6442.2025年1月1日(水) 1年の始めに当たり想うこと

 今日は令和7年の正月元旦、1年の始まりの日である。西暦なら2025年、紀元で言えば2685年、昭和ならちょうど100年に当たる。見上げれば透き通るよう青空が広がっている。 

 ♪年の始めの 例として 終なき世のめでたさを 松竹たてて 門ごとに 祝う今日こそ 楽しけれ 

 「1月1日」という戦前・戦中の唱歌である。終戦の年・1945年疎開先で小学校(当時の国民学校初等科)へ入学して1946年正月の3学期の始業式で唄ったことを覚えている。そして翌2月の紀元節(現在の建国の日)に紀元節の歌、

 ♪雲に聳ゆる 高千穂の 高根おろしに 草も木も なびきふしけん 大御世を 仰ぐ今日こそ たのしけれ

 を同じく学校で大きな声を張り上げて合唱したことも懐かしく想い出す。今年は昭和100年、太平洋戦争終戦の年から数えて80年になる。いずれの唱歌も、今ではまったく歌われなくなった。その背景には、歌が象徴しているのが、神道であり、天皇家であり、戦後GHQにより学校で唄うのが禁止されたからである。

 以前は、元旦になると今も恒例として行われている母校ラグビー部OB会主催ラグビー祭に参加して、OB・現役一体となった交流会に参加していたが、コロナ渦になってから車を処分したことと、コロナは去ったとは言え、元旦早々老妻を家に残して1日外出し難くなったこともあり、ラグビー部には毎年些細な志を贈るだけで許してもらっている。

 今日皇居では新年祝賀の儀が行われ、天皇が皇后ともども皇族や石破首相らから新年のお祝いを受けられた。午後には日本に駐在する外国大使から挨拶を受けられた。明日は新年一般参賀が行われ、天皇、皇后両陛下から参拝者に新年の祝辞が述べられる。昨年は元旦に襲われた能登半島地震の被害を考慮され、見送りになったので、今年は2年ぶりということになる。被災地では、それぞれ各自治体でも犠牲者の追悼式が行われた。能登では9月にも豪雨が襲い、2度も悲惨な目に遭っている。復興はまだ遥かに先でいつになるのか分からない。地元民にとっては、2度とこのような残酷な災害が襲来しないように祈るだけである。

 昨晩NHKテレビで恒例の紅白歌合戦を見るとはなしに、時々観ていたが、年末年始よう厳かあるべき時に、ショーが賑やか過ぎてどうも落ち着かない。今風の歌激しい楽器の音や派手なダンスなどを採り入れ、喚いたり怒鳴ったりして彼らが唄う歌詞には詩的な要素がほとんどなく、単語を並べているだけで意味不明なものが多くとても落ち着いて聴こうという気になれない。そんな時には、思想的なことを考えずとも昔の年末年始の唱歌を聴く方がどれほど気持ちが落ち着くことだろうか。

 お正月用にはもう少し落ち着いた、詩情溢れる歌があって欲しいと歌に明るくないド素人は思う。

 今日元旦ならではの年賀状を楽しみに受け取っていろいろ思いを巡らしながら、送り主のことをあれこれ想っていた。少々びっくりしたのは、来年から年賀状を辞退したいという友人が、13人もいたことである。私と同年配以上ならともかく、中には50歳前後で来年から年賀状と縁を切りたいというのもあった。残念ながらこれまで書いてきた年賀状の本来の意味がよく分かっていないようだ。いずれにせよ、年賀状を通信手段と考えているとしたら、少々手間がかかるので、他の通信手段に代えたいということなのだろう。まあ時代の成り行きでこれも致し方がないのかも知れない。それにしても年賀状廃止の傾向は時代の流れということで片付けられそうだが、文化的習慣の消滅と人々の心に他人の気持ちを思いやる心情が少し失せてきたことではないかと考えている。

 さぁ、今年も健康に配慮しつつ、知人友人らとの交流を続けながら、前向きな気持ちを堅持しつつ個性的な執筆活動だけは気持ちを入れ込んで続けて行きたいと思っている。

 夜は例年通り、NHK・Eテレビでウィーン・フィルハーモニーの新年演奏会を楽しんだ。ラデツキー行進曲の軽快で力強いリズムに乗って今年も明日から頑張って行こう。

2025年1月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com