79.2007年8月1日(水) 小田実さん余話

 改めて小田実さんのホームページに目を通してみた。今年6月2日付で発信した「市民のみなさん方へ」という一般向けのメーセージがある。その中に、「友人への手紙」として「恒久民族民衆法廷」(PPT)、直近の活動と病の告白が綴られている。この「手紙」は、4月21日に書かれたものだが、前月3月にオランダのハーグとトルコへ出かけている。ハーグは前出PPTの関係で、トルコは小田さんの専門古代ギリシャに関して、古代植民地都市を現地で確認してみたかったからとのことである。忍び寄る死を意識しながら、友人への遺言のつもりで書いた手紙の一ヶ月前にこのような冒険的な調査旅行を実施するとは、「さすが小田実!」と敬意とともに心より拍手を送りたい。

 友人から何通かのメールをもらったが、その中で高校の同級生・呉忠士君から興味深いエピソードを知らせてもらった。呉君のお父上は高名な古代ギリシャ文学の碩学、呉茂一先生であるが、東大教授時代の教え子のひとりに小田実がいて、お父上を訪ねて藤沢市辻堂の実家へ来られたことがあり、一緒に食事をしたそうである。その時の話がふるっている。①東大の入試では解析は駄目だったが、英語はほぼ完璧だった、②高校時代(大阪・夕陽丘高)にすでに小説「明後日の手記」を書いて、その一冊をいただいて持っている、③女優・有馬稲子は高校の同窓である、というものだ。いかにも小田実の面目躍如というところではないか。そして、「何でも見てやろう」旅行を実施するきっかけとなった、フルブライト奨学生として渡米する際には、お父上が何かと面倒をみられたそうである。

 さらに別項目に慶大経済学部の「現代思想」講義で、小田さんが熱弁を揮い慶大出版会から出版された「ここで跳べ」の編集者は、飯田裕康慶大名誉教授であると記されていた。そこで飯田裕康先生のプロフィールを見てみると経済学部助教授時代、1971年2月から73年3月までの間西ドイツ・チュービンゲン大学へ客員研究員として研究留学されたと紹介されている。実は、当時飯田先生の渡航手続き関係は私が依頼され、お世話して出発当日羽田空港でお見送りしたことを懐かしく思い出す。図らずも小田さんの系譜を辿った結果が、昔の飯田先生ドイツ研究留学話に行き着いた。これも小田さんとの縁であろうか。

 さて、アフガニスタンでタリバンに拉致されていた韓国人グループの内、男性ひとりが昨日殺害された。犠牲者は二人目だ。むごい。双方の交渉がまとまらず、タリバンは残りの韓国人の殺害もほのめかしている。

 国内ニュースとして、安倍首相の信頼度が急降下しているが、坊ちゃん育ちで外の空気を察知する感度が鈍い首相は、トカゲの尻尾切りを始めた。問題のお坊ちゃん、赤城農水相をやっと今日辞めさせることにした。周囲の声は、遅過ぎる、なぜ選挙前に辞めさせなかったのか。自民党大敗の元凶とまで批判されながら、そんな大臣を首相が庇って墓穴を掘ることになりかねない。しかも、赤城農水相は辞任記者会見で言い訳に終始して、国民に対して謝罪する姿勢は一向に感じられなかった。領収書の綴りまで持参して表紙をぱらぱら捲りながら、それを公開しないというのだから、まったく何のために持参したのか、また何を考えているのか、この人物の心中はさっぱり分らない。ルールに則って処理しているとの一点張りだが、そのルールは自分たちで作っているのではないかと反論したい。この御仁はアホじゃないのか。

 今日横綱朝青龍に対して、日本相撲協会は秋場所と九州場所の、2場所連続出場停止処分を課した。骨折で地方巡業に参加しないと言っておきながら母国モンゴルへ帰って、元気な姿でサッカーに興じている姿がTVで放映され、お灸をすえられたわけだ。行動にこれまでとかくの噂があった横綱に対して、協会は断固たる処置を取った。公平に見ても横綱はちょっと身勝手が過ぎた。横綱の行動に対しては、この処分はやむを得ないだろう。反省してまた出直した場所で、汚名挽回のためにも優勝してもらいたいものだ。それにしても横綱の処分は初めての不祥事だというが、確か小学生のころ、横綱前田山が仮病で場所を休み後楽園で日米野球、サンフランシスコ・シールズ戦を観戦して処分を受けたような前例があったと記憶しているが、思い違いかな?

2007年8月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com