6358.2024年10月9日(水) 死刑囚・袴田巌さんの無罪確定

 昨日死刑囚だった元プロボクサー袴田巌さんの無罪が確定した。今日の朝刊でもトップ記事扱いである。それはそうだろう。58年前の一家4人殺害事件で、47年余に亘り不当に身柄を拘束された。1968年9月に静岡地裁で死刑判決を受け、無罪を主張して控訴したが、76年5月東京高裁で控訴棄却、80年11月最高裁で上告棄却となり、翌12月死刑が確定した。だが、どうしても潔白を証明したくて81年に再審を請求したが、94年8月静岡地裁で再審棄却された。それでも改めて再審請求を行った。しかし、2004年東京高裁は再び即時抗告を棄却し、08年最高裁も特別抗告を棄却した。2度目の再審請求も司法の判断に翻弄されるかの如くだった。幸いにして20年12月に、2年前の18年6月の東京高裁による高裁決定を取り消し、審理を差し戻した。23年3月東京高裁が再審開始を決定し、検察側が特別抗告を断念していた。ここへ来て最終的に検察側が控訴を断念することによって漸く袴田さんは自由の身となることが出来た。しかし、長い裁判の間に袴田さんは88歳になり、拘束期間中の精神的な圧迫状態から心身ともに打撃を受け、物事の判断が出来ない身体となってしまった。

 昨日の最高検察庁の畝本直美検事総長の談話を聞いていると、これ以上袴田さんを心身ともに苦痛を与える控訴は、忍び難いので諦めるようなニュアンスの言葉を言いつつ、「判決は多くの問題を含む到底承服できないものだ」と静岡地裁が無罪判決を下した証拠に疑問を投げるような控訴したい気持ちも表していた。こんなことは検事総長ともあろう者が言うべきではない。これでは、折角解放された袴田さんがあまりにも気の毒である。

 朝日新聞には、朝日としてこの事件の報道には、「当時の報道、おわびします」と長年に亘って袴田さんを犯人扱いしたような印象を与える記事が掲載されたことを反省し、今後の戒めにしたいとの編集局長の言葉が記載されていた。

 あまりにも長期間に亘る裁判と証拠品について、各界から疑問が寄せられている。傍で終始支え続けていた91歳の姉秀子さんが無実の弟を助けようと自らの人生を投げうって献身的に救援活動に当たっていた前向きで誠実なお人柄には、頭が下がるばかりである。

 今後は、長年の身柄拘束期間に受けた待遇について、国に対して補償請求が行われるようだが、何といっても如何に保障されようとも袴田さんが失った半世紀以上の自由な時間が戻ってくることはない。もう2度と繰り返してもらいたくない裁判沙汰である。

 今日午後お隣の奥様が暗い表情で不意に訊ねて来られた。ご主人が1日にお亡くなりになり、葬儀一切は家族だけで済まされたということで、お志を置いていかれた。私より若く83歳だった。普段からそれほど親しく近所づきあいをしているわけではないが、それでもご近所では一番気安くお話できる方だった。長い間通院したり、入院したりしていたが、病状ははっきりせず、最後はほとんど食事を取らなかったが、苦しむことなく逝かれたのでホッとしているようなお話だった。1男1女がおられるが、娘さんはアメリカ人弁護士と結婚され、今は日本にいない。息子さんも都内で仕事をしながら離れて暮らしているので、奥様もおひとりになられてしまった。ご近所の間では、2軒隣のご主人が90歳ぐらいで奥様は施設に入られている。その方と私ぐらいしか男性は残っていなくなってしまった。今では昔のような親しい近所付き合いはなくなってしまったが、その中で数少ない向こう三軒両隣組の方が、いなくなるとは寂しくなったものである。これも「昭和は遠くなりにけり」現象であろうか。

2024年10月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com