3062.2015年10月1日(木) 「マグナ・カルタ」って何だ?

 世界史でマグナ・カルタを学んだのは高校時代だったが、当時は大学受験で頭が一杯だったので、あまり歴史的事実関係とか、時代背景についてその何たるかはあまり関心がなかったし、考えもしなかった。ただジョン・イングランド国王の治世下の1215年に発布されたマグナ・カルタは、イングランド王としての自らの権限制限を制定した大憲章とだけ憶えた。わが国では、厳しい縦社会の武家政治が始まったばかりの封建時代である。今年そのマグナ・カルタが発布800年の記念すべき年に当たり、イングランドでは今年それなりの行事が行われていると思う。

 それが、日本ではどうかというと、何と今年の北海道大学の入学試験に関連の問題が出されたのだ。40年ほど前初めてイギリスを訪れた時、ロンドンから確かウィンザー城へ向かう途上だったと思うが、ラニミード地方の野原の端っこに記念碑らしき石碑が建てられてあった。ガイドによるとそれがマグナ・カルタ記念碑だった。ジョン王は、どちらかというとそれほど評価の高い国王ではなかった。彼はフィリップ・フランス国王との戦に敗れてイングランド領地だったフランス内の国土を失い、財政的に苦しくなり増税しようとして貴族らの反発を買い、自らの権限を縮小させられて制定させられたのが、瓢箪から駒というか、この大憲章である。後にローマ教皇から大憲章の放棄を求められるなど、概して浮かばれない国王だった。だが、このマグナ・カルタが危うくなりながらも今日のイギリス憲法の下地になったことを考えると、マグナ・カルタ制定に関わったジョン王は非凡の王だったとも言える。

 しかし、我々日本人にとっては、受験用の知識としてしか教わらず、覚えようともせず、況してや成立した時代背景や、その内容についてはあまり関心がなかったのではないだろうか。それが、北大入試に下記のような質問形式で出題された。

 「インノケンティウス3世と対立し破門された王ジョンは、大憲章(マグナ・カルタ)を承認させられた王としても知られる。大憲章承認にいたる経緯を60字程度で簡素に説明しなさい」。

 これに対して都立高教諭が次のような模範解答例を書いている。

 「フランス王に敗れて大陸領土を失ったジョン王が財政難から重税を課すと、貴族が結束して王にせまり、大憲章を承認させた(57字)」である。そうかぁ。なるほどそうかと思えども、正しいとも、間違っているとも言えない。これで満点をもらえるのか。

2015年10月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com