一昨日福岡高裁那覇支部で国と県の法廷闘争がスタートした。言うまでもなく辺野古埋め立て工事を取り消した沖縄県の対応は違法だとして、取り消しの撤回を求めて国が翁長雄志・沖縄県知事を訴えた代執行訴訟の第1回口頭弁論である。これまで国と自治体が正面から衝突するようなことはあり得なかった。ひとつの国の中で一地方自治体が国に対して反抗するような行動を起こすこと自体が、一般的には国民に受け入れられず、自治体にとっては失うことが大きかったからである。だが、今度だけはそうせざるを得ない沖縄県側の事情がある。
国の主張は「国防という全国的な問題を知事が審査することは出来ない」と上から目線で言う一方で、知事は「沖縄県にのみ負担を強いる今の安保法制は正常なのか」と基地の県・沖縄の苦しみを訴え一歩も譲る姿勢はない。取り消しについては、国は「不利益が大きく、違法」と言い、知事は「仲井真弘多・前知事の承認に欠陥があり、取り消しは適法」と対立している。そもそも国が沖縄県だけに負担を強いているという声は日本人全体の間にある。それはこれまでの国の説明が必ずしも沖縄県民と他の日本人に納得出来るものでなかったからである。今後この裁判沙汰は平行線のまま進行し、結局国の求める通り辺野古埋め立て工事の再開、普天間基地の移転ということに落ち着く可能性が強い。翁長知事にとっては厳しい茨の試練である。
ついては、今日付の「週刊朝日」の特集は、「『イスラム国』戦線、自衛隊‘戦死’する日」というおぞましいタイトルである。9月に成立した安保関連法案により、憲法何のその、違反を犯しても自衛隊を海外戦地へ派遣出来ることになった。しかし、今後アメリカが同盟国の一員として、わが国が防衛面で過剰に期待されることが憂慮される。日米同盟上からアメリカが日本に対してアメリカの戦略上の観点から自衛隊の出動を求めてきた場合、日本としてはこれを断れないと考えるのが一般的な解釈である。これまで海外派遣を認めない憲法上の制約により、自衛隊はもちろん、米軍も敢えて自衛隊に危険地域への派兵は求めて来なかった。だが、日本が憲法違反を犯してまでも日米同盟強化を求めたと評価して、アメリカは今後在日米軍の基地経費負担を始めとして、費用面と実働面で日本への要求が増してくるだろう。
そこで自衛隊が戦死する日というのは、些か衝撃的な表現であるが、世界中にテロ不安が蔓延る中で自衛隊は従来通り安閑としていられるだろうか。仮に戦死者が1名でも出たら、政府は今後どうやってこの深刻な問題に向き合っていくのだろうか。日本人自衛隊員が海外で戦死する可能性は限りなく大きくなっていると思う。恐ろしいことである。