いま「令和の米騒動」と言われる米不足と米価高騰が食生活を脅かしている。スーパーなどでも米が品薄となり、在庫がないケースも見られるという。かつては日本人の主食であった米の消費量が、年々減っているとは言え、品薄とは猶予ならぬことである。昨年の猛暑や外国人の増加で米の需給バランスが崩れたこともあるが、このまま品薄の状態が続き、価格が高騰すれば食生活の維持、健康管理上も深刻な問題となる。
特に、関西地区で品薄が食生活に影響を与えていることから、吉村洋文・大阪府知事が政府に対して「備蓄米の放出」を要望したが、政府は9月には新米が出回るのでその必要はないとして放出を断った。政府が放出に及び腰なのには、2つの理由があるようだ。
そのひとつは、これまで米は余っていると言ってきたのに備蓄米の放出で米不足を認めることは出来ないというメンツの問題と、もう一つの理由として米の需給調整は市場に委ねるべきであり、政府がタッチすべきことではないとの考えからである。しかし、これでは政府は、米に関しては一切関与しないと言っているように受け取れる。
戦後日本人の食生活は、米依存からパン食や麺類などを食するように変わってきた。米の消費量がピークだった1962年度は、ひとり年間消費量が118㎏だったが、2022年度には半分以下の51㎏まで減少した。
ここで思い出すのは、高校生だった1950年代半ば、社会科の授業で当時人口約8千万人だった日本人の米消費量は、年間8千万石(1億2千万㌧)で、日本国内では6千万石しか収穫できず、残り2千万石は外国米の輸入に頼っていると学んだ。1年に1人当たり1石=150㎏を消費していたことになる。今では当時の1/3しか米を消費していない。現在の年間消費量は7百万㌧で当時より人口が増えたにも拘わらず、消費量は大幅に減っている。その米が不足しがちな原因として考えられるのは、政府が行ってきた「減反政策」という農政の失敗に他ならない。
米の収穫量の減少は、必ずしも不作とか、外国人の増加に帰せられるべき問題ではないと思う。監督官庁の農林水産省には農業、特に米の生産を守るとの確たる信念が欠けているからだと思う。
大体政府の農業政策は安易で、どことなく肝心な芯が欠けている。米不足と同じようにいま国内では牛乳不足現象が起きている。これも農政の失敗により政府が酪農家に減産を要請し、乳牛を減らしたら一時金を支給して乳牛減らしを始めた。しかし、結果的に酪農家の赤字は増えたが、政府は赤字補填をせず、挙句に酪農家の廃業が進み、牛乳生産が減ることになった。結果として牛乳過剰から牛乳不足をもたらすことになり、酪農家を苦しめている。
更に驚くのは、政府には農業の発展や農家の保護・育成にまったく真剣みが感じられないことである。実は、今年5月に事実上の国家総動員法とも言える「食料供給困難事態対策法」が成立した。はっきり言っていわゆる「農家いじめ」である。これは、台湾有事など日本に食料危機が発生した場合、農家に米、大豆などの増産計画の届け出を指示し、農家が拒否すれば罰金を科すという法律である。政府が農家だけに対してこういう冷酷な政策を取れば、阿保らしくて農業なんかに従事していられない。農業従事者は減り、増産どころか危機的な国内農業破滅の道を進むばかりである。
これらの点について、岸田首相、農水大臣はもとより、すべての閣僚や自民党総裁選に名乗りを上げている議員らは、どの程度その深刻さを理解しているだろうか。