142.2007年10月3日(水) ビルマ北部戦線の激戦を語る元日本軍兵士

 NHKが終戦記念日直前に放映した、ドキュメント番組を深夜(今早朝)再放送した。「兵士たちの戦争―密林に倒れた最強部隊・北部ビルマ」と題して、菊部隊生還者の証言と、当時及び最近の現地フィルムを編集した貴重なものだ。大東亜戦争の中でも、最も悲惨な犠牲者を生んだインパール作戦展開のため、中国から投入された陸軍第18師団(菊部隊)元兵士の証言は、赤裸々で胸を突かれる思いである。「殺されに行かされたようなものだ」「武器、弾薬、食料、医療品はなく、戦死者は道端に放っておかれた」「いまの若者は自由で何でも贅沢ができるが、われわれ世代はそんなことは出来なかった」「戦争が終わったとき、ほっとして助かったと思ったが、後方配置の人間(上官)は残念と言っていた。最前線の現場から遠ざかれば遠ざかるほど、そういう声が聞こえてきた」

 いまの世でもまさに当てはまる言葉ではないか。

 第18師団・菊部隊は、福岡県久留米で編成された部隊で勇猛果敢で知られていた。唯一菊のご紋章を使用されることが許された部隊である。4千人以上の兵士が戦い、そのうち3千人以上が戦死した。かつて、ビルマ戦跡巡拝団で菊部隊の人たちともご一緒したことがある。いまもインパール、コヒマ、フーコンなどの激戦地は山懐深く、少数山岳民族のゲリラが出没するという理由から訪問許可がもらえず、行けるところまで行って最短距離の地で跪いて、遥かインパール方面を遥拝して追悼していたことを思い出す。

 実は、このTV番組を通して証言していた5~6人の方の内、古瀬正行さんと大西清さんとは35年ほど前にビルマへの慰霊巡拝でご一緒した。その中で世田谷に住んでおられる古瀬さんは、上官から部下を13人連れていって戦えと言われたが、持たされた武器はたった6丁の三八銃だけで、死ねと言われたようなものであり、実際に13人全員が戦死されたと仰っていた。ご一緒したときにも伺った話だったが、この人たちにとっては、生涯憑いて回る辛い過去である。この世に生れて何の楽しみも知らずに死んだ、戦友が気の毒でならないと怒りを込めて声を詰まらせていた。

 ビルマに纏わる話はキリがないほどである。騒がれた国内のデモは軍隊の武力弾圧により封じ込められ、結果的に軍政の思い通りとなった。市民側に武器も組織力もないのが致命的で、現体制を脅かす要素は反って失われた。ビルマ人にとっては、前途にまったく希望の灯が見えない。いつまでビルマの軍事政権が継続し、国民は痛めつけられるのだろう。国内から民主勢力が立ち上がってくるのを待つのは、現時点では絶望的である。やはり国際社会の圧力がビルマの民主化を助ける唯一の方法である。その点では、中国を中心とするビルマ支援国が、国際社会と連携して軍事政権に圧力をかけないとビルマの民主化は期待出来ないだろう。国連特使ガンバリ氏にはもうちょっとガンバって欲しかった。首都ピンマナ(現ネピドー)から、ラングーンへ戻ってきたガンバリ特使は、幽閉中のアウン・サン・スー・チーさんと再び会ったようだが、公表された写真を見ていて、笑顔のガンバリ氏に並び、浮かぬ顔のスー・チーさんの表情が少々気になった。

2007年10月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com