今日6月4日は、私にとって2つの事象が忘れられない。ひとつは、35年前に中国・北京で起きた天安門事件である。共産党1党独裁国家の中国が、自由と民主化を求める学生らを武力で鎮圧し、多数の死傷者を出した。国民の間にはかなり以前から不満が充満していた。この日それに共鳴し同調した学生らを主に若者層が北京の天安門広場に集合して集会を行っていた。そこへ軍部が強引に戦車で乗り込み市民や学生らに対して発砲するなど鎮圧し、多くの犠牲者を生んだのである。中国政府の公式発表では、死者319人と伝えられたが、実際には遥かに多くの犠牲者が出て、一部にはその数は1万人を超えたとも言われている。
その後犠牲者の母親を主に遺族たちのグループ「天安門の母」が、度々中国政府に対して犠牲者の名前と人数の公表、犠牲者と遺族への賠償、そして事件の法的責任の追及を求めているが、中国政府は、政府としてすでに明確な結論を出し、遺族らが求める真相の究明は必要ないと昨日冷徹なコメントを出している。中国国内では事件自体がタブー視され、近年の若者たちはこの事件についてはほとんど知らないという。秘密国家中国の怖いところである。
気になるのは、これほど人権弾圧の大悲劇を、日本のメディア、特に新聞がほとんど報道しなかったことである。リベラルな朝日ですら今日の朝刊には、天安門事件には1行も触れられていない。僅かに1日夕刻に日本在住の中国人が新宿駅南口に集まり追悼イベントを行ったことを朝日デジタルが伝えた程度である。漸く夕刻近くなってテレビ・ニュースで報道する有様である。これでは、普段ロシアのウクライナ侵攻や、イスラエル軍のガザ地区攻撃を人道問題だとして厳しく追及していた立場とは整合性がなく、ダブルスタンダードと批判されかねないのではないかと思う。時が経てば忘れられるということでは、太平洋戦争の悲劇や、広島・長崎原爆投下もいずれ忘れられてしまうということを暗示しているようなものではないか。
さて、もうひとつの忘れられないこととは、今日の日付を名付けた「六四会」の活動である。これは太平洋戦争時の陸軍航空第五飛行師団・飛行第64戦隊、通称「加藤隼戦闘隊」の戦友会の名称である。1970年に「六四会」の方々を紹介され、慰霊団企画を要請されて交渉のため旅行インフラがまったく未整備だった当時のビルマ(現ミヤンマー)へ下見調査に出かけ、72年1月「第1回加藤隼戦闘隊ビルマ戦跡巡拝慰霊団」を結成して、22名の「六四会」の方々とご一緒したことが長いお付き合いの始まりである。
「六四会」は毎年6月4日に、靖国神社にお参りして戦争中に戦死された仲間を慰霊するのが恒例で、全国から数多くの戦友が集合して慰霊祭と、その後に「六四会」親睦会を開催するしきたりだった。A級戦犯を弔った靖国神社へ参拝したこととは関係なく、飛行第64戦隊戦没者の霊を敬い、慕う思い出の会で72年以降私も毎年出席し、それは「六四会」が解散するまで続いた。最後の「六四会」では、どこまで本気か、「また戦うようなことがあったらその時も一緒に戦おう」とそれぞれ肩を抱き合い涙を流し、永久に別れて行った光景が忘れられない。戦争を知らない人たちが、無暗に好戦的になり再軍備を是とする傾向になり勝ちであるが、厳しい戦争を生々しく体験し、仲間を喪いながらも戦争には絶対反対という、命からがら戦地から復員した戦友会の方々の言い分は重い説得力があった。
今日は、改めて戦争反対を誓う1日である。