ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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5487.2022年8月29日(月) 「NATIONAL GEOGRAPHIC」誌に目を開かされる。

 定期購読している「NATIONAL GEOGRAPHIC」(略称:ナショグラ)日本語版9月号が今日送られてきた。1995年4月日本語版創刊と同時に購読を始めて、今でも毎月発行される新刊号を楽しみに待っている。全般的に内容が充実しているので、読み応えがあり、隅から隅まですべてに目を通すことは出来ないが、興味深そうな特集を拾い読みしている。この雑誌の素晴らしいのは、取り上げた記事の内容もさることながら写真が美麗で、珍しい写真が多いことである。20年間に亘って海外教育視察団お供した折に、アメリカではどこの小中学校の図書館にも必ずナショグラが1冊は置かれているのに気づき、日米の初等教育の視点の違いを知らされたものである。特に自然、歴史、外国文化、冒険に関する特集記事などは、日本の学校教育ではまず習うことがない。日本の学校では目に触れることがないような記事がふんだんに載っていることに驚く。偶々9月号に「戦禍のイエメンで歴史を守る」のタイトル一目見て、紀元前1000年に始まったイエメンの歴史から、今年4月ハディ大統領辞任までの歴史の変転を分かり易く解説しているのに興味を惹かれた。

 イエメン史の節目に「1967年11月独立」と書る。ちょどその直後にアデンを訪れたので、何とも忘れられない史実である。当初は68年1月に独立の予定で、私がその直前に駐日イギリス大使館で入国ビザを取得した。だが、独立が繰り上げされ、私がアデンへ着いた時は、すでに独立国となっており、イギリス大使館で取得した入国ビザが無効となり、直ぐには入国許可をもらえなかった。急遽新独立国で改めて入国ビザを申請、取得して、日本人として初めて入国を許された複雑な経緯がある。

「ナショグラ」には、イエメンの歴史は、砂漠の国として3千年前の発祥当時は隊商王国だったと紹介されている。激しい宗教的対立は今に始まったものではなく、多神教からユダヤ教とキリスト教が広まり、7世紀からイスラム教国家となった。9世紀から1960年代まで北部ではイスラム教でもシーア派の勢力が強まった。そして、拙著「八十冒険爺の言いたい放題」でも触れたが、1939年以降イギリスによるアデン港の28年間に亙る植民地化などが国家歴史上の史実として紹介されている。こういう記事をアメリカの子どもたちは、授業で教えられなくとも知らず知らずのうちに目にして、知識として身に着けていくのではないだろうか。とても日本では外国の歴史については表面的な史実しか教えない。このことが日本人とアメリカ人が史実を歴史的に、また同時に現実的に捉えるか、はたまたイメージ的に捉えるかの差になるのではないだろうかと考えている。

 書物、それとなく読んでいる内に頭の中に想像力が働き、それに歴史的史実が添えられれば歴史はしっかり頭の中に植え付けられ、歴史的史実を思考の中心に据えた思考力、想像力が身に着くのではないかと考えている。

 最近やや読書量が低下している。もう少し気楽に考えながら読みたいと思った書物を読まなければ、知識や思考力は衰えるばかりである。ナショグラに目を通しつつ、知の源泉である読書力を高めていかなければいけないと思っている。

2022年8月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5486.2022年8月28日(日) NPT会議、ロシア1国の反対で決裂

 どうも悪い予感がしていた。それがズバリ当たってしまった。5年に1度国連本部で開かれる核軍縮、核不拡散、原子力の3本柱で平和利用を目指す核不拡散条約(NPT)の再検討会議が、最終文書の合意を得られないまま閉会となってしまったのだ。ウクライナ侵攻でロシアが核の使用を仄めかし、不穏な空気の中で開かれた全体会合は、4週間も費やした。その挙句にロシアの反対で最終文書を採択出来ず、何収穫もないまま会議は閉会となった。前回2015年の会合でも中東の非核地帯構想を巡って交渉が決裂し、最終文書を採択出来なかった。今回は当初の予定より2年遅れて開かれたが、またも何の成果も得られなかった。これで半世紀以上に亘って核戦争のない世界に寄与してきたNPTへの信頼まで揺らぐ事態となってしまった。1970年に発足したNPTには191か国もの国々が加盟している。そんな多数国の合意文書をロシア1国の身勝手な都合で合意出来なくなってしまったのだ。最後にはロシアがやや受け入れやすい文書に修正して、同じ核保有国の中国がロシアに説得を試みたが、ロシアはそれに応じなかった。

