133.2007年9月24日(月) 懐かしい国・ビルマのデモ

 ビルマ(現ミャンマー)の様子がいよいよおかしくなってきた。この国は大分前から、強権的な軍事政権が民主化の芽を摘み取り、鎖国的で専制的な軍事独裁国家に成り下がってしまった。国連から経済制裁を受け国民の生活状態は最貧国のレベルにまで下がってしまった。かつては、戦時賠償という償いの気持ちもあって、日本との貿易もまずまずの線であったが、いまやそれもない。戦時中の従軍兵士のビルマへの熱い想いを永年傍で見てきただけに、それを考えると切ない気持ちに捉われる。報道の自由を希望するジャーナリストの常駐を現政権は歓迎せず、ほとんどのマス・メディアの取材は、一旦緩急あれば、隣国タイのバンコックからおっとり刀で駆けつける状態である。

 しばらく鳴りを潜めていた市民のデモが、今度ばかりは大きく広がってきた。ラングーン(現ヤンゴン)におけるデモ参加者は、昨日2万人、今日はついに10万人に達したそうである。大きな暴動にならなければよいがと願う。今度のデモの中心はやはり仏僧である。一般市民は弾圧を恐れて集団行動にさえ加わらなかったが、今日は僧侶のデモに勇気づけられ参加した模様である。民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさんが自宅に軟禁されたのはいつになるだろう。2003年5月に自宅前に姿を見せてから、4年4ヶ月ぶりの写真が今朝の新聞に公開された。

 個人的にビルマへの思いは格別に強い。随分この国に関わって仕事をしてきた。それも印象深いツアーばかりで、加藤隼戦闘隊の戦没者慰霊団を初めて結成して以来、航空隊の慰霊団で何度も訪れた。他の国とは異なるお国柄で、旅行システムの違いや手配の仕方の違いで随分戸惑わされ、ビルマ流手配方式を一からすべて見よう見真似で独自にマスターして乗り切ってきた。そのおかげで、その後陸軍航空隊慰霊団や、国家事業である戦没者遺骨収集等の尊い仕事を厚生省から取り扱わせていただいた。まさにビルマさまさまである。数えてみるとビルマへ出かけた回数も1970年以来23回に達する。これまで知り合った優しいビルマの人たちとの交流は忘れがたく、いまでも縁が切れない。あんなに素晴しい人間性のビルマ人が、どうして世界中から非民主国家として非難され、敬遠されるようになってしまったのだろうか。世界に比類ない優しいビルマの人たちが気の毒で堪らない。

 1980年6月号「セリングツアーズ」誌に、ビルマの旅行事情について寄稿した(ホームページ上に掲載)。いま読み返してみて、懐かしい思いが尽きない。当時のビルマはまだ独裁政権ではなかったが、穏やかな市民がいる反面、強面の軍人もいた。軍事独裁政権への素地はあったのだ。しかし、貧しいながらも人々は温和で優しく、刺々しい空気は微塵もなかった。最後にビルマを訪れてから、もう7、8年も訪れていない。ビルマの将来が気がかりでならない。近々ビルマの友人に手紙を出してみよう。

2007年9月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com