79年前の今日、広島に世界で最初の原爆が投下された。今朝広島市内の平和公園で恒例の平和記念式典が行われた。式典には、被爆者や遺族をはじめ、政府から岸田首相ら閣僚、109か国の大使などおよそ5万人が参列した。この1年間に亡くなった5,079人や、死亡が確認された人を合わせて、34万4,306人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められた。原爆が投下された午前8時15分には、参列者全員が黙祷を捧げた。
最初に松井一實・広島市長が平和宣言を読み上げた。その冒頭で市長は問いかけた。「自国の安全保障のためには核戦力の強化が必要だという考え方をどう思われますか」、「他国より優位に立ち続けるために繰り広げられている軍備拡大競争についてどう思いますか」と。
被災地の市民を代表する市長と国の指導者である岸田首相、及び日本政府とは、その考え方において大分開きがある。松井市長としては、核兵器廃絶の決意を訴えながら、それに能動的行動を起こそうとしない日本政府に対して強い不満を訴えたのだと思う。これまで核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議は、2回続けて最終文書を採択出来なかった。これは核兵器について各国の考えに大きな隔たりがあるからである。来年3月には、核兵器禁止条約の第3回締約国会議がアメリカで開かれるが、締約国でない日本がせめてオブザーバーとして参加し、核兵器使用に反対の意思表示を行うよう政府に訴えた。同時に、一刻も早く締約国になるよう求めた。
1989年ベルリンの壁が崩壊して、東西冷戦にストップがかかった。当時ソ連のゴルバチョフ大統領は、平和を訴え、軍備競争を停止し、核兵器を根絶する決意を表明して、アメリカのレーガン大統領と対話を行い、冷戦を終結に導き、米ソ間の戦略核兵器削減条約の締結を実現した。
そのゴルバチョフ大統領の尊い志を、ウクライナへ侵攻を開始するや、プーチン大統領はいとも簡単に投げ捨て、ウクライナ軍がロシアに侵入したら躊躇なく、核兵器を使用すると恐喝的に公言した。これにより再び核兵器使用の危険が持ち上がった。ロシアはウクライナ侵攻以来、式典には当然ながら招待されていない。
松井市長に次いで、挨拶に立った岸田首相は、「現実的、かつ実践的な取り組みを進め、核軍縮に向けた国際社会の機運を高めるべく国際社会を主導していく」と抽象的ながら国際社会で核兵器削減運動を積極的に行っていくと述べたが、その反面核兵器禁止条約には触れることがなかった。いつもきれいごとを言いつつ、スピーチの内容は核兵器削減については、相も変わらず後ろ向きであることが分かる。
平和記念式典終了後、岸田首相は被爆者団体7人の代表者と面会した。被爆者団体が「核兵器をなくそうと訴え続けてきた政府が、核兵器禁止条約に背を向けている状況下で、被爆者は海外に出かけて活動することに気後れし、恥ずかしい思いをしている」と訴えた。更に来年3月に開かれる核兵器禁止条約の第3回締約国会議に日本がオブザーバーとして参加するよう要請した。これに対して首相は、「核実験や核兵器に使う物質そのものを禁止する具体的な取り組みを、核兵器国を巻き込みながら進めることが日本の約割だ」と述べ、オブザーバー参加についてすら何ら言及しなかった。
日本がアメリカの傘の下にいる限り、日本政府としてはアメリカの意向に従って行動するだけで、日本政府独自の反核兵器廃絶の考えを述べることはないだろう。しかし、これでは、原爆犠牲者はいつまで経っても浮かばれないだろう。