 そもそも本会議は大雑把に言えば、核軍縮を保有国が漸進的に進め、将来的には核のない世界を作ることが目標である。それが今回核保有国、特にロシアの身勝手な主張でむしろ後退する結果となった。当然非核保有国からは不満が噴き出ている。また、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のフィン事務総長は、失望と同時にこれはロシアだけの問題ではないとも語った。積極的に動かない他の核保有国への不満であろう。ウクライナ戦線に光が見えない中で、核について前向きな意見が出にくい状況にあると言える。

 ところで日本は世界で唯一の被爆国という立場上国内外から、NPTに向けてより積極的な行動を取るべきだとの声が強いが、日本政府はアメリカの核の傘の下にあるとの立場から、これまで核保有国と非核保有国の架け橋になるとの抽象的な発言をしただけである。今回の会議に岸田首相は日本の首相として初めてオンラインで参加したが、「核なき世界」を掲げる被爆地・広島の出身である首相、反って出鼻をくじかれた形となった。

 いずれにせよ、核軍縮への期待は当分の間消えてしまった。当面ウクライナのザボリーシャ原発に対するロシア軍の攻撃中止を祈ることしかない。このままではいずれ核戦争の危険が増すばかりである。この切羽詰まった事態を核保有国、特にロシアは本心ではどう思っているのだろうか。世界中の人びと核の危機で怯えさせ、核を持たない国の人びとがこれを何とか止めさせようと躍起になっている。だが、核保有国のロシアは、そんなことは歯牙にもかけない素振りである。一説によるとロシアの狙いは、ロシア国内に政府の強硬姿勢を示すことによって国民の政府への信頼感を高めることが出来るとの思惑があるようである。ロシアにとっては世界の危険除去より、自国民からの信頼、忠誠の方が重要なのだろう。

 当然ながら被爆地、広島と長崎でも落胆が広がった。11月に広島で開かれる「国際賢人会議」、更に来年5月に同じ広島で主要7か国首脳会議(G7サミット)を主催する岸田首相としては難しい立場に立たされることになった。

2022年8月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5485.2022年8月27日(土) 安倍元首相国葬の是非

 ちょうど1か月先の今日9月27日に安倍元首相の国葬が行われる予定である。一般には国民の誰もがその業績を評価し、人格的にも優れた人を国家、国民が弔意を示しつつ彼岸へ送るというのが、国葬のあるべき姿であると思う。その点では、この度の安倍氏の国葬は、岸田内閣があまりにも拙速に実施を決めたことが、問題をこじらせたように思っている。国民の半数以上が反対する国葬をどうして決行しなければならないのか。国葬には、慣例として皇族方が出席されるようだし、各国からも首脳ら要人の出席が予想されている。アメリカからオバマ元大統領、ハリス副大統領、フランスのマクロン大統領、ドイツのメルケル前首相らの出席が伝えられている。

 安倍元首相の功績としてしばしば言われることだが、首相として通算8年7か月の歴代最長在任期間を推薦の切り札に上げるが、必ずしも安倍氏が優れた業績を挙げたということではない。自民党内にも政界にも対抗出来る有力な政治家がいなかったこともあり、在任期間だけを長所にしても説得力がない。確かに外交上は、あのうるさ型のトランプ大統領や、プーチン大統領ともさほどの引け目を取らずに付き合っていた。国内における実績としては、アベノミクスと言われる経済政策が一部には評価されている。

