118.2007年9月9日 義母7回忌

 今日、9月9日を古くは重陽の節句といった。6年前に亡くなった妻護江の母・川手乙女の7回忌を、府中市多磨墓地で執り行った。宗派は曹洞宗で住職はわざわざ山梨県北杜市内の龍岸寺から来られた。施主の義兄夫婦、長男家族、長女に、近藤家ではわれわれ夫婦に長男家族5人を合わせて14名だった。次男は新潟市に勤務していて、どうしても仕事の都合がつかず来られなかった。

 庭を隔てて隣に住んでいた義母が亡くなったのは、妻が外出中の午前中、次男に昼食用のおそばを届けに行かせたところ、顔色を変え戻って来るや、「おばあちゃんが死んでいるよ!」との声にすぐ駆けつけたところ、廊下で寝巻き姿のままうつ伏せに倒れ、口から異物を吐いていた。すぐに119番へ連絡したら救急車と検視官が来られ、死亡が確認された。前日までそのような気配はまったく見られず、慌ただしく逝ってしまった。

 優しく良い義母だったなあと懐かしく思い出す。特に、隣に住んで、二人の息子を可愛がってもらったので、余計に感謝の気持ちでいっぱいである。

 9月9日というと、昭和51年の今日、初めて文部省教員海外派遣団の添乗員として1ヶ月間欧米の学校、教育機関を訪問したことを思い出す。爾来20年以上に亘って文部省派遣団をお世話することになり、多くの国々を訪れ、自分自身も教育について沢山のことを勉強することが出来た。とりわけ教育施設を見学出来たことは、その後旅行業界人としての道を歩む上で、得ることが大きかった。特に、当時あまり訪問する機会のなかった社会主義国を訪れたことは、自分が学生時代から社会主義というものに関心を抱いていただけに、貴重な体験になった。ことに、ブルガリアの経済高校で、ブルガリア語で教えている経済学の授業を参観していても、マルクス経済学を教えているということが、何となく見当がついたものだ。

 私にとって、旅行業者として一歩大きく踏み出すきっかけになったのは、ひとつは、ビルマへの戦没者慰霊団であり、もうひとつは、この文部省教員派遣団である。その意味でも、今日がその文部省派遣団の第1回の出発日であったというのは、何か縁があるのかも知れない。

 序でに言えば、昭和51年9月9日という日は、中国の毛沢東主席が逝去された日でもある。

2007年9月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com