみたものだった。杉野、廣瀬を知る人がいることは今どき珍しいと思うが、そんな軍国時代の名誉の戦死を取り上げた原稿にアクセスされたということ自体が興味深い。
さて、暑い!暑い!と夏の猛暑に辟易していたころが信じられないほど急激に気温が下がり寒くなった。今日東京都内の気温は午前11時には19.3℃にまで下がり、30℃近かった昨日に比べて一気に10℃以上も下がった。朝から小雨交じりで、冷え冷えとしているが、このまま明日に寒さが引き継がれ、明日は11月の気温だという。そして冬入りとなるのだろうか。
6356.2024年10月7日(月) 中国の「愛国教育法」と反日教育は別物?
今朝不意にVISAカードを発行している「三井住友カード」会社から電話があった。このところ同社の対応の不誠実さに対して、何度となく手紙で同社社長宛に抗議と謝罪を求める手紙を送っていた。その返事がまったく来ない時に突然電話があったのである。少しは真っ当に応えようという気持ちなのかもしれない。ところが、生憎電話が私の難聴もあり、相手の声がよく聞き取れず、手紙に書いて欲しいと話したら、手紙を郵送するとのことだった。少しは解決へ向けて前進するのかと期待しているが、聞き取り難い会話の中で、自社の対応は間違っていないということを言っていたので、早く手紙を読んでみたい。この件については、9月11日と一昨日の本ブログにカード会社の対応を非難したばかりである。手紙を読んでから改めて本ブログにコメントを書いてみたい。
さて、先月18日に中国・広東州深圳市内で通学途上の日本人の小学生が中国人男性に突然殺害された。去る6月にも蘇州で日本人学校のバスが中国人に襲われ、児童を守ろうと庇った中国人女性が犠牲になるという痛ましい事件が起きたばかりである。
この日本人の幼児殺害について、日本大使館が中国政府に犯人の動機と詳細、そして今後の防止策を問いただしたところ、中国政府は個別の事案だとして詳しい動機などについては知らせてくれない。この冷酷さも中国特有の愛国教育のせいだろう。9月18日は、中国にとっては屈辱的な満州事変のきっかけとなった柳条湖事件が起きた日で、中国ではこの日を「国恥の日」と定めており、とかく反日行動が起こりやすい。幼児殺害事件が、この日に起きたというのは、勘ぐれば中国人が反日感情を爆発させた日だと考えられないこともない。
悲しいことだが、今日中関係は必ずしも順調とは言えない。ビジネスや、文化面での交流は良しとしても、やはり戦前の日本軍による中国大陸への侵攻、占領が当時の中国人の気持ちに大きな痛みを与えたことは大きいと思う。しかし、いつまでも日本を恨み、過激な行動に出たところで、事態は解決するものではないし、将来に明るい展望もない。悲しいことは、日本及び日本人への恨みや、反日感情が、以前に比べても強くなっている印象を受けることである。
1970年代に初めて中国を訪れた時、中国経済はかなり遅れていて、ほとんどの国民は人民服を纏い、市街では自転車や、壁新聞が目についた。高級車なぞは見当たらず、観光してもバスはマイクロバスだった。だが、人々は皆親切で優しかった。今の中国人のケンカ腰の話し方とは、随分違った。それが、経済発展に伴い、国、国民が豊かになるにつれ、中国人は自信と誇りを持ち、聊か傲慢になったように感じている。そこには、中国独特の現代「愛国教育」が影響しているものと考えている。
実は、昨年10月、中国政府は全人代(全国人民代表大会)で、「愛国主義教育法」を可決、成立したのに伴い、今年1月施行した。その第1条には、「社会主義現代化国家の全面的な建設と、中華民族の偉大なる復興の全面的な前進のための大いなる力を結集する」と堂々と謳っている。これは、愛国主義教育・思想統制の法制化だと言われている。学校の教育現場でも導入された。自由な発言や行動に枠を嵌めるような自由化を抑え込むようなものである。習近平と中国共産党の共同作品と言えよう。ただ、このような教育を受けた子どもたちが将来、自由に物を言えず、他人の発言にブレーキをかけるようなことになっては、広い意味で中国人は世界から敬遠されていくのではないだろうか。中国、中国人との付き合いには、注意を怠らないよう警告しているような「愛国主義教育法」ではないだろうか。