6000.2024年1月25日(木) 「やったぞ!」ブログ連続6千回達成

 今日のブログは、2007年5月15日に書き始めてから1日も欠かさずちょうど6千回に達した。6,000日毎日書き続けていたことになる。書き始めてからこの間16年8か月が経過し、今17年目に入っている。書き始めた当初はただ何となく書いていて、これが6千回にまでなるとは考えもしなかった。これから先何年、何回書き続けられるか分からないが、心身共に書き続けられる内は書いていきたいと思っている。

 「継続とは力なり」という言葉がある。継続出来たということは私自身力があるということになり、面映ゆい気持ちである。作文自体は子どものころから好きで、学生時代は新聞記者になることが希望でもあった。60年安保闘争デモに参加していて写真を撮られ、それが新聞に掲載されたことから、ゼミの恩師から新聞社入社は難しいのではないかと、他へ就職するよう勧められた。第1回目のブログに、中学、高校、浪人、大学1年までの7年間毎日日記を書き続けていたので、続けられるのではないかと書いた。実際それ以上になった。書き続けられたのは、文章を書くことや、手紙を書くことに抵抗がないことが大きい。そのお陰でサラリーマン時代に営業活動で随分プラスがあった。顧客の新規開拓や、顧客と長いお取引をいただけたのも手紙を書いたことが大分与って力となった。

 書くことに刺激を与えてもらい、多少なりとも文章力がつくようになったのは、今までお世話になった恩師らの影響が強い。特に3年前に創立150周年を迎えた千葉市立幕張小学校の湯浅和先生、高校で国語教師だった新山泰先生、大学ゼミの恩師・飯田鼎教授の他に、社会人になってから八木哲郎「知的生産の技術研究会」会長、べ平連で活躍された評論家・小中陽太郎氏には大変お世話になった。今病床に臥している小中氏以外は、皆さんすでに故人となられたが、今でも懐かしく想い出してはご薫陶いただいたことに心から感謝している。

 今年の年賀状にもこれからの目標として当面7千回を考えていると書いた。これまで海外へ出かけてもノートPCを持参して、宿泊先や、航空機、或いは列車内で書いていた。書いていると想像力が働き、つい時間を忘れるほど熱中することがある。中でも青海チベット鉄道に乗って車窓からチベット高原を眺めながらPCを使用していたことが懐かしい。

 2007年の最初のころのブログを見て思い出すのは、スタートした5月15日は、1932年犬養毅首相が海軍将校らによって暗殺された、いわゆる「5.15事件」発生の日だったことである。今では引退した横綱白鵬が、新横綱に昇進したのも5月だった。この年7月30日には、随分文章に影響を受けた作家の小田実さんが亡くなり、その日と葬儀が行われた8月5日のブログにも書いた。青山葬儀場で行われた葬儀に私も弔問に行った。その後の小田さん追悼デモ行進の写真がまた朝日に載ってしまった。小田さんのヒット作「何でも見てやろう」は、隅から隅まで5度ほど読み返した。そして言動に強い刺激を受けた。「何でも見てやろう」精神で、海外武者修行にも何度か出かけた。特に小田さんが「ヨーロッパで最も感動したのは、アクロポリスだった」との言葉に誘われ、妻を伴ってアクロポリスまで出かけ、その時の強烈な印象をエッセイに書いて「ギリシャ政府観光局長賞エッセイ入賞」というおまけまでいただいたほどである。

 僭越だが、過去のブログをざっと眺めているだけでも思い出は尽きない。さあ~て、まだまだこれからも書き続けるぞ!

2024年1月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com