134.2007年9月25日(火) 太田道灌公江戸城築城550年記念

 太田道灌公が江戸城を築いてから今年で550年になる。昭和11年7月26日に道灌公没後450年祭に際して、東京市がその遺徳を偲び皇居東御苑外堀に「追憶の碑」を建立した。そのまま70年が経過して、碑は充分な手が加えられずに汚れたままになっていた。最近になってその碑を洗い清め、記念すべきこの年に、その傍に記念の標を立てることになり、今日その除幕式を行った。その碑に、居城について謳った‘吾庵は松原つつき海ちかく富士の高嶺を軒端にぞ見る’と当時の江戸の情景を彷彿とさせる和歌が、歌人らしい鋭い観察眼で表現され刻字されている。

 石川雅巳千代田区長、高山肇千代田区議会議長、高木茂千代田区観光協会会長、太田道灌家18代目当主太田資暁氏、江戸城再建を目指す会・丹羽晟会長、同小竹直隆理事長を始め、関係者数十人が参列した。

 その後に、東京駅前・丸ビル大ホールで「江戸天下祭」ウィークの行事の一環として、「太田道灌シンポジウム」が開催されたので参加した。「『スーパースター』道灌の素顔にせまる」と題して、道灌に所縁の深い前記太田資暁氏、長塚幾子伊勢原市長、太田道灌公菩提寺・静勝寺高崎忠道住職をパネリストに、コーディネーターを東京新聞編集委員田中哲男氏が務め、約1時間半に亘って興味深い話を聞かせてくれた。

 シンポジウムを通して私自身これまで知らなかった道灌公に関する新しい知識を得ることが出来し、疑問も大分氷解した。ひとつは、鎌倉の扇谷上杉家の家老であった道灌が、なぜ江戸に築城する必要性があったのか、との疑問に対する答えである。太田氏の説明で大筋を理解することが出来た。もうひとつは、道灌が神奈川県伊勢原市で、主君の上杉定正に謀殺された経緯である。これまで、太田道灌といえば、江戸城を築城した業績と、教養ある歌人として知られていた。しかし、幼少のころより才知に優れ、兵法に強く、挙句の果ては、疑い深い主君に疑念を抱かせるほどの切れ者であったこと、また伊勢原と縁の深い武将であったことなどは、それほど知られてはいないように思う。主君に尽くしてその主君から討たれるという悲劇は、後の世の判官贔屓の江戸市民から愛されたという。

 江戸城再建を目指す会の会員としては、いささか不勉強で迂闊ではあったが、今日道灌に関して新たな知識を仕入れることが出来たことは良かった。残された文献や、資料はそれほど多くないが、これからもう少し太田道灌公について勉強してみようという気を起こさせてくれるシンポジウムであった。

2007年9月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com