あと10日余りで誕生日の11月3日「文化の日」がやって来る。いよいよ喜寿を迎えることになり、わが冒険的人生も総仕上げの時に入ると言えるかも知れない。「文化の日」は季節的にも恵まれた良い時節で、日本各地でいろいろ文化的な催しが開催される。中でも最大の名誉あるイベントは、皇居で天皇から授与される文化勲章の授賞式であろう。昨年、今年はノーベル賞の日本人複数受賞者に圧倒されてやや影が薄くなってはいるが、やはり文化的な賞としては、日本で最高位に位置される栄誉である。
さて、こんな新聞記事が目を惹いた。昨日の朝日夕刊トップに掲載された「『明治の日』復活の動き」―「明治天皇の誕生日11月3日『文化の日から変更を』」という記事である。「文化の日」を止めていずれ「明治節」復活を企んでいる人たちがいるようだ。何を今更と思い内容をよく読んでみると、やはり右寄りの政治家、学者、評論家ら、中でも竹島へ上陸しようとして韓国官憲から止められた勇ましいというか、無分別なパフォーマンス歴のある自民党政調会長の稲田朋美氏、稀代の右翼論客・櫻井よしこ氏ら、自分たちが日本を糺すと考えている不遜な集団の戦前回帰志向である。
なぜ今、明治の日にする必要があるのかとの問いに対して、大原康男・明治学院大学名誉教授は、明治時代は日本史上で世界史的にも大変化をもたらした特筆すべき時代だったと明治の重要性を述べている。だが、直ぐ本音が顔をのぞかせる。「中心は明治天皇であり、今の日本が明治の遺産であることを教育現場で教えれば~」と、敢えて「文化の日」を「明治の日」に変え、そして行く末は「明治節」復活へ辿りつこうとしている。
現時点で「文化の日」ではなぜいけないのかという点で明確な説明がない。私自身個人的には、「文化の日」が自分の誕生日であることを大変幸運で誇らしいことだと思っている。誰でもが知っている祝日「文化の日」を無くしたくないと思っている。「文化の日」は極めて居心地の好い祝日である。年号明治と縁深い明治乳業㈱に長年勤めていた亡父から、私が11月3日に誕生して明治節から一文字をいただいて「節夫」と命名したと聞かされていた。
何よりも「明治」というチョコレートやミルクならまだしも、どうも明治には西南戦争、日清・日露戦争などがイメージとして思い浮かぶ。それより何といっても「文化」の香りが漂ってくる方がずっと好い。それを右翼か保守か知らないが、自分たちだけの都合で戦後70年に亘って根付き心地よい祝日を勝手にネームチェンジなぞしてもらいたくないものである。