今朝の朝日新聞に高齢者の1人暮らしが増えたことが大きく取り上げられている。近年高齢者には1人暮らしが増え、それは年々増加の傾向にある。同時に、少子高齢化の傾向から1人暮らしの高齢者数とともに、全人口に占める高齢者の割合も高まる一方である。昨日のブログにも書いたように、こういう社会的背景から不埒な日本保守党百田尚樹代表が発言したように子供を産まない女性は女性として認めないような、反社会的な発言が生まれて来る。
確かに新生児が少なくなったことは、将来に亘って国の力を削ぐことに繋がる可能性が高い。昨年は新生児が遂に80万人を割って70万人台にまで減ってしまった。今年前半期の傾向から予測すると来年は70万人を割る可能性がある。わが日本は、世界でも長寿国のひとつに数えられている。それに対して新生児の数が減少の一方を辿るなら、将来的には国家としては高齢者大国、皮肉っぽく言えば、「老人大国」、年寄りばかりが徘徊する国となってしまう。
因みに私が生まれた1938年の新生児数は、192万人もいた。終戦直後の1947~49年の第1次ベビーブーム期のピークとなった49年には、270万人もの新生児の誕生があった。今日の約4倍である。そしてその新生児が親となって訪れた第2次ベビーブーム期の73年には、209万人の子が生まれた。高齢者が増え、それを補う新生児が少なくなっては、少子高齢化国家となり、高齢者福祉と医療のための経費が増える一方で、それを賄う若者の数が減って、国家の財政能力も厳しくなるばかりである。その典型で2023年の推計によれば、日本は長寿国であり、これは歓迎すべきことであるが、逆に出生率は世界でもアフリカ勢が上位を独占する中で、日本は227か国の中で215位の低位にいる。
日本人女性の一生の間に出産する子どもの数を指した出生率は、22年には1.26人だったが、翌23年には過去最低の1.20人にまで下がっている。ところがお隣の韓国では、もっと深刻のようで、23年は0.72人まで落ち込み、その一方で高齢化も進み、26年には超高齢社会になろうとしている。韓国の高齢化のケースは、日本以上に大きな問題を抱えている。それは、高齢者の貧困が社会問題化していることである。社会保障制度の整備が遅れ、年金を充分受け取れない高齢者が多いからだそうである。
日本、韓国がともに世界の中で高齢化社会においてトップ争いを演じている状況にあるが、高齢化とともに貧困化が進むと、他人のことを構ってはいられなくなるのか、個人本意になり、日韓ともに好ましくない現象が見られるようになる。そのひとつの例として、電車内で座席の譲り合いの気持ちが薄らぐことである。とても他人に席を譲る気持ちなんてないせいか、もっぱらスマホに熱中するようだ。日本でもよく見られる光景である。欧米の電車内ではよく高齢者や身体不自由者に対して、素早く座席を譲る人が多く見られるが、近年日本ではあまり見られなくなった。韓国の地下鉄内の1シーンを新聞は紹介している。若者に座席を譲らないことを話したら、「誰も譲りませんよ。だってキリがないし・・・」と素っ気なく言われたという。社会の崩壊現象か、思いやりの欠如か、スマホが発達する反面で世の中は次第に暮らし難くなっている。