昨夕NHK・BSで2時間に亘るドキュメンタリー番組「東京五輪・女子体操の華ベラ・チャスラフスカの肖像、民主化求め激動の人生」を観た。チェコ・スロバキアの名花チャスラフスカと言えば、男子マラソンのアベベ選手と並び、大会の話題を独占したヒロインとヒーローである。番組では東京オリンピック以降チェコ・スロバキアのスターとなったチャスラフスカは、1968年自由と民主化を求めた「プラハの春」でその民主化運動に賛同したことから魑魅魍魎の世界へ巻き込まれながらも同年開催のメキシコ大会でも金メダルを獲得して、世界中から同情と称賛を得た。だが、その後の人生は苦難の連続で、番組では彼女の厳しい人生を追っていた。番組では別れた夫が息子に殺害された不幸な私生活などは紹介されなかったが、オリンピック金メダル獲得の栄光の反面、起伏の激しい人生を送った。今や73歳となり癌を抱え入退院を繰り返して健康は必ずしも芳しくはないが、その間初志を貫き自由と民主化に身を捧げ、署名した「2000語宣言」を撤回しなかったため、長い間国の監視下にあった。番組ではその波瀾万丈の人生模様を冷静に描写していた。あれだけ華やかだった名選手でも、時代と国家に見放され翻弄されると不本意で必ずしも納得の行かない人生に付き合わされるということである。
私自身チェコとは浅からぬ因縁がある。革命前にチェコへ留学を志したが実現しなかったのは、生憎「ブラハの春」に遭遇したためであり、また1988年チェコを訪れた時も偶然「プラハの春」20周年記念日に当り大群衆のデモと出会ってホテルから出られなくなってしまったことがある。
私の青春を思うようにも、その反対にも彷徨わせたかつてのチェコ・スロバキアと「プラハの春」については、思い出は尽きない。画面で久しぶりに観たモルダウ川とスメタナの名曲が懐かしい。
さて、先月24日にサウジ・アラビアで行われたハッジ(大巡礼)で巡礼者が将棋倒しに押しつぶされ700名余りの死者が出たと報じられた。だが、つい最近フランスのAFP通信が、実際の死者はその数を遥かに上回り1535名と伝えた。当初サウジ政府が発表した数の約2倍である。これについてサウジ政府は何のコメントも出していない。1990年に同じようにハッジで1400余名が亡くなったが、それを上回る犠牲者を生み、イスラム教歴史上最悪の事故となった。
サウジ政府は事故発生当初に準備や対応の悪さを指摘されたことに対して誠意ある回答をしなかった。これ以上自らの落ち度を非難されたくなく逃げ通そうと考えたからであろう。自らの落ち度を指摘されても謝罪も反省もしない「夕日新聞社」(旧「朝日新聞社」)の無責任で不誠実な対応と酷似している。
それにしても聖地への巡礼に加わって命を落としたのでは堪ったものではない。大勢の人々が集まる集会では準備によほど慎重で、行事進行中は周囲に神経を張りめぐらせていないと無意識のうちに、危険の影が忍び寄ってくるものである。
一昨日トルコの首都アンカラではテロリストによる自爆テロが仕掛けられ、市内で95名が犠牲となった。クルド人を敵視するイスラムは過激派組織「IS」の仕業と見られている。トルコ国内でこれまで最大のテロ事件である。国境を接するシリアの内乱は今や手をつけられない状態で、当分治安は乱れたままであろう。そこへトルコでも治安不安定な状況になると中東地域は益々混乱してくる。サウジ・アラビアとトルコのトラブルは性質が異なるが、世界的に危険で怪しい事象が増えてきたことは間違いない。
今世界の現状は荒れ漂流しているが、一体これからどこへ向かおうとしているのだろうか。
今日ラグビー日本代表チームが大歓迎の中を帰国した。選手たちはテレビ局にモテモテである。アメリカ戦の勝利を伝えた今日のスポーツ紙をつい7部も買ってしまった。