172.2007年11月2日(金) 「エノラ・ゲイ」機長の死に想う。

 広島へ原爆投下した「エノラ・ゲイ」の機長だった、ポール・ティベッツ氏が亡くなった。92歳だった。生前「原爆投下は戦争を早期に終結させるために必要だった。結果的に被爆者を多数発生させたが、早期終結によりそれ以上の戦争犠牲者が救われた」という主旨の発言をして物議を醸した。その信念は終生変わらず、被爆者に対するお詫びの言葉はついぞ聞かれなかった。あれだけ多数の犠牲者を自分が投下した原爆「リトル・ボーイ」一発によって生じさせたにも関わらず、罪の意識は皆無であった。この人は軍人魂一徹の人物と言えば聞こえはよいが、所詮自分のことだけしか考えない無慈悲な人間だったのだろう。一般論として、戦争は戦場の兵士には大きな責任と罪はなく、あくまで戦争を主導した上層部にあることは明白である。それゆえ、ティベッツ氏の発言はある意味では止むを得ないという見方もある。日米戦争の罪と罰は、アメリカでは、ルーズベルト大統領以下の政治、外交、国防の責任者が、日本では東条首相以下軍部首脳陣らが負うべきは当然である。

 しかしながら、広島や長崎の原爆投下は、あれだけ罪のない無抵抗の市民を情け容赦なく殺戮した残虐さという点で、少なくとも機長には犠牲者への贖罪の気持ちを示して欲しかった。実際彼は戦後長崎を訪れ、その被害の大きさに改めて驚愕した。にも関わらず、ついぞ犠牲者に対して真摯にお詫びの気持ちを示すことはなかった。

 30年ほど前に「エノラ・ゲイ」が原爆投下のために飛び立った、テニアン空港傍に小さな石造の記念碑を見つけた。こんな小さな島の小さな飛行場の侘しいところから、あの世界中を震撼させた原爆投下機が飛び立ったのかと思い、感慨無量の気持ちに捉われたことがある。テニアン空港は、今も小さなプロペラ機の定期便以外は運航されていないのではないだろうか。

 あの当時、毎年のように厚生省の戦没者遺骨収集事業を請け負い、一ヶ月近くサイパン島のホテルに滞在しながら遺骨収集団のお世話をしていたことを懐かしく思い出す。サイパンからテニアンへは、一度だけプロペラ機で行ったが、いつもはチャーターした上陸用舟艇で波荒い中を向かったものだった。

 激戦や戦没者の話になると、ついセンチメンタルな気持ちになり、20年以上に亘って携わった遺骨収集事業のことが走馬灯のように甦ってくる。

 それにしても、ティベッツ氏はなぜ心の底から犠牲者へお詫びしようとの気持ちになれなかったのだろうか。彼は自分のお墓も記念碑も要らないという。その理由が、ラジカルな原爆反対者によってそれらが破壊されることを恐れているからだという。こういうのを、凝り固まった信念の持ち主の偏屈な自己主張とでも呼ぶのだろうか。

 愚かな軍人よ! それなら心から犠牲者にお詫びを述べ、追悼の気持ちを表せば済む話ではないか。

2007年11月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com