録画したビデオの内、今日も戦争・終戦関連番組50分物をじっくり観た。去る12日にNHKが放映した「本土空襲全記録~無差別爆撃へ~」という終戦間近い時期の日本本土への米軍機空襲の画像である。日本人にとっては心が痛む画面ばかりである。アメリカの公文書館秘蔵の画像を初めて外部に公開したものだそうだが、爆撃機にセットされたガン・カメラというもので本土を攻撃する際に無慈悲にも空からカメラで日本の地上を徹底して撮りまくった動画である。米空軍は当初拠点爆撃を目標にしていたが、次第に日本のすべてを破壊するべく出撃した攻撃的な姿勢が表れている。工場、駅、街、飛行場、街の風景など日本の空中写真がすべてカメラに収まっている。日本の手の内を読まれているとも言えよう。とても当時の日本が太刀打ち出来るものではなかった。
取材班はこの貴重な資料を基に米軍の「本土空襲マップ」を再生してみた。結局1944年7月のサイパン陥落後、米空軍がサイパンをB29爆撃機の基地に使用してから日本本土への空襲が激しくなった。同年11月東京郊外の中島飛行機製作所に対して爆撃が開始され、以降全国各地へ空襲が行われた。本土で空襲を実体験した人たちが体験談を話されていたが、私自身にも似たような実体験がある。この番組でも列車や駅は次第に攻撃の大きなターゲットになっていったと説明されたが、戦時中房総に住んでいた頃度々裏山の防空壕へ避難した。忘れられない強烈な印象は、自宅2階から目の前で見たアメリカ空軍機による房総西線(現内房線)列車銃撃シーンである。実際走行中の列車が低空飛行した戦闘機に射撃されたシーンは衝撃的だった。しかもこの銃撃シーンを同じ房州の勝山小学校に通学し、今なお親しくしているたった1人の同級生、笹生嵩夫くん(安房高~一橋大~住友商事)も見ていたと聞いてびっくりした。
日本軍はサイパン陥落後制空権を失い、敗戦へ向けて一直線で突き進んだ。1945年3月10日の東京空襲を含めて全国で46万人もの方々が落命された。全国に落とされた焼夷弾の数は、実に2040万発で、銃弾は850万発だったそうである。
冷静に分析すると竹槍作戦の日本にはとても勝ち目はなく、アメリカ軍は‘There are no civilians in Japan’との考えの下に軍人だけでなく、非情にも女性、年寄り、子どもを含めた全日本人を攻撃ターゲットにしていた資料まであった。
終戦記念日だけではなく、日本人としては戦争の歴史と勃発の原因、原発投下と被災者、侵略し戦禍を与えた国々の国民、戦没者などにもっと関心を抱かなければならない。それこそが、今後平和の誓いとなって戦争をなくすための運動に繋がって行くと思う。