 しかし、マイナス面の言動も多かった。その最たるものは、森友・加計学園問題の国有地払い下げと、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との底知れぬ闇の関係であろう。前者については、公示価格を大きく下回る価格で学校建設用地を森友学園に払い下げ、それが問題視されると財務局職員に罪をなすりつけ、自死者まで生んだ。その森友学園の名誉校長となったのが、安倍昭恵夫人だった。それでも安倍氏は国会答弁で何ら疚しいことはなく、もしそれが事実なら首相はもとより、国会議員も辞めるとまで見えを切ったが、首相を辞めたのは他の理由であり、亡くなるまで国会議員を辞めることなく、むしろ自民党内で最大派閥のボスとなって政界内に隠然たる力を揮っていた。他にも私的な「桜を見る会」実施に当たり寄付を受け、公的資金を使い、公職選挙法違反及び所得税法違反の疑いがかけられていた。それらは、すべて元首相の死とともに追及されることなく忘れられ、表面的な功績だけが強調されいる。それでも保守的な自民党員は、ほぼ全員が国葬賛成である。二階元幹事長の如きは、昨日の記者会見で「国葬をやらなかったらバカだ」とまでうそぶいた。こんな世論を読めない発言をする政治家こそ「バカ」ではないか。

 今回の国葬に際して、閣議決定だけでことを進め、反対論が強いにも拘わらず国会で一切論戦がないまま、国費を使って実施する計画だけが先行している。しかも、前記の旧統一教会との怪しげな関係も問題である。今広く話題となっている旧統一教会との関わり合いが多くの問題を派生させているが、そもそも旧統一教会との最初の接点安倍元首相の祖父・岸信介元首相にあり、統一教会の暗い秘密が安倍元首相と旧統一教会を密接に結びつけたのである。こんな不条理な闇をそのままにして国葬によって安倍元首相を来世へ送り出すことが、倫理的にも常識的にも許されることだろうか。

 実際岸田内閣の大臣、及び副大臣、政務官の間に旧統一教会と関係を持った人物が実に多くいる。内閣も血だらけではないか。そのように血なまぐさくしたのは、誰あろう岸、安倍一族であることをよく考える必要があるだろう。

 今日新宿西口では国葬反対の大規模なデモが行われ、福島瑞穂・社民党党首や、作家の落合恵子氏らが声を大にして通行人に反対を訴えていたようだ。

2022年8月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5484.2022年8月26日(金) 旧文部省教員海外視察団の懐かしい思い出

 大分前のことになるが、学生時代の友人に旧文部省主宰の教員海外教育事情視察団に、どのくらい関わっていたのかと唐突に聞かれたことがある。つい先日ちょっとした暇つぶしに添乗員として随行した全視察団のレポート集を含めてすべての資料を調べてみた。

 この旧文部省教員海外派遣プロジェクトは、かつて田中角栄首相が在任中に始めた文部科学行政の一環であり、毎年全国の公立小中高教員に海外視察の機会を与えることによって、教員に国際的視野を身に着けて欲しいとの願いから実行に移されたものである

 幸いこのプロジェクトに長年携わることが出来、21回も全国の先生方とともに海外の教育施設を訪れ見学する機会を与えてもらった。1976年に初めて長期団でスウェーデンとアメリカへ出かけてから1995年短期団山梨県の先生方とご一緒するまで20年間に実に533名の先生方と海外の教育施設で行動を共にする貴重な機会を得ることが出来た。最初のアメリカ、マサチューセッツ州のニューベッドフォードは、ジョン万次郎が漂流中助けられ、生活したホイットフィールド船長の自宅があるところである。ここにはジョン万次郎記念館もあり、私の妻がジョン万次郎の遠戚であることを館長に話したところ、次回は是非夫妻で訪れて欲しいと仰っていただいた。残念ながら、最早半世紀近くも経つのに、その夢はまだ実現していない。

