117.2007年9月8日(土) ゆとり教育は見直されるか。

 先月末、文部科学省は中教審小学部会、並びに中学部会に対して学習指導要領の改訂を提示した。小学校で約40年ぶりに授業時間が増え、教科では5教科の授業が増え、5、6年生には英語授業を導入することになった。その代償としてゆとり教育の象徴である「総合学習」時間が減じる。中学校では、全体を増やし、5教科とともに保健体育が増える。小学校と同じように、いまやままっことなった「総合学習」時間数は当然減少される。

 それぞれに賛否両論はあるが、文科省は割合簡単に結論を出した。しかし、ことが教育問題だけに、それで充分なのかどうか、気になるところである。個人的な意見としては、あまりにも軌道修正が早過ぎると思っている。「総合学習」を採用したのは、2002年からで、まだその成果の善し悪しは現れていないと思う。あまりにも拙速過ぎるのではないか。「総合学習」を取り入れたことに対する評価、結果分析、反省等は公式にはなされていない。こんな中途半端でいい加減な感情論だけで、大事な教育の根幹が左右されるのでは、現場の教師や、保護者、こどもたちが戸惑うばかりでたまったものではない。「総合学習」時間数を減らすことの善し悪しを論ずるよりも、高々5年の実践で愛想尽かしをして「教育を短期的に考える」傾向を助長する関係者の見識を疑いたい。こういう人たちは、実は一番教育に関わってはならない人たちなのではないか。これに対して文部官僚の声はほとんど聞かれない。

 さらに、私の見解は細部的には、小学校の英語導入は必要ないと考えている。早く外国語に接して慣れるのは、確かによいかも知れない。しかし、その代わりに国語や他の教科を犠牲にして、英語を2年早くスタートしたからといって、必ずしも一人前にならない英語を採用したことによって、将来的にどれほど教育面でプラスになることか。それに教える教師の養成も間に合わないのではないか。いつか知研のセミナーで、ベストセラー書「国家の品格」の著者・藤原正彦先生が、絶対反対と言っておられたが、私もその通りだと思う。日本語が満足に出来ない奴に限って、そういう無茶なことを言う。

 昨日のシンポジウムで平松守彦・元大分県知事が、地方分権を力説しておられたが、私の経験上からいっても、教育行政だってアメリカやドイツでは、完全に地方に置かれ、州が変われば制度も異なる。その功罪までは承知していないが、教育は国が直接関わらない方が、スムーズだということを象徴しているのではないだろうか。

 学習指導要綱の改正で全体的に増加する、時間数を1週間の日程の中でどう調整し収めるのか。すでに1週間5日制が定着してしまっただけに、いまさら6日制に戻すわけにもいくまい。聞けば、毎日早朝授業とか、放課後補習授業とか、或いは夏休み短縮とか、角を矯めて牛を殺すようなことばかりやって、大騒ぎさせ、教育現場を混乱させて、官僚はこれっぽちも責任をとらない。まさに日本は「役人大天国」である。

2007年9月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com