ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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5669.2023年2月27日(月) カナリア諸島先住民のミイラに対する思い

 今日は随分暖かい。都内の気温は14℃であるが、ウォーキングに出かけたら汗をかくほどだった。明日以降もしばらく暖かい日が続きそうで、久しぶりに講演をする明後日は、19℃だというから4月の気候である。どんな衣服を着ていったら良いのか考えてしまう。

 ついては、「NATIONAL GEOGRAPHIC」2月号に「知られざる千のミイラの洞窟」という特集が組まれていて、昔の死者の遺体がこれほどまでにきれいに保存されているのかと写真とイラストを見て驚いている。スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島の洞窟内に保存されていた先住民のミイラである。1772年の文献に「素晴らしい神殿が発見された。1,000体ものミイラで埋め尽くされている」と紹介されている。写真を見ても18世紀に発見された多くのミイラが、これほど完全な形で発見されるとは極めて珍しいと思う。ロシア・モスクワ市内の「赤の広場」にあるレーニン廟には、ロシア革命を主導したレーニン本人の防腐保存された遺体が大切に保存され、連日多くの参拝者が訪れている。20余年ばかり前に私自身レーニン廟を訪れ、レーニンの遺体と対面したことがあるが、まるでレーニンが眠っているように見てとれた。但し、この保存方法は、かなりの費用がかかるようで、今ロシア国内ではこのまま将来に亘って保存すべきか、或いは遠からず埋葬すべきか、議論が分かれていると聞いている。

 そのレーニンの遺体とは比べようがないが、数百年も昔の多くの遺体がテネリフェ島山中の洞窟内に手つかずで保存されていたとは信じがたいことである。中でもひとつの遺体は、肉が乾燥したまま骨に固まっていて骸骨という感じではない。その人のものかどうかまでは分かっていないが、頭蓋骨には髪の毛まで付いている。手足の指先には爪も残っている。時代的には12~13世紀のものと考えられている。古い時代のものであるが、遥か古代のエジプトのミイラとは保存の仕方が異なるようで、死後の世界へ送るに当たり、4段階を踏んで保存された。第1段階では、遺体を水と薬草で汚れを落とし、遺体を清めた。そして天日干しの効果を高めるため、全身に動物の脂を塗った。第2ステップでは、腐敗を防ぐために鉱物、薬草、樹皮を混ぜ合わせたものを身体の表面の隅々まで塗布した。第3ステップの脱水工程では、15日間を要して日中は十分日差しのあたる砂地の上に遺体を置いて寝かせ、夜間は焚火の煙で燻した。最後は乾燥の工程が終わると遺体をヤギの皮で包み、永遠の地である洞窟へ運んだそうである。ここまで故人への思慕と愛情を死後の世界にまで届けようというのは、世知辛い今の世では考えられないことである。昔この島では人が亡くなると親類縁者の人々は丁重に故人を来世に向けて送ったのだ。

 翻って昨今のウクライナ戦争の現場では、ロシア軍によって殺害された人々の遺体がそのまま戦場に放置されたり、無造作に掘られた穴の中へ埋められている。そこには故人への哀悼の気持ちなんかまるでない。昔のカナリア諸島では、亡くなられた先住民へ周囲の人々が恋しく慕う気持ちがよく現れたミイラだと思うと、何とも言えない気持ちに捉われる。

2023年2月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5668.2023年2月26日(日) 2.26事件発生の日に改憲スピーチ?

 2月26日と言えば、昭和11(1936)年に言わずと知れた「2.26事件」が起きた日である。あれからもう87年が経つ。次第に軍国色が強まってきた準戦時体制下において、陸軍参謀部に不満を持った青年将校らが起こした一種のクーデターである。事件後いくつかの反省点が出され同じような事件の発生を防止するため法整備も行われたが、時とともに次第に忘れられていく。それは現代においても数年前からこの事件についてメディアの報道が一切行われていないことからも明らかである。ということは、あの時代に戻りつつあるということをも暗示していると言える。

