206.2007年12月6日(木) 宝仙寺墓地に墓石建立

 妻が先日オペをやった箇所の抜糸の予定なので、医院の近くまで車で送ったが、中々帰って来ない。その内電話がかかってきて、右下瞼をもう一度オペしたという。随分簡単に決めちゃうものだと少々驚いた。それでも今朝よりは様相的に全体のバランスが良くなって帰ってきた。これからまた腫れたり、瞼が下がったり、百面相を演じるのではないだろうか。一番肝心なことは、手術前より視界が開けて見やすくなったかどうかということで、現時点では良さそうなので、取りあえずは善しとするか。

 午後から中野の宝仙寺へ出かけ、新たに建立した自分の生前墓を見てきた。この秋に石材店に頼んで、先祖の墓地の一角に次男である私の墓を建立してもらっていたところ、旅行中に完成したと連絡があった。大辞林には載っていないが、生前墓のことを「寿陵」というのだそうだ。近藤家本家、分家の墓と私の墓を合わせて3つの墓石が建ったことになる。私の墓石の裏には、はっきりと「平成十九年十二月吉日、施主近藤節夫建之」と彫ってある。3つとも似たような墓石だが、分家の墓石も作り直してしっかり根を下ろし、床面はすべて玉砂利にしてきれいに整備された感じである。明後日兄弟妹と連れ合いに参加してもらい、僧侶にお経を上げてもらって開眼法要式を執り行う。もう1年以上も懸案となっていたが、漸く自分が納まるべき場所を確保することが出来た。ところが、妻の面相が腫れてあまり良くないので、開眼法要に孫たちを参加させると彼らが妻の顔を見て怖がるといけないということで、長男浩史へ話して、当日孫たちは来ないことにした。

2007年12月6日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com