109.2007年8月31日(金) 楽しいランチとダイアナ妃の思い出

 3日ほど前に大阪の高校の先輩・井上篤太郎さんから電話があり、帰省の合間の今日食事会をやるので来ませんかとご案内をいただいた。場所は有楽町・電気ビル北館20階の外国人特派員協会である。お会いした方々は、井上さんの高校、大学、仕事上のお知り合いばかりで、井上さんと昵懇の人たちばかり。井上さんは、高校ラグビー部の先輩で学習院大を卒業されてから、今日までほぼ半世紀に亘ってずっと関西方面で働き、いまも現役でおられる。先輩に失礼な言い方だが、お人柄が素晴しく、お世話役を率先してお引き受けしておられるので、その人望の篤いことは名前の如しで広く知れ渡っている。私も敬服しているひとりである。ビュッフェだったが、世界中の著名人、政治家からスポーツ選手、例えばサッカーのマラドーナやロベルト・バッジオらが記者会見を行った場所だけに、シェフも外国人の腕利きが多いようで、料理もいろとりどり、お味も絶品にして贅沢なものだ。それが、食べ放題で○千円だというのだから安い。皆さんは私より年長の方ばかりだったが、まだ現役の方も多くいて、健康、ラグビー、旅行、年金、朝青龍、政治家のお金、役人の収賄等々、世間話を交えて楽しいひとときを過ごすことが出来た。

 早いもので今日はイギリスのダイアナ王妃が亡くなって10年目の命日にあたる。イギリス各地でも追悼儀式があったようだが、私にもドラスティックな思い出がある。

 ダイアナ妃のパリにおける事故死は、間違いなくカレンダー上の1997年8月31日払暁のことだが、私が事故を知ったのは、何と事故の前日、つまり8月30日だった。私自身の旅行履歴書「Myギネス99」にも珍事として記載している。それどころか、時折クイズ風のQUESTIONにして、人を煙に巻いてはひとり悦に入っている。

 何のことはない。その日私はカナダのバンクーバーに滞在していて、時差の関係でバンクーバーがパリより9時間遅れていたために、事故死を知ったのは30日夜11時だっただけのことである。でも現実にそういう世界的な事件のときに稀なる体験の場にいたということに、オーバーに言えば運命的なものを感じる。その後1週間してトロントに滞在していたとき、今度は聖母と慕われていたマザー・テレサが亡くなった。

 その時の旅も、カナダ・ロッキー山麓をカナディアン・パシフィック号の展望車に乗った思い出深いものだったが、別の意味でも印象に残った。

2007年8月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com