77.2007年7月30日(月) 敬愛する行動派作家小田実さん逝く。

 あの作家小田実さんが亡くなられた。享年76歳である。直接お話したことはなかったが、駆け出し経理マンのころ代々木ゼミで教えていた小田さんを、国鉄代々木駅近くの喫茶店でしばしばお見かけした。私にとっては人生について、ひとつの生き方を教えてくれた恩人のひとりだと思っている。手元に何冊かの小田本があるが、何といってもベストセラー書「何でも見てやろう」は、私に新鮮なショックを与え、しばし唸っていたのを覚えている。ベ平連を始め、言行一致のパフォーマンスに魅了されたといったらいい。その後繰り返し4度読んだ。そして、「何でも見てやろう」は私の愛読書として、その後の私の行動に少なからぬ影響を与えた。私が海外ひとり旅にはまって、戦乱のベトナムや、第3次中東戦争戒厳令下の中東諸国へひとりで出かけ、旅行先で再三危機に晒されたのも、もとはと言えば「何でも見てやろう」の影響によるところが大きい。いまも私にとってはバイブルのような書で、いつも若い人に必読書として薦めている。

 胃がんで闘病生活中だということは、4月に小中陽太郎さんから伺って気にかかってはいた。今月11日NHK時代に小中さんがディレクターとなって作成したドラマ「しょうちゅうとゴム」完全復刻版を見る機会があったが、この四日市コンビナートを風刺したドラマも小田さんの原作である。そこにはほんの僅かではあるが、小田さんは声の出演もしていた。

 1965年に哲学者・鶴見俊輔氏、開高健氏、吉川勇一氏、小中さんらとべ平連を結成し、ベトナム戦線へ向かう米空母イントレピッド乗組員の若い4人を脱走させ、日本国内に匿った挙句に最終的に無事スウェーデンへ逃がした人道的な行為には驚愕させられたものである。このセンセーショナルで隠密的な行動は、世間に行動することの価値、意味を問うたと思っている。その後小中さんに何度かこのときの記者会見のニュースフィルムを見せてもらい、当時の生々しい映像に危機的な臨場感を思い起こさせられたものである。伺うところによれば、小中さんもこの事件では主体的に関わり、4人のうちのひとりを長らく自宅に匿っていたそうである。身の危険を冒しながら当時の骨っぽいリベラリストは、理論と行動を実践していたのだ。

 小田さんが世界で最も感動したのが、アテネのアクロポリスの丘だと前著で触れているが、その影響を受け、一時私の憧れもアクロポリスとなり、2003年にギリシャ政府観光局長賞エッセイ部門で入賞した拙稿もそのアクロポリスについて書いたものである。

 僭越ではあるが言わせていただけるなら、小田さんの偉いところは、偉ぶらず、何でも好奇心を持って一般人とともに先頭に立って行動する点にある。1960年代に、NHK番組で小田さんと作家石原慎太郎が丁々発止と渡り合い、小田さんがその当時から威勢の良かった反動作家に対して、「君はいつもそれだからダメなんだ」と、ぴしゃりと言い放ったのが小気味よく、いまでも強く印象に残っている。

 小田さんと格別親しいお付き合いはなかったが、ベトナム反戦運動の中でも個人的に大いに影響を受けた。小田さんへの思い出は尽きない。

 行動する作家・小田実さんのご冥福をお祈りするばかりである。       合掌

2007年7月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com