 今日都内で開かれた自民党大会で岸田首相は、「時代は憲法の早期改正を求めている」と述べ、憲法改正へ強い意欲を示したという。すでに違憲的行為が多い自民党政権下では、改憲へどういう道筋をつけるかが当面の課題であり、極力改憲への動きを強めたいとの気持ちが溢れている。自民党内には、改憲への動きはかなり前から強まっていた。2019年当時の自民党二階幹事長が、地元和歌山市内のホテルで行った憲法集会には、雨の降る夜にもかかわらず、1,000人もの県民が集まり「自衛隊の明記 憲法改正」とアピールしたという。そこへ今は亡き当時の安倍晋三首相の改憲に向け行動するとのビデオ・メッセージが映し出された。超保守派の安倍氏が改憲を打ち出すのは、いつものことであるが、このころ政調会長を務めていた岸田現首相も憲法をテーマとする政調会を全国各地で開いていた。岸田首相の今日の発言は、今に始まったことではない。

 ロシアのウクライナ侵略戦争の悲惨さが報じられる度に、早く停戦にならないかとの願いが強くなるばかりである。戦争体験がなく、戦争の真の恐ろしさを知らない岸田首相は、国防予算を増額し、アメリカの要望に沿って軍事態勢を固め、敵基地への攻撃も辞さないと戦争へ前向き姿勢である。こんな気持ちを憲法改正に入れ込まれては、憲法は戦争のための法律になりかねない。恐ろしいことである。

 そんな時に一昨日元毎日新聞記者だった西山太吉氏が、北九州市内で亡くなられたと報道された。西山記者と言えば、忘れもしない沖縄返還に関わる日米密約文書を入手して公開した事件である。西山氏の論旨は実物を入手しているので、説得力があったが、入手のルートが外務省女性事務官からの機密文書遺漏というスキャンダルと見做され、焦点は密約自体より女性へのそそのかしと受け取られて報道され、論点がずらされてしまった。今から20年近く前に、有楽町で西山氏の講演を受講したことがあるが、右手のこぶしで左の手のひらを叩きながら悲憤慷慨して話していた熱っぽい姿を想い出す。今ではあのような真っ当な正義派ジャーナリストは少なくなった。西山氏は今の岸田内閣の改憲や、対米追従をどう思っていただろうか。きっとこぶしを振り回していたかもしれない。享年91歳だった。心よりご冥福をお祈りしたい。合掌

2023年2月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5667.2023年2月25日(土) 江戸時代と変わらない五公五民

 昨日の朝日夕刊「素粒子」欄に興味深い数字合わせが紹介されていた。第1次世界大戦の開戦日は1914年7月28日、第2次世界大戦は1939年9月1日、そしてウクライナ侵攻が始まったのは、2022年2月24日である。それぞれ年月日を1桁、或いは2桁数字にしてそれらを足してみると、第1次世界大戦は、19+14+7+28=68である。そして第2次世界大戦とウクライナ侵攻の数字も同じ「68」となるから不思議なものである。これらエポック・メークな1日は偶々一致したのだろうが、歴史を画する重大な事件勃発日の数字が同じとは奇縁だと言えないだろうか。因みに私自身の誕生日は71だった。一致しなくて良かった。

 さて、「国民負担率」という言葉がある。日本の数値は諸外国とは取り入れる綱目が異なるので、単純に比較は出来ないが、財務省のHPによれば「(日本の国民負担率は)租税負担率と社会保障負担率の合計」だそうである。それが、2022年度は47.5%になる見込みだそうである。国民の負担額が多く、世間には江戸時代の五公五民と変わらないと嘆きの声も聞こえるようだ。

 早速いつも突き刺さるような刺激的な発言で、しばしばメディアで話題になる泉房穂・兵庫県明石市長が、昨日のツィッターでこんなふうに嘆いていた。「『国民負担率‘47.5%’』って、相当に高い。子ども時代(1960年代、1970年代)は、‘20%’台で、今の半分程度。平成に入ってからも‘30%’台だったのに、いつのまにか‘50%’近くにまでなってしまった。まともな政治家を選んでこなかったツケが、今になって回ってきたということだろうか・・・」

 実際1965年代は23%だった。それが80年代に入ってから30%台となって、今では50%近くになっている。泉市長は、「~国民は諸外国並みにすでに十分過ぎるほど負担をしている。にも拘わらず、子育て支援も介護負担の軽減も一向に進まない。私たちのお金は、一体どこに消えているのだろう。江戸時代よりひどい時代に、私たちは生きているのかもしれない」と大分ご不満である。岸田政権が防衛費を倍増したら、五公五民どころか、六公四民、将来的には七公三民にまで国民の手元には、稼いだお金が残らないのではないかとの声も聞こえる。

