今日はハロウィーンで予想通り渋谷のスクランブル交差点など人目に付きやすい場所へ、目立ちたがり屋の若者たちが思い思いの仮装姿で現れた。午後10時現在渋谷交差点の人ごみを画像から観ていると群衆が押し合いへしあいの危険な状態である。先月サウジ・アラビアで巡礼者が将棋倒しで1500人以上もの死者を出した大惨事があったが、渋谷にはこれからまだ人が集まるようだからこれから将棋倒しなどで同じような不幸なんか起きないことを祈りたい。
ハロウィーンでは、昨年は着替えのために公衆トイレや、近くのデパート、駅などのトイレを長く占領して本来の顧客が利用出来ない状態や、騒音とゴミ投げ捨てなどに対して苦情が寄せられた。彼らの傍若無人ぶりは一体どうしたら良いのか。今年は昨年の苦情例から、都が着替え設備などを臨時に設営したり、ゴミ袋を提供したりしていたようだが、これはこれで費用がかかることでもあり、若者の遊びの代償として自治体が費用を負担することに些か納得し難い点もある。況してや都民でない若者のために都や区が都区民税で設備を提供することには少々拘りがある。
さて、一昨日BSテレビ朝日で放映された終戦70周年記念ドキュメンタリーで、一部に2年前の放送内容も取り入れた2時間番組「戦いが聴こえた―ラジオが伝えた太平洋戦争」を今日ビデオで観た。今年は終戦70年の節目の年でもあり、各テレビ局でもそれに因んだ作品が多い。これも新しい視点から戦争を描写した見どころのある作品だった。
出征した兵士たちが戦没の地へ向かう直前に録音したメッセージを家族が聴いている場面と、終戦直前の昭和天皇の玉音放送にまつわる天皇と軍幹部、関係者の関わりを描いたもので、中々見応えがあった。
1945年7月26日に連合国側から提示されたポツダム宣言の受け入れ経緯と、穏やかに終戦へ導こうと努力する日米当事者の苦労がよく描かれていたと思う。次のようなことも初めて知った。ポツダム宣言には、敗戦国国民が希望を言える「大西洋憲章」がセットされていたことで、親日的なザカライア海軍大佐が日本の知人としきりに無線連絡をして、少しでも敗戦後の日本がダメージを負わないように、また早く国家再建が出来るよう努力していた。大佐は戦前高松宮ご夫妻の新婚旅行の折にアメリカでご夫妻をお世話するなど、日本人の性格を熟知していた人物である。大佐の子息が父親は日本が好きで、何とか敗戦による破滅から日本を救おうと努力していた様子を語っていた。だが、近衛師団内でクーデター騒ぎがあったり、軍の独走によりポツダム宣言受け入れが遅れて原爆の投下となり、終戦となった。
これまで知らなかった内輪の話が多く紹介され、こんな事実もあったのかと今更ながら戦争の複雑さを思った。