91.2007年8月13日(月) 戦場跡に舞う蝶

 終戦記念日が近づいてくると、マス・メディアでも過去の戦争による悲惨さと残酷さを訴える報道番組が増える。その中で昨晩、戦艦大和の写真を撮ったフィルムをブーゲンビル島のジャングルに埋めたという元日本軍兵士のメッセージを受けた方が、ブーゲンビル島への戦没者慰霊団の一員として島へ行き、遺志を継ごうとしたドキュメントが放映された。フィルムを埋めた人は復員したがすでに亡くなり、いまや当時の地形は変わっていてジャングルで考古学調査用の近代的な電波探知機を駆使しても、結局フィルムを収めた箱は見つからなかった。

 最後の手段として期待したのは、前近代的な祈りにも似た、蝶が舞ってきてその場へ案内するという神がかりな願いで、およそ科学的な根拠のないものだった。しかし、一縷の望みをかけて待っていたところへ現実に一羽の蝶が舞ってきた。残念ながら、蝶は立ち会った人々の期待を裏切り、埋められたフィルムは見つからなかった。私自身ブーゲンビル島では、ジャングルには入らず海岸沿いのコテージで、野犬を追っ払っていだだけだったが、この話は私にとっても妙に現実味のある話である。

 単なる寓話としてしか信じようとしない、科学的思考の現代人にとっては他愛ない話であろうが、実際に太平洋戦争戦没者遺骨収集作業に数多く立ち会ったり、旧戦地への戦跡巡拝慰霊に参加した折に、現実に蝶の飛来を何度も見た私にとっては、とても他人の絵空言とは思えない。特に、サイパン島の戦没者焼骨式において、立ち上がる焼骨の煙りと炎を求めてやってきた無数の蝶が、煙と一体となって乱舞しながら天へ舞い上がっていくさまは、荘厳で遺族をして漸く死者が成仏できたのだと納得させるに足るものであり、心打たれるシーンだった。

 現場で悟る戦争の悲しい遺産と、当事者である遺族や戦友から伺う実話には臨場感が篭って説得力があり、それらと報道番組で他人事のように冷静に話される若いインテリたちの戦争感の認識には、大きなずれを感じるのは私だけではあるまい。戦争は、現場に何らかの形にせよ触れた後でなければ、本当のことはほんのひとかけらも分らない。

2007年8月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com