 すべてが国会議員のせいであるとは言えないが、彼らに相当の責任があることは疑いようがない。国会議員になれる人がごく一部の階層の人たちに限られるようになったことが、国会議員の劣化を招いている。その最たるものは、世襲議員である。国会議員たる資質がなくても、知能が足りなくても、或いは勉強しなくても国会議員の子息や親族にとっては、他の立候補者よりも当選し易い選挙制度と環境になっていることである。彼らに言わせれば、誰でも自由に立候補できる権利が保証されている筈だと言うだろうが、票に結び付くコネなるものは、長年の世襲によって培われたものである。従って、この悪循環を排除するためには、厳しいかもしれないが、現職議員を辞めた次の選挙では、その子息や親族に一定期間立候補出来ない制約を設けることも一つの方法だと思う。平成に首相になった世襲議員は、16人中10人もいて、更に広義に捉えれば、12人にもなる。政界のトップである首相の75%以上が世襲首相ということだ。こんな組織は他にはないと思う。これはどう見てもおかしい。

2023年2月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5666.2023年2月24日(金) ロシアのウクライナ侵攻から1年

 5日前に我が家の白梅がちらほら開花し始めたが、今日起きて外を見ると大分花が開いている様子を見て、漸く春がやってきたのだと実感させられる。

 今日の朝日朝刊都内版に自由が丘にバンクシーが出現?と出ていた。あのどこからともなく忽然と現れ壁に特異な絵を描いて立ち去る謎の覆面芸術家が描いたと思わせる絵が、自由が丘駅前の創業100年の書店の横壁に描かれているというのである。ちょうど銀行に所用があったので、書店へ寄ってみると壁の前に三々五々人が集まり写真を撮っていた。雲に乗った子どもが持つ釣りざおの先にハートが結ばれている図柄であるが、これはバンクシーではなく、日本人グラフィティ・アーチストに明日、明後日と開かれる自由が丘猫祭りのPRに書店店主が依頼して描いてもらったものだという。

 こうしたユーモラスな試みは、心を和ませるので、コロナ渦や、物価高騰、防衛費倍増、ウクライナ戦争などの嫌なニュースが溢れる中でホッと一息つくことが出来る。このバンクシー的画像はいつまでこのままにしておくのだろうか。

 さて、思い出すだけでも憂鬱になるロシア軍のウクライナ侵略が始まってから、今日でちょうどまる1年である。ウクライナ、ロシア双方にはそれぞれ言い分と強いこだわりがあるだろう。今日の新聞には、侵略が始まった原因や経緯、ロシアの狙い、欧米各国の支援態勢、避難民の行方、等々について多くのスペースが割かれている。

 昨日国連総会では、ロシア軍に無条件撤退を要求し、ウクライナの永続的な平和の必要性を強調する決議案を141か国の賛成で採択した。決議案は日本、アメリカなど50か国以上が共同提案国となったものだ。反対票を投じたのは、当事国のロシア、ベラルーシ、北朝鮮、エリトリア、マリ、ニカラグア、シリアの7か国だった。中国は、インドなど32か国は棄権票を投じた。残念なことにこの決議には、法的拘束力はないが、それでもロシアが国際社会の中で孤立している印象をアピールするには効果的だと思う。

 しかし、どう見てもロシアの殺人者的傍若無人ぶりの侵略に、これほどロシアへの支持国があるのが理解出来ない。それはロシア国内におけるプーチン大統領の支持率にも似たように首を傾げるところがある。昨年の侵攻開始以来多少下がったようだが、プーチン大統領支持率は、今ではほぼ80%前後を維持している。とても素直には受け取れない。プーチンの身勝手で自己本位の言動が正確に国民に伝えられていないからでもあると思う。偶々今朝の「天声人語」に「自由のない社会では、為政者の言動に沈黙で応じるばかりか、称賛の拍手を送らねば身の危うい時もある」と書かれていたが、今のロシアとロシア国民を象徴している。

 両国の死者も増え続けているが、ウクライナの発表したロシア軍の死者数は14万4千人、イギリスが発表した数は4~6万人で、ロシアが公表した死者は6千人である。ロシアが過少に公表していることは明らかである。

