66.2007年7月19日(木) 診察と宮本顕治の死

 腹具合があまりぱっとしないのと、3月の人間ドック検診の際、もう少し内科で専門的に診てもらった方がよいとのご託宣をいただいたので、遅ればせながら国立東京医療センター総合内科へ診察してもらいに行った。地理的にも自宅に近くて、過去に何度か診察で訪れたり、僅か1泊だったが一度入院したこともある。かつて看護部長さんにお世話になり、度々訪ねたこともあり、ここへ来ることに抵抗はない。予想通り2時間待ちだったが、持参した本を読んでいてあまり気にはならなかった。

 結局気がかりだった、内科、消化器科、外科肛門で改めて検査することになり、今月下旬から来月中旬までの間に4回通うことに相成った。消化器科では、昨年同様内視鏡で小さいポリープとか憩室を除去してもらうようになるのではないかと思っている。

 しかし、やはり大病院はすべての対応を目の前で瞬く間に手配し、予約してくれるので、素早い対応に安心できる。それに建物も数年前にリニューアルしたばかりなので、病院内も広くて清潔で暗い感じがしないのがいい。病院というとついふさぎ込んでしまい、どうもあまり明るいイメージが湧いてこないが、建物内は明るいし、今日相談にのってくれた女医さんも親切で感じがよく、清々しい気分で病院を後にすることが出来た。さあ最初の検査は来週だ。

 昨日日本共産党の元議長宮本顕治が老衰で亡くなられた。98歳だった。良くも悪くも戦後の政治史の節目で話題を投げかけてきたひとりである。真面目な人柄ゆえに、真っ向から対立した保守本流の中曽根康弘元首相ですら、宮本がぶれない政治姿勢を全うしたことに敬意を表しているくらいである。彼の文学的才能は東大在学中に、「改造」の懸賞作品募集でかの小林秀雄ら、並み居る俊秀を尻目に最優秀賞を獲得したことで発揮された。九歳も年長の中条百合子と結婚したが、このまま文壇の道へ進んだら多分その道でも名を成したであろう。戦時中を含め、12年間も獄中にありながら転向せず、河上肇のように‘没落’宣言もせず、自分の信念を貫き通し、日和見的になった旧ソ連や中国とも別の道を歩き出したことなど、時代を見る目と社会主義の真髄を見通す眼力は、確かなものである。惜しむらくは、彼の思想には妥協性と普遍性が欠けていたために、大衆をまとめるまでには到らなかったことではないだろうか。日本共産党の歴史より長かった彼の人生が残した遺産を、志位現委員長はどのように生かし活用するのだろうか。

2007年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com