 ところで、長期団とは1か月の旅程で全国の先生から構成される視察団であり、短期団は都道府県単位で16日間の研修旅行である。普通の海外旅行に比較すれば、やや長い旅程でもある。私自身長期視察団9団と、また短期団では茨城5団、山梨2団、以下東京、埼玉、群馬、福井、兵庫7都県12団とともに旅をして、20年間に延べ462日間海外研修していたことになる。

 現在コロナ禍もあり、当初の計画通りこのプロジェクトが実施されているかどうかは定かではないが、家庭が貧しく高等教育を受けられなかった田中首相ならではの思いが籠められたプロジェクトで、現場の先生とともにこのプロジェクトに参画出来たことは幸せな体験だった。最初のころは国際的にまだ東西対立の時代であったが幸い社会主義国家と呼ばれていた国々を訪れることが出来て、資本主義国と対極にある国々、特に社会主義教育のありのままの姿を自分の目で見学することが出来たことは幸運だったと思う。

 特に、第3世界と呼ばれたチトー大統領のユーゴスラビア、ソ連の厳しい監視と制約に抑圧されそうなチェコスロバキア、東西分裂下の東西両ドイツ、独裁者チャウシェスク大統領支配下のルーマニア、同じ社会主義国ブルガリアなどを覗き見ることが出来たことは、後学のためにも貴重な体験となった。西ドイツとは大きな経済格差が見られた東ドイツの学校訪問では、常に秘密警察シュタージ係官に監視され、思いつめたような環境の下で、日本側の質問に答える東ドイツの教師の怯えるような態度が強く印象に残っている。最も多く訪れた国はアメリカで、9回訪れ、学校訪問に訪れた都市18都市に及んだ。

 この教育視察団のひとつで思いがけないことがあった。それはベオグラードで友人山崎洋さんに巡り合えたことである。1984年ユーゴスラビアのリエカを視察の際、現地通訳を務めてくれたのが、ゾルゲ事件でゾルゲの仲間ブランコ・ド・ブケリッチ氏の遺児・山崎さんだった。彼は大学内キャンパスで私の顔を見たことがあるような気がすると言って話し合っている内に、奇しくも大学、専攻学部、卒業年度まで同じだということが分った。まったく予想もしなかった出会いだった。こんな奇跡的なこともあるものかとお互いに驚いた次第である。

 大学卒業後、彼はすぐユーゴへ渡航し爾来現在ユーゴ解体後のセルビア・ベオグラードに居住し、現地の情報を広く発信している。今でも付き合いは続き、毎年のように会っていた。コロナ禍なければ今年も彼が日本へ一時帰国して会っている筈だった。今では最も信頼出来る親しい友人のひとりである彼との付き合いによって、世界が大きく広がったし、国際社会を見る立ち位置も少し変わった。彼から教えられることも多く、今やかけがえのない友人となった。初めての出会いから早や38年、この付き合いは終生続けて行けると思っている。これもこのプロジェクトがもたらしてくれた思わぬサプライズ・プレゼントである。

 旅行中原則として食事も自分で手配することもひとつの教育と考えられ、旅行当初は先生もかなり当惑していたが、慣れるに従いスムーズにご自分で食事を取れるようになった。

 学校訪問を通して思いがけず知ったことは、初等教育では一般的に先生は子どもたちに教えることが好きであるというより、むしろ先生は子どもたちが可愛くて大好きだということを登校時、下校時の様子を見て知らされた。これこそが初等教育に携わる教師の原点であると思う。また、アメリカでは教師はほとんど喫煙しないことで、日本側の先生がタバコを喫えなくて落ち着かなかったことも印象に残っている。

 帰国後は、各団ともに毎年のように同窓会を開いていたが、年々それも少なくなり、今ではすべて解散してしまった。参加された先生も年々彼岸へ逝かれて今では数少なくなり、先生文通だけの交流になってしまった。

