6220.2024年8月23日(金) 戦争犠牲者への補償・京都国際高甲子園初優勝

 寡聞にして知らなかったが、戦時中の1942年2月に山口県宇部市陸地近くの海上にあった長生炭鉱で事故が発生し、水没して183人の坑内労働者が亡くなったことがあった。犠牲者のうち136人は朝鮮半島から強制連行された人たちだった。その事故から今年で82年が経った。戦時中だったこともあり、事故処理などは放置され、犠牲者の遺骨は海底に眠ったままである。それでも2013年には念願だった追悼碑が建てられた。今遺族や関係者の願いは、海底に眠る犠牲者の遺骨の収集である。あまりにも時間が経ち過ぎたために、実際に遺骨がどの程度収集できるかは、分からないと思う。

 これとは別に、学童が海中で命を落とした戦時中の昭和19年8月22日に沖縄を出航して奄美列島悪石島沖合で米軍機により撃沈された学童疎開船「対馬丸」事件から、昨日で80年が経過して慰霊祭が行われた。この撃沈では学童784人を含め1,484人が犠牲となった。

 前記2つの戦禍による犠牲者への補償は未だ行われていない。政府は一貫して民間人への戦時補償は行わないとの姿勢を崩していない。しかし、炭鉱事故にせよ、対馬丸にせよ、犠牲者は国が起こした過ちや、国の政策施行の過程における結果であり、自ずから国が犠牲者に保障するのが当然である。長生炭鉱のケースでは、国が戦争を継続するための必需品である鉄の採掘に当たっていた労働者を犠牲にしたものであり、朝鮮人を合わせてすべての犠牲者に保証するのが、国の責任であると思う。発生から80年が経った対馬丸事件については、昨日田村智子・日本共産党委員長は記者会見で、「国策で無謀な戦争に突き進み、敗戦必至のもと沖縄を捨て石にしたなかで起きた事件であり、事件を掘り起こし被害状況の調査を行い、被害者への補償をどのように行うのか議論すべきだ」と補償を前提とする議論を行うべきだと述べた。

 この他にも、沖縄近海では、戦争により対馬丸を含め、沖縄県民を乗せた船舶が26隻も米軍機の攻撃や、座礁などで沈没し、県外の人びとを合わせると4,500人以上が死亡したと言われている。

 先の戦争には、まだまだ一般にはあまり知られていない残酷で苦痛を強いられた人々がいることを、国民は認識すべきだと思う。

 さて、毎夏恒例の夏の甲子園大会、全国高校野球選手権大会も今日決勝戦を迎え、初の決勝進出を果たした東東京代表・関東一高と京都代表・京都国際高校の間で行われ、タイブレークの延長戦の末、京都代表としては68年ぶりに京都国際高が初優勝を成し遂げた。その68年前の1956年大会当時、私も高校3年生だったが、優勝した平安高(現龍谷大学付属平安高)のメンバーは、私が付属の平安中に在学した時の同級生たちだった。

 また、試合後の閉会式でアレっと首を傾げたことがあった。それは、マウンド付近に並んだ選手たちが表彰式を終えた後、大会歌と君が代の吹奏が終わりそのまま閉会となったことである。これまでは、国旗と大会旗を両校選手がスコアボード下で降納し、その後優勝校に続いて準優勝校がブラスバンドに合わせてグランドを一周するのが決まりだった。両校選手、関係者や観衆もそれを楽しみにしていたと思う。だが、どういうわけか、今夏はセレモニーがカットされ簡略化されてしまったのである。折角栄誉の優勝旗を手に持っているわけだから、彼らを従来通りパレードさせて有終の美として送ってあげた方が良かったのではないかと、なぜ今大会はセレモニーの手抜きをやったのか、納得が行かない。

2024年8月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com