今日はこの日ならではの注目される話題がある。国内では言わずと知れた「阪神・淡路大震災」発生から30年目に当たることである。大地震は、1995年1月17日午前5時46分に発生した。犠牲者の数は、実に関連死を含めて6,434人に上る。あれから早いもので、もう30年が経ったのかと感慨も一入である。神戸市内で開かれた追悼式典には、天皇・皇后両陛下が出席され、震災経験と教訓を生かして次の世代へ引き継ぐことを期待しているとお言葉を述べられた。各地でも犠牲者を悼む慰霊祭が厳かに行われた。
あの年、1995年の秋出張で四国を回った帰り道、淡路島で生々しい震災の跡形を見たことが印象に残っている。それは道路が一部陥没して30cmほど段差のある道路があり、そこを通ったことである。
もうひとつ思い出としては、ブラジル人の友人でリオ・デ・ジャネイロに住んでいたアーリンド・フルタードさんから当日朝突然電話があり、日本で大きな地震があり、相当犠牲者が出たようだが、ミスター・コンドーの親戚や親しい友人に犠牲者はいないのかと心配して、わざわざ地球の裏側から電話をくれたことである。その場では、取り敢えず、親戚は震災の地にはいないし、親しい友人も特にいないと応えると安心したのか、直ぐに電話は切れた。その時、遠いブラジルの地から私の身のまわりに犠牲者がいないかどうかを心配して、直接コンタクトして確認までしてくれた友人の思いやりには感動し、嬉しく思ったものである。その友人も10年以上も前に亡くなられた。リオを訪れた際には、サンバ・ショーに招待してくれ、彼が日本に来られた時には、ともに日光と箱根へ出かけて我が家にもお招きしたことがある。この地震の慌ただしい時にアーリンドさんから受けた温かい気持ちが忘れられず、4年前に上梓した拙著「80冒険爺の言いたい放題」にこの辺りのエピソードを取り上げて書いた。あの思いやりのある友人も今では冥界にいる。30年前の今日の日のことを覚えているだろうか。
さて、海外の話題としては、昨日パレスチナ・ガザ地区で戦闘を続けて来たイスラエルとイスラム組織ハマスの双方が、明後日19日から6週間に亘って停戦することで合意したことである。
昨年も期限付きで停戦に合意したが、長くは続かなかった。今回も合意した後に直ぐイスラエル軍による攻撃が続き、犠牲者が増え続けている。この合意もやや複雑で、3段階に区切って、第1に停戦期限は6週間で捕虜の交換、そして停止期間の延長などを話し合うのだろう。ただ、強気のネタニヤフ・イスラエル首相が合意したことに対して、閣僚の一部からは猛烈に反対されている。イスラエルが本気で停戦を了解し、納得しているのか複雑で分かり難く、場合によってはまたひと波乱ありそうだ。
さて、昨日慶應病院で2年余前から定期的に心臓不整脈の診察をしてもらっているが、昨日ホールター心電図を取るために上半身の地肌に電極を貼り、24時間の心電図を測定することになり、昨日は入浴も出来なかった。今日再び病院で体に貼り付けた電極を取り外し、心電図の記録は、30日に担当の医師から説明を受けることになっている。
帰宅すると訃報のハガキが届いていた。松山市内に住む大学の登山クラブの同級生が亡くなった。登山クラブには2浪の同級生は自分を含めて4人いたが、この内私を除く3人は皆他界してしまった。年々冥界へ行かれる友人らが増えているが、本当に寂しい。私も今86歳であと何年生きられるか分からないが、こうなったら同級生の中で最後に冥途へ土産を届けようと思っている。