今日12月8日は、言わずと知れた太平洋戦争開戦記念日である。今から83年前に帝国海軍による真珠湾攻撃と陸軍によるマレー半島上陸作戦により、あの屈辱的な戦争の火蓋は切られた。当時はまだ3歳になって間もない幼児だったので、戦争とか、その怖さなどは知らなかった。しかし、その4年後の終戦時には、小学校(当時国民学校)1年生として戦争の怖さを身に染みて知るようになっていた。それは親から教えられたものではなく、実際に空襲警報により防空壕に逃げ込んだり、小学校から郊外授業で先生に連れられて同級生が揃ってお花畑へ出かける途中で、突然米空軍戦闘機編隊に襲われかかった時である。一瞬の間に上空から急接近してきた編隊に、引率の母親先生が「皆さん!伏せなさい!」と両手で大きなジェスチャーをして地面に伏せるよう大声で怒鳴った。今もはっきり覚えているが、編隊の先頭の戦闘機長の姿が目に入ったくらい近づいてきて、我々1年生集団を攻撃しかけていたが突然機首を上げ上空へ舞い上がって行った。後に続く戦闘機編隊も揃って隊長機に続いて上空へ付いて行った。そのまま編隊は空へ消えてしまった。あの時、戦隊長の目に入ったのは逃げ惑う我々幼い子どもたちの姿に、或いは自分の子どもを想い出したのかもしれない。機長の射撃する気持ちは不意に失せ急上昇したのだろう。それからしばらくして先生が、「皆さん、起きなさい」と言った時、戦闘機の攻撃から免れることが出来たのだと分かった。その後成人してからもベトナム戦争や、中東戦争の現場でひやりとする体験を何度か重ねたが、いずれも戦争の恐怖というものを身体全体で感じたものである。
ともかく戦争の恐ろしさを教えてくれた太平洋戦争であるが、私にとってはその後政府の太平洋戦争戦没者の遺骨収集事業を20年以上に亘りお手伝いすることになって、ご遺族の方々や戦友会の方々にも随分話を聞かされたことも、ひとつの縁であろう。日本はあの戦争で今日まで世界で唯一原爆を投下され、戦争の残虐さを知らされることによって新憲法で戦争を放棄することを誓った。しかし、戦争を知らない、というより戦争の怖さを知らない政治家を含めた世代が増えるに従って、戦争への恐怖心がなくなったようだ。政府も何とかして憲法を改正して条文上に戦争へ関与することを明記しようとし、軍事費も年々増大して、国民には黙って軍事国家へ脱皮しつつある。実に恐ろしいことである。これからZ世代が増えてくるにつれ、戦争の垣根が低くなり、いずれ性懲りもなく戦争へ踏み出すようになるのではないかと空恐ろしい気持ちに捉われることになる。
12月8日と言えば、お釈迦様が悟りを開いた日、成道とも呼ばれている。戦争とは極めて縁遠い人物である。お釈迦様が太平洋戦争開戦記念日を受け入れ戦争を抑え込んでくれることを願っている。
しかし、今年の12月8日は、穏やかな日ではなかった。韓国では昨日尹大統領弾劾訴追案が不成立となったが、検察は大統領を内乱罪などで捜査するという。
そこへ夜になってシリアの13年間続いたアサド独裁政権が崩壊し、大統領は国外へ脱出したとの外電が入って来た。シリアは中東の中でも多くのクルド人を抱えて、国内も不満分子が多かったが反政府運動などは、軍隊の力によって弾圧して、これまで不満の声は海外へ伝わってはきたが、アサド専制君主は揺るぎがなかったように思われた。それが反政府勢力によって首都ダマスカスを制圧されたことにより、情勢は一変し政権は崩壊した。これからシリアはどういう方向へ向かっていくのだろうか。