6004.2024年1月29日(月) 人の生き方はいろいろあるが・・・。

 裏金問題が表面化して以来、自民党内の派閥の解消が話題となり、実際自民党内でも大きな派閥がいくつか解散を決めた。その中で麻生派と茂木派が派閥の効用を説明しながら政策集団として続けていくような考えを持っている。しかし、茂木派内では少しずつ派閥を脱退する議員も出て、改めて派閥解消について検討するようだ。頑固に派閥は人材育成の集団だと、派閥解消の気持ちはサラサラない麻生派は、自民党副総裁の麻生太郎派閥会長が若い派閥議員の教育と派内の人材養成について、得意顔で語るが派閥内における自身の教育はどうなのか聞いてみたいくらいだ。

 そんな皮肉のひとつもぶつけてやりたい尊大な麻生氏が、地元福岡で上川陽子外相について物議を醸しそうな発言をしたようだ。普段から軽口で脱線しがちな麻生氏だが、上川外相をそんなに美しいおばさんとは思わないと誤解されそうな発言をしたらしい。上川外相はハーバード大卒業であり、その点を意識したのかニューヨークに出張した際に、他の外交官の手を借りずにテキパキと処理していたと持ち上げていたが、上川外相を女性として初めての外相だと持ち上げたつもりで好い加減な発言をした。実際には田中真紀子外相、川口順子外相がいる。その麻生氏が最も恥を晒したのは、10年以上も前に公の場で中学生以上なら読める「有象無象」を「ユウゾウムゾウ」と読んで恥ずかしく後味の悪い思いをしたことがあった。そういう人物が、他の派閥会長が派閥の解散を行う中で、人材育成に効果があると派閥の効用を訴えているが、その自分自身の教育がお粗末だったのではないだろうか。

 さて、このところ親しい友人・知人で他界する人が増えた。昨年暮れ以来親しかった西木正明氏、日本ペンクラブ元副会長・高橋千劔破氏、そして昨日の新聞で訃報を知ったワインの評論家でもあった弁護士の山本博氏が旅立ってしまった。そこへ今日会社の山岳部仲間だった荒木正弘さんが一昨日亡くなったと連絡を受けた。荒木さんとは、随分一緒に山へ行ったし、彼の結婚式にも出席した。同年だったので、気持ちも理解出来た。数年前から体の具合が優れないということを言っていたが、その彼も天へ召されてしまった。また寂しい気持ちに捉われることだろう。

 亡くなったと言えば、元「東アジア反日武装戦線」のメンバーだった桐島聡らしき70歳の男性が、鎌倉市内の病院で亡くなった。50年前に丸の内の三菱重工ビル爆破事件の容疑者で、他にも連続企業爆破事件に絡んで全国に指名手配されていた。よくぞ半世紀も逃げ通すことが出来たものだと思う。偽名を使って藤沢市内の土木会社に住み込みで勤めていたらしいが、彼の目的は何だったのだろうか。末期がんとなり、仲間に連れられて入院して1週間足らずの間に天へ召されてしまった。人生を棒に振って、目的も果たせず、さぞや悔しい人生だったことだろう。我々60年安保闘争世代から、70年の東大紛争世代は、それぞれ目的がはっきりして、大願成就とはいかずとも社会に対してそれなりの関心と刺激を与えたと思う。しかし、東大紛争以降の学生ら若者の反社会的闘争は、次第に力を失っていった。桐島の願いは何だったのか?尋問を始めた警察も呆気にとられ、残念に思っているらしい。やはり生きている間は、目的を持って精いっぱい前へ進むことが大事だと思う。その点で桐島の人生は、極めて無駄と後悔の多い人生だったのではないだろうか。

2024年1月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com