終戦直後は、野球と相撲ぐらいしかラジオで放送されず、普段はそれぐらいしか楽しむスポーツというか、遊びはなかったので、夢中になったものだ。小学校2年時には兄弟と一緒に列車で片道3時間半以上も懸けて後楽園まで巨人戦を観戦に行き、京都の中学3年時には初めて大阪へ大相撲春場所千秋楽を観戦に出かけ、優勝した大関三根山と優勝パレードで握手したことが楽しい想い出として記憶に残っている。爾来長い間に亘ってシーズンになるとテレビ観戦を楽しんでいる。
近年その相撲そのものが大きく変わったことに期待よりも不安を感じていた。そこへ昨日の朝日夕刊紙上に、かつて「女三四郎」と呼ばれた女性柔道家の山口香・筑波大教授が大相撲の過酷な場所と日程のため、力士が休息やケガを完治させる間もなく出場してケガを悪化させ、引退に追い込まれる現状を憂いている。年6場所制の見直しと場所中のケガの公傷制度の復活を提言している。
実は、去る14日の朝日新聞「声」欄にも、90歳の鈴木康司・元中央大学学長が相撲ファンのひとりとして昨今の相撲界の現状に不安を感じていると投稿があり気になっていた。元学長は、戦前の双葉山時代から国技館に通い、大学でも相撲部部長を10年間も務めた熱心な相撲ファンで、大相撲の現状と将来を山口氏同様に憂いておられる。元学長が一番懸念していることは、力士の健康管理で、これが充分行き届かないと力士をケガなどで再起不能にさせ、いずれ角界から去り、相撲界を支えている土台が崩れ、大相撲の将来は暗いと前途を悲観している。かつて認められていた公傷制度も今では廃止したために、力士は土俵上でけがをしても無理をして土俵に上がる。
今の角界は、1年6場所の過密なスケジュールに追われ過重な負担のために、例え力士がケガしても完治するのを見守る余裕がなく、土俵上に上る力士の身体は、サポーターだらけである。お2人は同じ主旨の提言をしているのである。
戦前は、場所と場所の間が半年間もあったために、ケガをしても直す時間的余裕があり、今のようにサポーターで身体中を覆うような悲惨な姿は見られなかったという。確かに、戦前から戦後の初めごろまでは、1年2場所だったが、それが3場所となり、4場所となり、大相撲が地方へ進出するという名目の下に名古屋と福岡でも場所を開催するようになり、いつの間にか1年が6場所90日となった。これにより協会は懐が豊かになった。
昨今の力士は身体が大型化してケガを負いやすく、治りにくい。そのため横綱や大関の上位力士がケガのために優勝を争うような活躍が難しくなり、その反面新人や若手力士が一気に出世街道へ進出することが可能になったとも言える。春場所の優勝力士・尊富士は新入幕力士として110年ぶりの快挙だったし、夏場所は23歳の新小結・大の里が初土俵から7場所目にして初優勝を遂げたが、これも幕下付け出しの力士としては最も早い記録である。これもベテラン横綱や大関がケガのため力を発揮出来なくなり、力のある若手が進出するようになったハプニングと言えるのかも知れない。
日本相撲協会が協会の財産でもある力士の健康面に対する配慮が、必ずしも充分でないために、才能豊かな力士がケガのために次々と土俵から去っている。今後大相撲が今の人気を保って、このまま繁栄を続けるためには、元学長は一大改革を進める必要があると提言している。敢えて私自身1相撲ファンとして愚見を述べるなら、相撲協会の組織と運営に大きなメスを入れる必要があると考えている。現在横綱審議会には外部の有識者が加わっているが、本体の日本相撲協会や、通常の部屋の経営・運営面では、外部人材の登用、活用がほとんど見られない。他の世界をあまり知らず、過去の相撲経験だけに頼り勝ちの協会役員ばかりではなく、部屋の経営に関しても有能な外部の人材の登用を考える時期に来ているのではないだろうか。
また、経営的には、苦しくなるであろうが、思い切って場所数を1年4場所に戻してはどうだろうか。そして、公益財団法人である日本相撲協会は、所有する固定資産・国技館のもっと有効な活用方法を考えるべきだと思う。現在国技館は、1年の内3場所、つまり僅か45日間しか使用されていない。都内でも交通の利便が良い国技館を空いている時期に、他のスポーツ団体や、興行などに会場を貸与して賃貸料を得ることなどを真剣に考えてはいかがであろうか。今のままだと果たして相撲協会はこの先残っていけるだろうか、心配である。