 日本にもこんな話もある。ウクライナ避難民を日本も受け入れていて、スポーツ選手に合宿の機会を提供している。1例として、新体操のウクライナ選手に対して群馬県高崎市がその機会を供与している。そこへ敢えて渡辺守成・国際体操連盟会長が訪れ、ウクライナ新体操選手と話をした時、彼女らからロシア選手とは同じカーペットの上では試合をしたくないと言うことを聞かされた。これに対して、心の痛みは理解出来るし共有すると話した後に、スポーツは友情と連帯、そして平和を求め続けるべきで、憎しみは新たな憎しみを生むだけだと話したところ、自分に向けるまなざしが希望から落胆、そして憎悪に変わっていくのが分かり辛かったと渡辺会長が語っていたそうである。それほど戦争の傷跡は若い選手の心の中にまで突き刺さっていると感じたようだ。

 戦争はやってはいけないし、絶対阻止すべきである。この単純なことが分からなくなるのが、戦争に向かっていく人たちの心の混乱なのだ。岸田首相も戦争を知らない世代で、防衛費を増額して、敵基地攻撃能力を備えるなど戯けたことを実行しようとしているが、いつの間にか戦争にのめり込んでいるのではないかととても気がかりである。

2023年2月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5665.2023年2月23日(木) ユダヤ人「命のビザ」に隠れた協力者

 今日は天皇陛下63歳の誕生日である。一般参賀は、新型コロナウィルスの影響から天皇即位後初めて行われた。昨年の今日のブログにも書き込んだが、大学2学年当時大学の山仲間とスキー・ツアーで新鹿沢温泉へ向かっていた時、仲間のひとりがラジオから当時の皇太子誕生のニュースを聞いた。あれから63年が経過したということになる。今や世界には皇室、王室が存在する国は少なくなった。その中でも最近はイギリスの王室内のトラブルが話題になって国民から広く敬愛される王室は減りつつある。その点では、日本の皇室は大きな問題もなく、国民からの信頼は強いものと思われる。宮内庁では今後広報活動を充実させ、皇室のありのままを国民にアピールし、更に信頼を勝ち得るよう努める意向のようである。

 さて、意外なことを知った。戦時中「命のビザ」を発行して大勢のユダヤ人を救ったリトアニア・カウナスの日本領事代理だった杉原千畝の行動は、ユダヤ人の母国イスラエルばかりでなく、世界中で人間愛の気持ちを抱く多くの人々に称賛されている。私も6年前に当地を訪れて杉原が勤務した領事館をはじめ、いくつかの関連施設を見学した。意外だったのは、杉原はユダヤ人に日本の通過ビザを発行したが、彼らの身分証明書上に同時に目的地のビザも並んで押印されていたことだった。これは杉原と同様に当時リトアニアに駐在していたズワルデンダイク・オランダ領事に依って発行されたものである。確かに目的地のビザがなければ、杉原が発給した通過ビザの効力も疑問である。そしてその目的地とは、カリブ海に浮かぶオランダ領のキュラソー島だった。ベネズエラまで60㎞ほどの小さな島である。

 ユダヤ人にとって幸運だったのは、ユダヤ人にとってはナチに侵略されて反ユダヤの空気が漲り厳しかったであろうヨーロッパにあってオランダはやや友好的だった。このような人間愛に溢れた外交官がリトアニアに2人もいて、ともに彼らの旅行に便宜を図ってくれた。オランダ領事による目的地ビザ発給の協力がなければ、杉原のビザ発給も意味を持たない可能性もあった。実際ユダヤ人たちは、必ずしもキュラソー島を最終目的としたわけではなく、途中でアメリカやその他の国へ入国した人が多かったと見られている。その意味で2人の外交官の連携があったからこそ、数千人と言われるユダヤ人の命も救われたと言えよう。キュラソー島は、今もオランダ王国の構成国で、当時はオランダ人総督の許可さえあれば、容易に入国出来たという。

 それにしても、これまで日本国内では杉原による緊急ビザ発給ばかりが伝えられ、隠れた協力者だったオランダ領事についてはほとんど知らされなかったが、事実は、2人の緊密な連携プレイにより多くのユダヤ人の命が救われたということに、新たな感動を覚えた。

2023年2月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com