旧知の鯉江丈山・尺八都山流竹帥が主宰する尺八演奏会のご案内をいただいたので、静かに聴こうとJR中野駅近くの「なかのZERO小ホール」へ出かけた。プログラムに沿って順次演奏されるのは、ほとんどが尺八、琴、三味線の合奏だったが、鯉江さんは流石に主催者で実力者だけに自信たっぷりに独奏された。そして大合奏の時には指揮者を演じられた。鯉江さんの独奏と言えば得意の「石清水」である。ぴんと張り詰めたような雰囲気の中で、会場にも緊張感が漂い聴衆は聞き惚れている。2月の拙著「停年オヤジの海外武者修行」出版記念会の折りにも、鯉江さんは粛々と「岩清水」を吹奏してくれた。参会者にも印象深く心に響いたようである。
しかし、余計なことを言えば、この「岩清水」はプログラムにも、舞台上にもそのように書いてあったが、確か「石清水」と書いて「いわしみず」と読ませるのが正しいのではないかと少々気になった次第である。
帰りの山手線内のTV文字ニュースが盧武鉉・韓国前大統領が崖から落ちて死亡したと報じた。先日韓国最高検察庁の尋問を受ける直前取り囲んだマス・メディアの前で「ごめいわくをおかけしました。申し訳ありません。これから行ってきます」とやや沈んだ表情で、しかし、はっきり挨拶された姿が印象に残っている。ニュースを知って直ぐにひょっとするとこれは自殺ではないかと疑いを抱いた。案の定家族に対して遺書を残していたうえに、側近が岩の上から自ら飛び降りたと明らかにした。
気に病んでいた不正資金疑惑が、想像以上に心に傷を負わせ、かつての最高権力者に死を選ばせたのだろう。韓国では歴代の大統領がほとんど疑惑の中でその職を追われ、悲惨な晩年を送っている。権力を一手に手にした最高権力者が誘惑に駆られ汚辱に塗れた生活の虜になってしまうのだろうか。盧武鉉・韓国前大統領も大統領在任中に妻と息子が有力支援者から巨額の金品を受け取っていたとの疑惑は、前大統領のプライドも名誉もずたずたにしてしまった。政治家としては功罪相半ばしているが、2003年に彗星の如くトップの地位へ上り詰めた時は、インターネットによる選挙民の獲得や、清潔さであれよあれよという間に大統領の座を射止めてしまった。今回の検察側の事情聴取はかなりの証拠があったのだろう。
前大統領に何としても降りかかった疑念を取り除こうと努力することより、恥辱から逃避する道を選ばせてしまった。小泉前首相とは済州島でトップ会談を行ったが、小泉前首相の靖国神社参拝に拘ったあまり、歴史認識の違い、更に竹島問題が絡んで、日韓関係はとげとげしいものになってしまった。一時的にしろ日韓関係を悪化させた背景には、小泉前首相にも大きな責任があるが、盧武鉉・前大統領にも責任の半分はある。そして、金大中・元大統領の太陽政策を踏襲して、北朝鮮と融和関係を図ったが、結果的には南北関係は裏目に出て、反って関係は冷え込んでしまった。
しかし、何と言っても盧武鉉・前大統領にとって一番悔しかったのは、清潔さを誇っていた誉れを家族の強欲によって捨てさせられてしまったことだろう。惨めといおうか、栄耀栄華を極めた者が谷底まで転げ落ちる運命はあまりにも儚く切ない。日本の政治家にとっても他山の石となるのではないか。わが国にもほんの2年ほど前自らの命を絶った現職農林水産大臣がいたではないか。