74年前の今日、昭和16年12月8日という日は、日本帝国海軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)による電撃的なハワイ真珠湾攻撃により大東亜戦争が始まった歴史的な一日である。そして奇しくも今年は終戦70周年の記念すべき1年にあたり、国内ではいろいろ戦争がらみの催しが行われた。天皇、皇后両陛下が4月にパラオ諸島へ慰霊巡拝され、戦没者の霊を慰められた。両陛下は来年1月にもフィリピン慰霊巡拝に行かれる予定である。
大東亜戦争は海軍の真珠湾攻撃ばかりが注目されているが、真珠湾攻撃に連動して帝国陸軍もタイの東海岸シンゴラとマレーシア北東のコタバル海岸に同時に上陸して、その後マレー半島を一気に南下して翌昭和17年2月14日英軍が支配していたシンガポール(当時の昭南島)を陥落させた。この時日本軍総司令官だった山下奉文大将が、イギリス軍司令官パーシヴァル将軍に対して‘Yes or No?’と恫喝的降伏を迫ったエピソードはあまりにも有名である。序ながらパーシヴァル将軍はラグビー発祥の学校、ラグビー・パブリックスクールの出身である。
日本軍が威勢の良かったのは、はっきり言ってここまでだった。後は連戦連勝の報道ばかりが伝えられたが、実際は苦戦と負け戦続きで、開戦から3年9ヶ月後日本は敗戦を迎えることになった。ちょうど国民学校初等科1年生の夏だった。
1980年代に日本軍上陸地点のシンゴラとコタバル海岸を訪れたことがあるが、戦争のよすがをどこにも見つけることは出来なかった。太平洋の波が静かに砂浜に打ち寄せているだけだった。戦争は時間が経過し、それが跡形もなくなると気のせいか普通以上に戦争の匂いが感じられなくなる。今激しい戦火にあるシリアもいずれ終戦となり戦争の残り火が消え、残滓がなくなることであろうが、果たしてそれはいつの時代になるだろうか。
今日8日(ハワイ時間7日)、ハワイでは真珠湾の海軍基地で亡くなった米兵士のための追悼式典が行われた。同時にコロラド州デンバーでは日系人米軍部隊442連隊戦闘団の最後の生き残りで、戦功により最高栄誉の勲章を授かったジョージ・サカトさんが94歳で亡くなられたとのニュースが伝わって来た
ところで、ビルマ(現ミャンマー)で総選挙が行われてから今日でちょうど1ヶ月になる。総選挙、議員選出、国会召集、内閣成立というのが、一般的なスケジュールの筈であるが、このビルマという国はすべての面で中々思うように事は進まない。野党大勝利という総選挙の結果が出たにも拘わらず、今以って新政権が発足していない有様である。新議員が国会内の議席に着くのは早くて来年1月後半、新内閣発足は3月と言われている。何と気の長い話であろうか。
8割の議員を当選させた国民民主連盟(NLD)党首アウン・サン・スー・チーさんの政界運営能力についてこの期に及んで疑問が呈されている中で、スー・チーさんはテイン・セイン現大統領と政権委譲及び運営について話し合いを持った。大統領は協力的な態度を見せているが、問題は全国会議員のうち1/4議席を占める軍人がどういう出方を示すかによって難しい対応を求められることになる。また、現行憲法では大統領になることが出来ない実力者スー・チーさんの立場はどうなるのか。いずれ一波乱も二波乱も起きそうな予感がする。