昨日9月11日は、今から23年前言わずと知れた3千人もの犠牲者を生んだ「ニューヨーク同時多発テロ(9.11テロ)」が発生した日である。このテロについては、拙著「八十冒険爺の言いたい放題」(はるかぜ書房刊)に、2000年にアフガニスタン国境近くのパキスタン領の集落ランディ・コタールを訪れ、トラックに兵器の積み下ろしをやっている現場を見て、近々反米的なテロのような大事件が起きるのではないかと予感し、その辺りのことを書いた。現実にそれから1年半後にテロは発生した。昨日テレビでも9.11テロ関連のドキュメンタリーを放映していた。その呪うべき日の前日に、佳境に入ったアメリカ大統領選の民主党ハリス副大統領と共和党候補者トランプ前大統領のテレビ討論会が行われ、全米中で多くのアメリカ人が注視し見守った。そして開けて11日にテロの跡地で追悼式典が行われ、バイデン大統領、ハリス副大統領、それにトランプ前大統領も出席した。
これまで3度の大統領選に出馬してテレビ討論参加も7回目というトランプ氏に対して、ハリス氏にとってはバイデン大統領の撤退に伴う身代わり出馬でありTV討論会も初めての経験で、経験上トランプ氏有利と見られていた。午前中NHKで生中継されてしばらく2人のディベートを観ていたが、同時通訳が早口でしゃべるので、中々理解が難しいので新聞とネットに頼ることにした。
4年前の討論ではバイデン大統領が話している最中に、トランプ氏が強引に割り込んでバイデン氏を戸惑わせていたが、今回は相手が話している際はマイクをオフにして割り込めないようにしたことから、いつも喚き散らすトランプ氏の存在感が薄れたことはハリス氏にとって良かったかも知れない。
不法移民を制限するためにアメリカへの不法入国者がペットの犬や猫を殺して食べていたというトランプ氏の発言が事実ではないと、司会者が巧妙にトランプ氏のフェイクであると印象付けたのをはじめ、トランプ氏には真実ではない発言が多いと思わせるような表現が多過ぎて国民の信頼を損ねたのではないか。1時間半の討論に関する大方の感想は、ハリス氏がやや有利のようだが、投票日までまだ2か月も残されている。今後の動きは予断を許さないようだ。
ついては、今日衝撃的な訃報を知った。ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領が長年患っていたガンにより亡くなったと娘のケイコ・フジモリ氏がXに投稿した。フジモリ氏は私と同じ1938年生まれだった。何といってもフジモリ氏の名を世界的に有名にしたのは、1996年に起きた日本大使公邸人質事件である。左翼ゲリラ組織によって平成天皇誕生パーティに出席していた日本大使や日本大使館員をはじめ、ペルー政府要人、各国外交官、企業駐在員ら6百余名が人質に取られた。しかし、その4か月後にフジモリ氏は陣頭指揮を執って占拠されていた大使公邸に特殊部隊を突入させ、17名の犠牲者を生みながらも人質は解放され事件は解決した。
この事件でフジモリ氏は一躍ヒーローとなった。フジモリ氏は破綻寸前のペルー経済を立て直し、左翼ゲリラを掃討して国家発展の基礎を築いた。その反面、強権的な政治手法で人権侵害、腐敗事件などにより厳しい対応をして、事件から4年後には日本へ亡命した。その後帰国途次で身柄を拘束され、市民の殺害事件を指揮していたとして禁固25年の有罪判決を受けた。身柄を長期に亘って拘束され、健康状態の悪化にも悩まされながら寂しい晩年を送ることになった。フジモリ氏の業績については功罪相半ばしており、今も評価は二分している。娘ケイコ・フジモリ氏も1党を率いる政治家として、ペルー大統領選にも出馬したが、落選し、収賄事件などのスキャンダルに巻き込まれ、現在もまだ捜査が続けられている状態である。
しかし、中にはこういう方もおられた。人質事件の翌年にメキシコを訪れた際、あるメキシコ人が日系人フジモリ大統領の人質救出に際して取った勇気ある行動をべた褒めしていた。いろいろあれども日系二世として苦労の多い環境の中で外国のトップを極めたフジモリ氏の努力と功績は忘れられない。心より哀悼の意を捧げたいと思う。
最後に昨日書いたブログに関して付け加えたい。VISAカードを発行している三井住友カード㈱から、ゴールドカード会員年会費として、8月11日付で11,000円が引き落とされた通知書が届いた。使えないカードを発行して顧客・会員を欺き、金だけ分捕ろとするこのカード会社は詐欺師のやることとまるで変わらない。