朝日新聞社、改め「夕日新聞社」渡辺雅隆社長へ宛てて6度目の簡易書留便を送った。これまで何度手紙を送っても無視されるばかりなので、こんな無礼な築地の無法松とは徹底的に戦う腹を決めた。歴代の「夕日」社長はほとんど記事の捏造や間違い記事等の不祥事で辞任している。渡辺社長も同じようにいつ降って来るか分からないスキャンダルに直面した際、厳しい指弾を浴びるのに、どうしてもう少し謙虚になれないものか。
それにしても社長の代理人として2度ほど「お客さまオフィス」担当部長から、社長は忙しいので代わりに返事を書いたと言っておきながら、2度目の返事の中で私の質問に対する回答は言い尽くしたと都合良く解釈し、一方的に最後通牒を送ってきたのはいかなる料簡なのか。部長氏は私の質問に応えておらず、意はまったく尽くされていない。質問の途中で黙って戦線離脱して逃げ出してしまったのである。その間に編集担当常務にも手紙を書いたが、これもまったくなしのつぶてだった。「夕日新聞」というところは、社長以下揃いも揃って自分たちが定めた「『夕日』記者行動基準」に背いて読者を無視しているのである。彼らはどうもこういう案件には関わりたくないようで何とか逃げきろうと、私の方で面倒と思って諦めるのを待っている節がある。
今日の書留便では、「夕日」にとって嫌なことや、辛辣なことも大分書いてやった。「夕日」人の傲慢にして上から目線の尊大な対応、捏造記事の反省も直ぐ高飛車に傲慢に転向、言うだけで実行せず、朝令暮改、お山の大将、噓つき、他人の看板を黙って利用、等々かなり手厳しく痛いところを突いたつもりである。そして、社長が1959年生まれであることから、私が60年安保闘争時に警察隊から放水された時代にのうのうと産湯を浸かっていたようなご仁が、今では「夕日」社長になったからと思いあがって60年安保世代の後期高齢者を侮蔑するようになった、等々部分的に嫌がらせの内容も含めて書いた。私は今後、「夕日」本社、社長宅周辺でも近辺に迷惑をかけないよう気をつけながら、「夕日」を糾弾する活動をひとりで行うことを考えている。「夕日」合戦が始まって早4ヶ月になるが、鉾を収める気持ちはない。
一方、テレビ東京とのバトルについては、「夕日新聞」とは論争の内容が異なる。去る1日夕方に放映した「アンサー 潜入テレビ初! 飢餓の島で見た戦争」のタイトルで民間団体がガダルカナル島で戦没者の遺骨収集を紹介したドキュメントの解説に問題があった。番組の最後にキャスター的立場の森本智子アナウンサーが総括的にまとめていたが、そのコメントで間違った内容を話したのである。それは、民間団体がこのような作業を行うのではなく、今後は国がもっと力を入れるべきであるとまことしやかに語った。しかし、国の遺骨収集事業は昭和27年から旧厚生省援護局によって一元的に行われ、私も長い間お手伝いした。当時はむしろ民間団体が手を出すことが許されていなかった事業である。民間団体がこの事業に手を染めるようになったのは、それほど昔のことではない。この点で森本アナのコメントは重大な事実誤認を犯している。
かなり視聴者に誤解を与える番組だと思ったので、その翌日直ぐテレビ東京に対して、コメントを訂正し正確な情報を放送で視聴者にきちんと伝えるべきであると送信したまま回答がない状態になっている。「夕日」もそうであるが、メディアというのは、自己本位で面倒くさがり屋であり、外部からアドバイスされることを極端に嫌う特殊な組織であり、正しい情報を伝えると有難迷惑に思われるケースがある。このバトルはまだ始まったばかりであるが、テレビ東京に対しても頬かむりをさせず、間違いを糺し正確な情報を伝えるよう問い詰めて行きたいと考えている。