今日は昨日に続いて朝から素晴らしい青空である。午後1時にJR目黒駅で久しぶりにペンクラブの懐かしい友人らと待ち合わせて、小中陽太郎さんの葬儀に参列するため、日本基督教団中目黒教会礼拝堂へ向かった。1時半の開式には間に合った。小中さんはクリスチャンだったので、葬儀もキリスト教会で「小中陽太郎 葬送礼拝式」と名付けて行われ、終始牧師さんが「司式」という進行役を務めながら祈祷とお説教をされた。その間参列者は2度ばかりオルガンに合わせて讃美歌を唄った。合唱した讃美歌は、♪いつくしみ深い♪と、♪神ともにいまして♪というよく知られた讃美歌で、2つとも昔から知っている曲だ。讃美歌を唄うのもしばらくぶりだったが、教会で唄ったのはまったく初めてだった。式の終わりに、参列者は皆お棺に納められた小中さんのご遺体と対面した。お亡くなりになった日に奥様がお電話で仰っていたように安らかな表情だった。長らくご指導いただいたことに心より感謝の気持ちを伝えた。出口の近くで奥様が参列者とお話をされたが、私も長い間の介護でさぞやお疲れになり、お力を落とされたであろう奥様とご家族に対して、慰めのお言葉をお伝えするのが精いっぱいだった。これが小中さんとの最後のお別れである。
牧師さんがお説教の中で聖書からいくつか引用していた言葉があった。改めて納得させられた言葉だった。ヨハネの手紙として次の言葉を述べられた。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです」。
ご遺体が出棺されるのをお見送りしてから教会を離れたが、久しぶりにペン仲間と再会したので、小中さんを偲んで食事をしようということから目黒駅周辺のレストランで食事と会話を楽しんだ。それでも小中さんがこの世から冥界へ旅立ったことが、まだ信じられない。寂しく、悲しいことである。しかし、現実は現実である。せめていろいろご指導いただいたことだけは、しっかり守って小中さんのご期待に応えたいと思う。小中さんには天国で安らかにお休みいただきたいと思っている。今日ばかりは、他のことを書く気持ちにはとてもなれない。さようなら 小中陽太郎先生 合掌
今日は9月19日以来ほぼ3カ月ぶりに1万歩以上を歩いてしまった。