現在衆議院予算委員会で新年度予算案を巡り与野党が協議を続けているが、少数与党となった自民・公明両党が野党に歩み寄るケースが多く、特に今与野党とも注目している教育関連予算案では最後の詰めを行っている。この過程で大阪府の公私立高校までの授業料無償化の例に鑑み、日本維新の会は高校授業料支援に最大63万円への引き上げを主張したが、石破首相との会談で全国の私立高授業料の平均額である45万7千円引き上げで調整している。同時に910万円世帯の所得水準のハードルを撤廃することを強く要求している。この他にも小中学生の給食費の無料化を求めている。やや野党に押されっ放しの与党としては、どう決着をつけるだろうか。
それにしても、教育関連費を支援するのは、いかに少子高齢化の時代とは言え、我々の世代から見ると羨ましいばかりである。多分両親が生きていたら、苦労して我々5人の息子、娘を育て上げ大学まで通わせたことが走馬灯のように思い出されることだろう。今の金額で換算するなら、概算で1年に相当な教育支援金の補助をいただいたことだろう。
教育支援金については、子を持つ家庭にとっては経済的に大いに助かり有難いことである。ただ、現在進めつつある教育の根幹である教科書の取り扱い方には、問題があると思っている。
2018年に「学校教育法等の一部を改正する法律」が実施されることにより、翌19年4月からこれまで当たり前と見られていた紙の教科書の一部を小中高でデジタル教科書に代えて使用することが、認められることになった。19年度から紙の教科書の「代替教材」としてデジタル教科書が小中高で使用を認められている。実際には学校現場での導入は一部の実験校を除いて実現されていないが、25年度から小学5年生から中学3年生を対象に英語や数学などで本格的に使用を始め、30年度には、正式な教科書として導入が検討されるようだ。
だが、どうも素直に納得出来ないのは、教育に煩い中央教育審議会(中教審)がデジタル教科書を紙の教科書と同じように、「正式な教科書」と位置付けることを適当であるとして、「紙とデジタル」を組み合わせて形式も認めるべきだと答申したことである。本当にそう考えているのだろうか。
というのは、このデジタル教科書には難題が目白押しである。モバイルモニターをひとり一人の小学生が持ち、担任教師からの指導をその画面を通じて受けるというのはどんなものだろうか。昨今小中高生が、スマホ、特にゲーム遊びに熱中して勉強も疎かになり、視力も減退したという声をしばしば耳にする。これに便乗?するようなことを文部科学省が容認するとは、そもそもおかしいのではないかと首を傾げざるを得ない。また、生徒たちは教室内でひたすらモバイルモニターを見つめて、教師やクラスメートの顔を見なくなってしまうのではないか。低学年生であればあるだけ、教師と生徒、生徒同士が顔を見て、目を見て会話をするというのが理想ではないだろうか。生徒用のデジタル教科書の他に、教師のための指導者用デジタル教科書、及び指導者用デジタルブックがあるようで、指導する教師に対しても指導が行き届くよう配慮はしているようだが、教育というものは対面で行うのが基本であり、最も効果的ではないだろうか。昔の寺子屋の考え方からするなら、吉田松陰にはとても考えられない教育方法だろう。