今日は72年目の終戦記念日である。韓国では「光復節(独立記念日)」、北朝鮮では「祖国解放記念日」と呼ばれ、国の祝日とされているが、日本ではどういうわけだか、今以ってこの日は祝日に制定されていない。敗戦は祝うべきではないとでも考えているのだろうか。
戦争が終結したのは、疎開先・房州の国民学校初等科1年生の時だった。戦争の記憶ははっきり残っているが、72年前の今日の玉音放送についてその当時は記憶になく、幼かったせいもあり戦前と戦後の境目がどうもはっきりしない。
今日天皇・皇后両陛下ご臨席の下に日本武道館で行われた全国戦没者追悼式をテレビで観ていた。厳かに式典は執り行われ天皇も、安倍首相も平和への誓いをされたが、天皇の願いと首相の願いはやや方向が異なるのではないかと気になっている。天皇は「反省」という言葉を今年も述べておられた。一方、首相はアジアへの侵略、加害という言葉を今年も加えることはなかった。
折も折元共同通信社の知り合いから昨晩メールで、天皇陛下のご学友とされる橋本明氏が一昨日亡くなられたと知らせてもらった。天皇に関する著書もあり、専らそのことでいろいろ話題になられる方である。2度ほどお会いしてお話したことがあるが、印象としては、ご自分の経歴をひけらかすような方ではなかったが、従弟の橋本龍太郎元首相については饒舌だった。昨年8月天皇はご自分の年齢を考えて肉体的に負担の重い天皇職を譲りたいとのお気持ちを表明されたが、同年齢の橋本氏のご逝去を知り、さぞ落胆されるのではないかと思う。
終戦記念日に当たり今年も保守政治家らの靖国神社参拝の流れは衰えることはなかった。日報紛失問題で物議を醸しながら閉会中審査にも出なかった極右の稲田朋美・元防衛相も今日ばかりは意気揚々と参拝していた。
一方で、アメリカと北朝鮮のグアム島射程云々のミサイル発射に関する舌戦が相変わらず激しい。グアム島ではそれなりの備えは怠りないようだが、観光にも影響しかねない。この行方は、一体どうなるのだろうか。
さて、わが家の庭にも朝から蝉の鳴き声が聞かれるようになった。しばらく聞いていると何となく情緒が感じられ、ひたすら懐かしく、子どものころ随分蝉を捕まえた記憶が蘇ってくる。1週間の儚い命だが、夏の風物詩として蝉は格好の話題を提供してくれる。
偶々昨日の朝日朝刊「天声人語」に、芭蕉の名句「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」が採り上げられている。この蝉はどういう種類の蝉だろうかとの疑問を抱いて斎藤茂吉や小宮豊隆らもこの時期に現地を訪ねて推察している。結局素人には分からず、昆虫学者が時期や標高からするとアブラゼミ説よりニイニイゼミ説に理があるという話に落ち着いている。蝉がこれから減る兆しがあるのは、成長に欠かせない軟らかくて湿った土壌が細った場合のようだ。今後蝉が生き残れる自然環境が残されるだろうか少々気になる。その点で蝉が鳴く環境にあるという点では、有難いことにわが家の周囲にもまだ自然が残されているということでもある。