 添乗員には、文部省からヨーロッパでは現地通訳をアテンドしても良いが、英語圏では渉外係の英語教員と添乗員が通訳を分担して務めることが義務づけられ、普段は英語を教えている先生も相当悩まれていた。添乗員としても通訳は必須だったので、業務を果たしていたが、初めの内はかなり悪戦苦闘した。学校訪問時の通訳は、次第に慣れてきてさほど苦労することもなくなったが、ある都市で急遽ビール工場の見学が決まり、ビールの製造工程には専門用語が多く、その時の通訳業務には随分苦労したことがあった

 いずれにしろ、この教育視察団に同行出来たことは、自分自身の視野を大きく広げてくれ、世界情勢にも広く目を開かせてくれた。現地の新聞にも度々取り上げられ、テレビにも何度か顔を出したことがある。とにかく、旅行業者としてはこのような格調高いツアーに関わることが出来て、普通では訪れることがないような国々をタイムリーに訪れ、話題の都市に滞在するハッピーな経験をさせてもらった。正に旅行業者冥利に尽きると言えると思う。こういう上等な業務に携わることが出来たサラリーマン人生を心から幸運だと思い、有難く思っている。

2022年8月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5483.2022年8月25日(木) 本場のミュージカルはやはりすごい。

 久しぶりに本場のミュージカルを渋谷のオーチャードホールで鑑賞した。市川学園中学時代のクラスメートに、今春ブロードウェイのミュージカル‘A CHORUS LINE(コーラスライン)」の公演が日本であるので一緒に見ないかと誘いを受けていたものである。劇場は満員だった。まだ会社勤めだった当時、ニューヨークへ出張した際に、「CATS」「オペラ座の怪人」などの人気作品をしばしば見て、面白かったとの印象があるが、今日見た30~40名からなるショーは、やはり本場ものらしく迫力が違った。ミュージカルについて詳しく知っているわけではないが、今日見た「コーラスライン」は、ダンスにしても切れ味があり、手足のジェスチャーまで全員揃っていて、コーラスも素晴らしい歌唱力には感動した。見ていても音声に覇気と情熱が感じられ、心から満足して鑑賞することが出来た。機会があれば、またいつか本場のミュージカルを楽しみたいものである。

 さて、コロナ禍とウクライナ戦争の影響で、日本ばかりでなく世界中で電力不足が懸念されているが、政府は原発稼働についてこれまで言葉を濁していたが、この電力不足を盾に岸田首相は、昨日唐突に原発再稼働について前向きな考えを示した。原発の新増設や建て替えについて検討を進めるとの考えである。現在までに再稼働した原発10基に加えて、東電柏崎刈羽6,7号機、関西電力高浜1,2号機など7基について来夏以降再稼働を進める方針を示した。これまで、原発汚染の問題で地元住民をはじめ、広く警戒感が強かったにも拘らず、一気に再稼働へ話を進めたのには、そのむちゃぶりと問題軽視に少々首を傾げている。これがスムーズに行くかどうかは、何とも言えない。この政府の方針転換は、福島第一原発の事故後の原子力政策を転換させることである。これまで電力業界や自民党の一部は新増設を求めて来たが、政府は世論の反発を考え慎重だった。今回政府が原発再開へ踏み込んだのは、その背景に電力不足が決定的になったことがある。電力会社は火力発電への投資に消極的で、発電能力が不足がちだった。特にウクライナ戦争の結果、原油や天然ガスが高騰したことが大きい。また、2011年の東日本大震災時における福島原発の問題点がクリアされたわけではない。最大の問題点は、難しい課題の多い原発再開について地元住民をはじめ国民全般の理解が得られるか、極めて不透明であることだ。
 それにしても疑問を禁じ得ないのは、これまで原発稼働について国民の間にあれほど強かった反対論を、昨今の電力不足を理由に、政府が安易に原発稼働を検討し始めたことである。昨今の岸田政権の言動は、政治家の旧統一教会との関係、安倍元首相国葬、そしてこの原発回帰などについて国民の考えに配慮することなく、また国会で充分な議論を行うことなくことを進めることである。これら国民が抱える不安とか、反対について政府は少々勇み足ではないかと気になる。

2022年8月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com